信念・エネルギー・お金  平成14年3月4日 日本海新聞潮流に寄稿

@私がまだ現役の40歳過ぎで住友銀行支店長時代の事である。住銀の関係会社、旧関西相互銀行、現関西銀行の当時の社長は住銀常務から転出した豪放磊落な人物であった。支店が多いほど銀行経営に良い時代で隔世の感があるが住銀が同行を吸収し支店網を増やしたいと考えた。中小銀行は将来必然的に経営が困難になるとの住銀の予測があったが当時は従業員も反対が多く交渉は至難を極めた。我々も支店長会議で協議した。関西銀社長が格別に信頼した秘書室長が反旗を翻し従業員と得意先企業を巻き込んだ。大義名分は零細中小企業を守るとの大反対運動となった。ちなみに同行は数年前からこの度の金融危機で反対も無く完全に住銀の子会社となり同行の支援で不良債権の引当も仕上げている。

私が言いたいのは合併反対の時に立ち上がった得意先社長達ことである。実はふそう銀行と山陰合銀との合併を私は発表の数ヶ月前に知らされていたが地元の反対が懸念されていた。関西相銀の反対運動は結局は住銀の諦めで終止符が打たれたが住銀の完全敗北は初めてであった。私はその時に痛切な哲学を得ていた。反対運動の成否は反対者に信念があること。反対するエネルギーを持続させ徹底的に戦う意志と意欲があること。その上におカネを注ぎ込むスポンサーの存在である。要するに表題の信念、エネルギー、お金の三拍子が揃って勝利となるのだと。

私は鳥取での経済活動は55歳から60歳までの5年間だが、ふそうと合銀の合併に関して地元人として、親銀行出身の代表権保有役員として意見を求められた時この関西相銀のことを想起した。僅か5年足らずの鳥取での財界活動であったが、残念だが地元には表題の三ッの要素は無いと確信していた。地元人としては硬骨漢のいないのを残念に思うし失礼だが鳥取人にはそう言う要素が不足しているように思う。これは地域風土と無関係ではなかろう。私の生地は県東部であり私自身のことでもあるが、極めて保守的傾向が強い。進取の気性に富む組織で働けば実によく分かる。東部は公的職業に従事する人たちが歴史的に多いからであろうか。農業と無関係ではないのかもしれない。民間にバイタリティが格別に不足しているように思う。
私が日本海新聞の潮流欄に寄稿を始めた頃、故人となったが経営者の親しい友人が、あのなあ、鳥取ではなあ、自分の意見をあんまり主張せんほうがええで、と都会から帰郷した私に言った。閉鎖的なムラ社会では、そうして生きていくほうが無難であったのであろう。私は鳥取では表題の三拍子は無念だが揃っていないと確信していた。合銀との合併秘話は今は生々しいので差し控える。


A話題が変わるが、松江城前の観光物産館には時々訪ねて店内をよく見るが実に素晴らしい。松江の楽しみの一つなのである。島根県内各市町村の特産品は凡て全国レベルの一流と言えよう。包装から内容まで何処に出しても恥ずかしくないセンス溢れるものが数多い。切磋琢磨が見られる。

鳥取県はどおか、全国レベルの印象あるものは少ない。失礼だが私は歴史的に創意工夫不足と思えてならない。島根は出雲大社、宍道湖の風景と全国レベルの歴史や背景があるとは言え鳥取との落差が大きすぎる。松江の和菓子、お茶など全国トップレベルではないか。金沢の和菓子より厚みがあるという大阪の友人もいる。金沢の文化は全国トップレベルだ。聞くところによると金沢の花街で民謡を芸子に所望すると金沢には民謡はない、あれは労働歌だと答えたと言う、真偽の程は知らぬが。それだけの格式を抱いてきたのであろう。
ちなみに、鳥取藩は32万5千石、松江藩は16万8千石であったと思う。これらから考えてみるとやはり江戸時代の松江と金沢の殿様が偉かったのだという推論に私は達した。上に立つ方が偉く治世がいいとこのように数百年で違いが大きくなるのではなかろうか。その辺の話は尊敬する石尾博久氏か山根幸恵氏に一度お尋ねしたいと思っていたが山根氏は先月お亡くなりになられた。石尾氏にお伺いしたいと思っている。

B新潟の米は経済的に実力がある。処が、意外とその他の特産品に見るべきものがない。青森の米は平野も少なく寒いので左程でない。だから青森の寒い夜は夜なべで工夫を重ねて現在の産品を編み出したと思える。新潟は寒い冬も米のお蔭で一杯飲んで夜を過ごすことができた。

では、鳥取はどおか、競争原理が不徹底で何事も中途半端な感じがする。徹底的に消費者サイドに立ち、自由な企業風土と競争の下に、ホンネの発言、自由な思考から知的創造に弾みがつくように思うが、いかがであろうか。保守と沈滞と遠吠えでは進歩も打開もない。
               鳥取木鶏研究会 代表 徳永圀典