11月-今日の格言・箴言18マルクス・アウレリウス
マルクス・アウレリウスはローマ帝国の皇帝であり哲人である。西暦紀元121-180年に生存した。古来最も多く読まれたと言われる「自省録」にはアウレリウスが皇帝とは思えないほど自己に厳しく、人間性を追及した姿が見られ、青年時代初めて触れた時に私は激しい感動を覚えた事が忘れられない。孤独の時間に自らを省み、静かな瞑想により記されたと言われる。久方ぶりに読み直した(神谷美恵子氏翻訳から)

1日 祖父からは、清廉と温和を教えられた。父からは、つつましさ雄雄しさ
2日 母からは神を畏れること、惜しみなく与えること。悪事をせぬのみか、心に思うさえ控えること。簡素な生活をすること。
3日 曽祖父からは、公立学校に通わない、自宅でいい教師についた、このようなことにこそ大いに金を使うべきと知った。
4日 家庭教師からは、労苦に耐え寡欲であること、自分のことをやり、余計なお節介をしないこと、中傷に耳をかさぬこと。
5日 ・・腹を立てて自分の非礼を加えた人には和解的態度をとり寛大に、注意深くものを読む、ざっと全体を概観するだけで満足せぬこと、冗舌家にも簡単に同意せぬこと。
6日 ・・独立心を持つことに絶対僥倖を頼まぬ、たとえ一瞬でも理性以外の何物にも頼らぬ、酷い苦しみの中でも、常に同じである、人に説明する時は短気でないこと、哲学的原理を人に伝えることに堪能に、恩恵を受けても卑下もせず、冷然と無視もせずいかに受けるかを学んだ。
7日 セクストからは、親切、自然に従い生きる、てらいのない威厳、友人へのこまやかな思いやり、無知や道理をわきまえぬ者に対する忍耐。
8日 亦、人生に必要な信条を見出す、また怒りや激情の兆候をゆめにも色にもあらわさず、この上もなくものに動じない人間であると共に、この上なく愛情にみちた人間、仰々しくなく賞賛すること、多くの知識をもちながらひけらかさないこと。
9日 文法学者からは、口やかましくせぬこと、粗野な言葉づかいや間違ったことや、気にさわるような表現を用いる人に対してとがめだてするように非難せず、他人に口添えするような、言葉づかいでなく問題自体を一緒に論議するという形で、つつましやかな注意によりうまく話題にすること。
10日 暴君の嫉妬と巧緻と虚偽はどんなものか観察した、一般に貴族と呼ばれている人たちは、多かれ少なかれ親身の愛情の欠けていることを観察した。
11日 カトルスから友人の抗議は・・軽視せず・・平生の友好関係を試みる、先生に心から善いことをいう。・・自分の子供たちに対して真実の愛を持つこと。
12日 兄から、家族愛、真理愛、正義愛。権利の平等と言論の自由を基礎とし臣民の自由を何より尊重する主権を備えた政体の概念を得たこと。
13日 マクシムからは、克己の精神と確固たる目的を持つこと。
14日 父からは温和であること、熟慮の結果決断したことはゆるぎなく守り通すこと。虚しい名誉に虚栄心を抱かぬこと。労働を愛する根気強さ、公益の為に忠言を呈する人々に耳をかすこと。
15日 神々に対しては迷信を抱かず、人間に対しては人気を博そうとせず、・・大衆に媚びない、あらゆることに真面目で着実、卑俗に堕さずに・・。
16日 自分の肉体に対する節度ある配慮・・各々がその独特な優れた点に応じて名誉を得るように・・。いずれの場合も忍耐強く節制を守ることは完全な不屈の魂を持った人間の特徴である。
17日 私の妻のようなあれほど従順な、あれほど優しい、あれほど飾り気の無い女を妻に持ったこと、・・・。以上のことは皆必ず神々と運命の助けによるからである。---第一章 終わり。
18日 朝から自分に言い聞かせる・・・。うるさがた、恩知らず、横柄な、裏切り者、やきもち屋、この連中のこの欠点は、すべて彼等が善とは何か、悪とはなんであるか、知らなところから来るのだ。
19日 私は善とは本来美しくも悪の本性は醜いことを悟り、悪い事をする者も天性私の同胞であること、・・・・。
20日 この私という存在はそれがなんであろうと、結局はただ肉体と少しばかりの息と内なる指導理性より成るに過ぎない。
21日 神々のわざは摂理にみちており、運命のわざは自然を離れて存在せず、また摂理に支配される事柄とも織り合わされ、組み合わされずには居ない
22日 自分自身の魂のうごきを注意深く見守っていない人は必ず不幸になる。
23日 今すぐにも人生を去って行くことのできる者のごとくあらゆることを行い、話し、考えること。
24日 人生の時は一瞬にすぎず、人の実質は流れ行き、その感覚は鈍く、その肉体全体の組み合わせは腐敗しおすき、その魂は渦を巻いており、その運命ははかりがたく、その名声は不確実である。肉体に関するすべては流れであり、霊魂に関するすべては夢であり煙である。
25日 人生は戦いであり、旅の宿りであり、死後の名声は忘却にすぎない。しからば我々を導きうるものはなんであろうか。
26日 一つ、ただ一つ、哲学である。それはすなわち、内なるダイモーンを守りこれの損われぬように、傷つけられぬように、また快楽と苦痛を統御しうるように保つことにある(ダイモーンとは、ダイモニオン即ち、人間の心の中にある神秘的なものをいう)
27日 まだなにごともでたらめに行わず、何事も偽りや偽善を以ってなさず、他人が何をしようとしまいとかまわぬように。
28日 あらゆる出来事や自己に与えられている分は自分自身の由来するところと同じ所から来るものとして、喜んでこれを受け入れるように。
29日 なににもまして死を安らかな心で待ち、これは各生物を構成する要素が解体するに過ぎないものとみなすように保つことにある。
30日 もし個個のものが絶えず別のものに変化することが、これらの要素自体にとって少しも恐るべきことでないならば、なぜ我々が万物の変化と解体を恐れようか。それは自然によることなのだ。自然によることは悪い事は一つもないのである。