安岡正篤先生の言葉

私の人生の確かな羅針盤となったのは安岡教学である。先生との初対面が現役の管理者時代であった事も幸いした。ごく一部だが、今月は先生の言葉の中から適宜選択し、日々連ねてみたい。安岡教学関係徳永圀典蔵書より

元旦 人生の五計。-生計・身計・家計・老計・死計。
人生の五計
日々の心がけ。社会と自己との対処方法。夫婦、親子関係。老価値の高め方。死を超越する生き方。これらの探訪計画を立てるべき元旦である。
1月2日 人間の本質的要素と無くてもよい付属的要素。
人間学のすすめ
徳性、愛、報いる、尽くす、礼儀、清い、真面目、質実等が人間の本質要素。モノ、金、地位、学歴、名誉など付随要素を鼻にかけるのは人物レベルの低さ。
1月3日 多逢聖因 縁尋機妙 
たほうしょういんえんじんのきみょう
 
東洋人物学 
勝れた原因となる勝因に出会う。いい機会、いい場所、いい書物、いい人の出会いが人生を決める。摩訶不思議なご縁が聖因となる。
1月4日 1.目先にとらわれず、長い目で見る。2.物事の一面だけみないで、出来るだけ多面的、全面的に観察する。3.枝葉末節にこだわることなく、根本的に考察する。
東洋思想十講
(住友銀行支店長に講演分)
管理者時代、結論を出す上でこの三原則を極力適用した。最後に、勤務している住友の名前に恥じないかと検証した。
思考の三原則
1月5日 富貴に素しては、富貴に行う、貧賎に素しては、貧賎に行う。
東洋哲学講座
富貴、地位に富めばその位に素し現実に立脚して地位の意義、使命を十分発揮。貧賎には貧賎に行う。それなりの効用、意味がある。貧賎も悪い事ばかりではない。貧も本当の人間味、人生、社会の真実が肌でわかる。
1月6日 民族や個人の、生命力にとって根本的なものは気力の如何である。
照心語録
政策やイデオロギー、知性・技能は全て気力の影響を受ける。いかなる長所も気力無ければ大した価値なし。逆に気力旺盛なれば多少の欠陥も、さほど苦にする必要なし。気力充実で日本に活力を。
1月7日 生命の法則は、柔、柔和、柔軟である。
身心の学
生命の働きは純粋である程柔軟、抵抗がない、虚であり無である。生命の姿そのものである。
1月8日 人生のことはすべて因果の産物。本当の人生というものは、どこへゆくのかわからない。
人物を創る
人生は因果の産物。善因善果、悪因悪果。すべては縁、これは日本民族の思想の一つと安岡先生は言われた。
1月9日 静という事は絶対であり、造化の真相である、静かであると定まる。
人物を創る
 
物静かで、がさつにならない。悠々とした静けさ、人間も出来てくると、身体動作にも決まりがあり静かでおっとりしている。定静は、ものの上品下品を測る手がかり。
1月10日 敬という心は、尊い境地に進もう、偉大なるものに近づこうという心である。 
人間学のすすめ
偉大なるものに近づこうという心は、同時に自らを反省し、至らぬ点を恥じ、懼れ、自戒する。尊い、高いものを仰ぎ、感じ、憧憬し近づきたいと思う。これが敬の心である。
1月11日 武とは、いかなる矛盾とも戦う雄雄しい精神と努力をいう。
暁鐘
現実世界の矛盾を克服する上に生ずる哲学が文、文の根底に実践努力が必要、それが武である。文弱はやがて文亡、文で滅びる。現今日本国は文弱化している。武の精神哲学の復活を。
1月12日 敬と恥あることによって人間は動物でない。
運命を開く
子供は本能的に、母に愛、父に権威・尊敬・敬慕の念を持つ。敬と恥を失うと獣。最近の社会は動物的。私は礼を追加する。礼を心得ぬ人が多い。先生は頂き物には必ずお礼。遠くからの友には誠ある礼儀を尽くされた。
1月13日 政治の要諦は、の五治。

安岡正篤墨蹟集
-上のものはそれだけの品格威厳を。-民を愛しない政治家、官僚。-上の腐敗堕落では天下は治まらぬ。-行政は簡潔が基本。-民の堕落は上に教がないから。政治の本質は為政者の修養に在る。慨嘆すべき日本の政治家、官僚。
1月14日 経済の高度成長より精神の高度成長が大切で、それがないとやかで国は没落する。
安岡正篤とその弟子
その通りの現実を迎えている。精神的衰退で亡国、人間にも空腹は必要、飽食は亡国現象。人間楽したらいけませんね。
1月15日 簡より、活水・有源に至る。
論語・老子・禅
余りに枝葉末節に文明化しすぎている現代人。複雑を簡素化して自然に還る事が活力を得る源。至言なり。
1月16日 人間喪失社会、日本は精神的基礎を欠いている。
論語・老子・禅
法律、組織、理論、政策、何をやってもどおにもならぬ。個人に返る、自己回復するよりほか本当の道はない。尊い心境を個が開くのが近道。昔は事業や生活の中に哲学、信仰があった浅ましい人間喪失は心、魂の喪失である。
1月17日 事に窮し、勢いのちぢまった人は、初心に立ち返るべし、振り出しに戻るべし
酔古堂剣掃
至言なり。終わりの近い事を心配するな、どんな地位、場所にいても人間としての初心に返れば多くの友を得、生き生きと素直に人生を歩める。
1月18日 青年は民族のさわやかな春 
孟子より
日本の青年は中国、韓国と比べて元気がない。国家衰退の兆と見る。企業は青年、植物は若芽。未来があるのは羨ましい。
1月19日 日本精神の本義とは、偉大なるものへの犠牲的、奉仕的精神。
日本精神通義
西洋民族は、分化発展の陽性、個人主義的、はっきりさせる。。東洋民族は、結んで含む、貯える陰原理で没我的。各自の限界を定める権利思想と異なり偉大なものへ犠牲奉仕、祭祀的になる。
1月20日 大衆化・集団化ということは、人間を動物的に還元してしまう、野獣的凶暴にしてしまう。
知命と立命
大衆化により人間個々人の中に存在する貴重な要素・精神というようなものが無くなる。個人では煽てても脅しても絶対やらないものが存在するが、大衆化で野獣化する。大衆化の中で自分が荒ぶから絶えず自分の生活、思考を持たねばならぬ。さもなくば堕落のみ。
1月21日 地位に執着しない生き方が本物、むしろ引き際が大事。
東洋人物学
地位は修羅道だ、闘争という心理をなんとか直さないと世界平和なんかきやしません。
1月22日 大衆は、優れたエリート、優れた指導者が要る。
続人間維新
世論は定まらない、信頼できる指導者がいなくては社会も国も彷徨うだけとなる。現今日本のように迷える羊となる。
1月23日 天地自然は人間の故郷で、我々は最も自然になり、神に近づく。
人生の大則
万物を通じて万物を生かすこそ天道であり神道であり、その実践が人道である。かく生まれて、かく在り。かく在ることは自ら然るのであり、人からすれば偶然だが、人は学ぶことで偶然が偶然でないことを知る。
1月24日 歴史は、将来を暗示する。
禅と陽明学
明治初年の人間にはこれがある。骨が太い。一本背骨が通っている。人間的な深さがある。同時に潤いもある。人間性に豊かさもある。
1月25日 人物たるに必要な根本的条件とは、気力、生命力というもの、これがないと事に耐えません。
論語の活学
気力が人物の根本的要素。身心一貫した生命力である。身長が高いとか、堂々たる体格とか、一見鼻っぱしが強そうだが、事に当たり途端に意気地の無いのがいる。それを客気といい直ぐ消える。小兵で弱弱しく見えても、静かでも、粘り強い、実行力に富むのがいる。潜在エネルギーの問題で、真の創造力。これがないとダメ。
1月26日 文明とは、人間の身体にある狼性・猿性を叩きだして、聖性・仏性・神性に還すことである。
憂楽秘帖
ハムレットにある。人間とは何と霊妙に出来たものだろう。理性に高貴、才能に無限、形も動きも優れて美しい、挙措は天使の如く、智慧は神を思わせる。唸る言葉だ。処がヴェニスの商人では山犬のような魂、狼の魂とシャイロックに怒鳴る。いずれも人間。文明とは人間に潜り込んでいるこの狼・猿性を追い出す事だ。
1月27日 何事も簡易、簡単でなければならぬ、シンプルであること。
身心の学
生命の特長は簡易、造化は至易簡なもの。学問学理もその蘊奥は簡単なもの。芸術、剣道、名人の境地、極地もそう。人間もそうでペチャクチャ多言多弁は出来ていない証拠。その極地は沈黙、至れる雄弁は沈黙。至れるは簡潔。
1月28日 備ふるを求めず、人に完全を求めてはならないということ。
暁鐘
その癖と疵-きず-を見て用ふるにあり。人間は微妙に出来ている。短所は長所でもある。角を矯めて牛を殺すの愚を避ける。人間の堕落は長所があらた短所になることを言う。
1月29日 尋常の本当の意味は、常を尋ねるという意味。
続人間維新
常とは、いかなる人間、いかなる場合も、かくあらねばならんという原理原則、道を言う。平常心これ道、いかなる場合もうろたえない、そのように修行して行く。これが尋常という意味。
1月30日 真面目であることは、結構なことであるが、器量が小さく、優柔不断であってはいけない。
天地有情
善人も反省を、真面目人間がとかく器量が小さく優柔不断で徒に物事に拘泥する。これは事を為す所以に非ず。善、道徳は本来爽やかなものでなくてはならぬ。空気、清水、明るい光の如く人の心を快くするものでなくてはならぬ。
1月31日 人物が偉大であればあるほど、立派な環境を作る、人間が出来ないというと環境に支配される。
知命と立命
確かに人間が環境を作る。そこに人間が人間たる所以、自由、主体性、創造性がある。人物が偉大である程立派な環境を自ら作る。

ご閲覧有難うございます。この安岡先生の言葉は皆さんからの反応がいいように思います。安岡語録は1月末で一応打ち切りますが、ご希望が多いようでしたら再度トライしてもいいのですが、反応を教えて下さい。徳永圀典  kunistok@ncn-t.net