日本海新聞潮流寄稿 平成15年2月4日

西洋は野蛮じゃ

「予はかってある人と議論せし折、西洋は野蛮じゃといいしに、否、文明ぞと争う。否、野蛮じゃと畳みかけしに、何と、それ程申すにやと、そこで文明ならば未開の国に対して慈悲を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、左に非ず、未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍なことを致し己れを利するは野蛮じゃと申せば、相手はやっと納得せしなり。」

西郷隆盛の言葉である。アジア、アフリカ、中南米の原住民は有史以来、生地で平和に生活していた。それをこの五百年間に亘り、植民地化、奴隷化、殺戮をして彼らの土地、資源を奪ったのは白人。彼らはゴッドの名の下に、鉄砲と十字架で交易を迫り無知な民族を彼らの法で恫喝、搾取し富を略奪した。南北米洲、アフリカで黒人を奴隷とし一億人以上殺したと言われる。英国による豪州原住民、アボリジニ狩りは二十世紀初頭だが数百万人。

白人の歴史教科書にこの事実は書かれておるまい。人類の"正世界史"があれば、この事実を書き記さなくてはならぬ。

幕末日本は最後に残った国で、勇敢で賢明な先祖は幕藩体制を無血で維新し対抗。明治以降の諸経過は省略、敗戦前後の彼らの手法を検証する。

先の戦争の大義は、白人植民地であったアジア諸国と手を組む共存共栄の目的があり大東亜戦争と称した。太平洋戦争とは敗戦後、米国占領軍命によるもので、日本が太平洋に進出し恰も侵略者であったとする米国の狙いが込められている。

米国による東京ほか百十二都市大空襲による無差別市民爆殺二十万人、自宅焼失者二百万人、原爆一瞬死二十万人、後遺症十万人。彼らの植民地化の手法と相通ずる残虐性を痛感する。
ちなみに、韓国と台湾は日本国民そのものであって白人植民地と同列に論じられない。
ソ連は日本降伏を知ってから日本との不可侵条約を公然と破り満州や千島列島に侵入、現地での悪逆非道さは火事場泥棒同様で無法拉致抑留、強制労働六十一万人、死者六万人。
彼らは国家として恬として恥じるとか罪の意識、謝罪はついぞ聞かない。ドイツ・ナチスによるアウシュヴィッツ虐殺は最低百十万人、六ヶ所の絶滅収容所合計は五百万人を越えるユダヤ人が殺された空前絶後の殺戮で肉食白人のやる事は歴然と違う。

彼らの野蛮性の本質は西郷隆盛指摘の通りで、この五百年間変わっていない。掠奪資本主義の市場経済と酷似している。

野蛮論は戦争論に帰着する、米国との戦争と中華民国との戦争は別に見なくては正しく見えない。元々日本は中華民国という正統政権と対峙していたが途中で同国の内乱軍、現共産政権に相手が変わったという複雑さがある。米国との戦争、中華民国との戦争、そして現中共政権への戦後の対応、これらを一纏めで見るのは不当で釈然としない。
シナ事変前、中華民国と対峙していた時、内乱軍の現共産党が日本と中華民国双方に同時闇砲撃し両者を衝突させ本格戦争に突入させた。その後中華民国は台湾に敗退、内乱軍の現政権が相手となる。我国はこの複雑さへの対応を強いられてきた。

戦争は狂気であり双方が残虐行為をしておるが南京問題は中国流の白髪三千丈式で東京裁判では問題となっていない。
日本は米国に戦争をしかけられ国家生存の為に戦争をしたが強靭であった。勝利した米国は日本占領中、再び日本が立ち上がり復讐できぬよう徹底的に日本国解体をしかけた。
その戦略は日本文化、歴史伝統、日本精神の否定であった。日米戦争四年間に対し占領期間七年の異様さがそれを示す。本来、戦争は目的そのものではなく外交交渉の一端だ。和平の機会をものにしなかったのは無念至極。

戦争は双方が残虐となるが勝者の原理が爾後の歴史を支配する。戦争は正否の問題ではない、相対的であり、事実の直視と主張が必要だ。

米国と講和後、対外的に余りにも言うべき事を言わないで伝来の精神まで捨てた日本は国家として将に風前の灯。民族の歴史、伝統、精神、国家意識を喪ったら永久に立ち上がれない。敗戦酔夢からの覚醒が遅い。現状でいいのか、日本人よ。

鳥取木鶏クラブ 代表世話人 徳永圀典