怒りを忘れた大学生

昭和27年であったか、日米安全保障条約の再締結時、社会党、全学連を中心に労働運動とリンケージして、政権と激しくぶつかった。国会前広場の反対運動で樺さんが死亡したのはその激しさの象徴と言える。結果から言えば、時の岸総理の決断は、日本の未来の安全にとり正しい判断であった。今は殆どの政党も国民も日米同盟を是認している。若しあの時、反対派に押し切られて、細川とか海部とか、村山などひ弱な総理が日米同盟を締結していなかったら、現実の日本は世界の中で、ここまで繁栄していなかった。

岸総理と弟の佐藤栄作氏が篭城していた官邸で、あの時は命懸けで死ぬ覚悟であったと述懐していたが、国家のトップとはそんなものであろう。

将に、民主主義は衆愚政治という言いうる。国家の未来を誤るので
大マスメディアの論調に要注意とはこのことだ。

当時の全学連の先頭に立った人が経済界のトップになった方も多い。若気のいたりと自慢そうに言うが、時の多くの指導者達がしっかりしていたからその後の日本国に過ちがなかったのだ。
馬鹿な大マスメディアに煽動される現在の状況とは大違い。現在のように政治家に見識も胆識もないのが上に立つと、戦後の社会党や朝日新聞など、日本国民を誤らせた筆頭であるが、ミスリードで日本の未来に重大な禍根を残す恐れが出てくる。反省も懺悔もなく、日本をミスリードしたまま、有耶無耶の中に、彼等の重大ミスが歴史の過去に埋没されて行くのが残念だ。

これは現在問題の北朝鮮問題でも全く同じことである。野中とか、中山とか、土井たか子とか、社会党、社民党、共産党、民主党、一部自民党の面々の中には、落選し失脚して当然の連中がいる。

さて、私は、当時の全学連とか社会党を讃美しているのではない。当時の日本には、いい悪いは別にして、騒動を起こすだけのバイタリティ、元気が若い人にあったと云う事を言いたいのだ。
聞く処によると、最近では、学生などカラキシ駄目のようだ。反乱というと大袈裟だが、国家のこの非常事態--経済、政治、就職、社会保障等-、彼等の未来にかかわる大問題があるが、若い人が、自分の事として、立ち上がらぬとは、日本の未来は明るくない。老齢者は老人だけではない、若い年寄りになってしまった学生、青年、その上に私は壮年を追加したい。強く、行動を起こさなくてはならなぬ危機なのだ。

さらに、中国、韓国、北朝鮮に、あんな干渉をされたり、税金から巨額の援助を中国に与えたり、国民が拉致されて25年間行動がなく、怒りを忘れた印象を受ける。覇気のない、壮、青少年では、日本はお先真っ暗だ。人間でも、国家でも、怒るべき時に、怒れないのでは、人間でも国家でも、四流ということになる。サラリーマンでもそうだ、上司に対してもそうだ、人間として人格侮辱を与えられたら怒らなくてはならぬ。物や金の事ばかり気にして、精神、人格を放棄しているからだ。国家の主権は人間の人格と同義語である。日本人よ、怒ってよいのは今だ。精神が問題なのだ。