菜根譚--さいこんたん

若いときから時折読んできたが、不思議と味のあるのは将に菜っ葉や大根のような粗食の言葉通りである。朝に夕に一節に目を通すだけで心の養生になるような気がした。明の明暦年間1573-1619年に洪自誠が残した随想集である。物質的欲望をコントロールして簡素な生活にし精神の充実をはかろうという著者の主張は現代にピッタリではないか。平成15年2月1日 徳永圀典

2月1日 天地に一日も和気なかるべからず。人心に一日も喜神なかるべからず。(欠かせぬものはよろこびの心) 笑う門には福来る。可能性を持つ、幼青少年の若い芽に、企業に、家庭に「よろこびの心」がなくては人間しておられまい。いい芽は育たぬ。
2月2日 粗食に甘んじている人には、清らかで潔癖な人格者が多い。
贅沢する人は特権を離したくないので権力者に卑屈。それは習い性となる。心中の卑しさ、せめて一片のやましさ、はじらいを失いたくないものだ。
2月3日 お先にどおぞ。あなたもいかがですか。 狭い道、おいしいもの、お先にの心。このゆとりの有無が人間の質を判定する尺度となる。
2月4日 自分の心に勝つ。 そうすれば、あらゆる煩悩を退散させられる。気持ちの平静は、あらゆる誘惑から身を守れる。
2月5日 極端は避ける。 行き届きすぎてもいけないし、あっさりしすぎてもいけない。君子の生活態度はそれを貫くべき。
2月6日 相手が財産なら仁で、地位なら義で対抗する。君子は相手が上級者でも意のままに動かぬものだ。 強い意志と固い覚悟をもてば天地をも動かすことができる。
2月7日 志す者は、たえず精神を集中し、一つの目標に向かって歩み続けなければならぬ。 人格向上を目指しながら功績や名誉に心をひかれたのでは成果はあがらぬ。脇道にそれず大道を、論語にも、行くに径-こみち-によらず、とある。
2月8日 幸福は求めようとしても求められない。常に喜びの気持ちをもって暮らすことが幸福を呼び込む道である。 不幸は避けようとしても避けられない。常に人の心を傷つけないように心がけること、これが不幸を避ける方法である。
2月9日 なにが幸せかと言って平穏無事より幸せなことはなく、何が不幸かといって、欲求過多より不幸なことはない。 あくせく苦労してこそ、はじめて平穏無事の幸せなことがわかり、心を落ち着けてこそ、はじめて欲求過多の不幸なことが理解できる。
2月10日 善人は、なにごとにつけ穏かな態度をとるばかりでなく、寝ている間でも、和気に満ちて親しみやすい。 悪人はやることなすこと凶暴なばかりでなく、笑い声をたてるときでも、その中にすごみをきかせる。
2月11日 忘れてよいこと、わるいこと。 人に施した恩恵は忘れたほうがよい。だが、人にかけた迷惑は忘れてはならない。人から受けた恩義は忘れてはならない。だが、人から受けた恨みは忘れたがいい。
2月12日 人に恩恵を施す場合は、恩着せがましい気持ちを見せたり、相手の感謝を期待するような態度を見せてはならぬ。 人に利益を与える場合、効果を計算したり、見返りを要求してはならぬ。一文の値打ちもなくなる。
2月13日 苦労しているさなかにこそ、喜びがある。 時めいていると、とたんに失意の悲しみがおとずれる。
2月14日 本当に清廉であれば清廉の評判など立たない。評判が立つのは顕示欲が強い証拠である。 本当に最高の技を身につけていたら、妙技など見せびらかさない。妙技を見せびらかすのは未熟。
2月15日 水差しは口まで水を満たすとひっくりかえる。銭入れは中味が一杯になると、打ち壊される。(満つれば欠ける。) 君子もまた満ち足りた状態を求めず、無の境地に身を置くようでありたい。
2月16日 名誉や地位を得る事が幸せと思われているが、実はどちらも無い状態の中にこそ最高の幸せがある。(ものは考えよう) 飢えに泣き寒さに凍える事が不幸と思われているが、実はそうでない人のほうが一層大きな不幸を背負っている。
2月17日 人たるの道をしっかり守っていれば、かりに不遇な状態になっても一時の事に過ぎない。(人たるの道を守る) 権勢にこびへつらえば、かりに得意の状態にあっても長続きしない。
2月18日 人生経験が浅ければ世の中の悪習に染まる事も少ない。経験をつむほどにさまざまなかけひきが身についていく。(むしろ愚直であれ) 君子はなまじっか世故にたけるよりも寧ろ愚直で、バカ丁寧であるよりも、むしろ率直でありたい。
2月19日 たえず不愉快な忠告を耳にし、思い通りにならぬ出来事をかかえてこそ、自分を向上させる。(自分を向上させるには) 耳に心よい事ばかり聞かされ、思い通りになる事ばかり起こっていたらどうなるか。自分の人生をわざわざ毒びたしにしているようなものだ。
2月20日 酒、料理など、こってりしたものは何れも本物ではない。本物の味はあっさりしたものだ。(平凡の中に非凡) 並外れてきらびやかな才能の持ち主は達人とはいえない。達人とは平凡そのものの人物をいう。
2月21日 深夜、独り座って自分を見れば諸々の煩悩が消え清浄な心が現れる。そこから必ずや大いなる悟りを開ける。(静思の時を持て) 清浄な心が現れても、なお煩悩から逃げ切れないと悟れば、必ずそこに懺悔の心が芽生える。
2月22日 友人とは、三分の侠気をもって交わり、人間としては純粋な心を失わずに生きるべきだ。(三分の侠気と一点の素心) 六分の侠気四分の熱の歌は与謝野鉄幹。八分も十分もでは共倒れとなる。三分くらいが妥当か。
2月23日 厚い待遇が仇となり、かえって災害に見舞われることあり。思い通りになる時こそ、気持ちを引き締めて事にあたれ。(得意と失意の時) 挫折した後で成功のキッカケを掴むことすがある。八方塞がりでも諦めて投げ出してはならない。
2月24日 この世を生き抜くには、人に一歩譲る心掛けを忘れてはならぬ。一歩引くことは一歩進む為の前提となる。(進むためにはまず退く) 対人関係、なるべく寛大を旨としたほうが良い結果となる。人の為がやがて自分の利益になる。
2月25日 何事も余裕を持ち控え目に対処せよ。そうすれば人はおろか天地の神々も危害を加えたり災いを下したりしない。(なにごとも控え目に) 事業でも功名でもトコトン追及すればどうなるか内から足を引っ張られるか、外から切り崩されるかして、いずれにしても失敗を免れない。
2月26日 人を叱責するときには、あまり厳しい態度で臨んではならない。相手に受け入れられる限度を心得ておくべきだ。(人に多くを期待するな) 人を教導するときには、余り多くを期待してはならない。相手が実行できる範囲で満足すべきだ。
2月27日 高慢や不遜は、すべて元気のなせるわざ。これを克服した時に本来のその人の姿が現れる。(から元気と迷いの心) 欲望打算はすべて迷いの心から生まれる。これを克服した時、はじめてその人本来の心が現れる。
2月28日 満腹したあとで味のことを考えても、もはや、うまいかまずいかの識別すらつかない。房事のあとで男女の交わりを思っても、もはや、そんな欲望はどこか消し飛んでいる。(事前の迷いに対処する) いつも事後の悔恨を思い起こして、事前に対処すれば、それなりに腹も座って誤まりなきを期すことができる。

含蓄のある格言が多いとのメールを沢山頂いた。1ヶ月では到底無理であり、続きは近い将来にご披露するこことする。有難うございました。平成15年2月28日 徳永圀典