美しい日本

童謡・唱歌のふる里、鳥取 鳥取の産んだ大作曲家達 

日本の童謡とか唱歌ほど、素朴で、清らかで、心の襞に染み入るものはない。現代日本人はこれらを語り継ぎ、歌い継ぎして後世に残して行かなくてはならぬ。鳥取に帰郷して3年経過した。私は鳥取では、鳥取木鶏クラブを主催しているが、一方で唱歌大好き。唱歌を歌う会を創りたいと思っていたら、鳥取市は流石に素晴らしい大作曲家を生み出した町だ、既にその会があった。リーダーは庶民的で素晴らしいお人柄の鈴木恵一先生、全国的にも珍しい
唱歌100曲マラソンをされたり町内会の活動に出席してアコーディオン演奏されたりしている地元の唱歌第一人者。鳥取駅前には、大黒様の音楽が流れる音楽碑があるし、鳥取城山麓の久松公園には、春の小川が流れる音楽碑がある。知る人ぞ知る、名歌、春の小川おぼろ月夜の作曲家は、岡野貞一大黒様田村虎蔵の作である。鹿野街道筋には、おぼろ月夜の曲碑があ。鳥取城の内堀であった袋川河畔の桜土手には、この岡野貞一と田村虎蔵の歌碑が数多く桜樹の下に並んでいる。夕焼けの作曲も鳥取市出身の永井幸次赤トンボの作詞三木露風の母親は鳥取藩家老の娘でもある。 間違いなく童謡・唱歌のふる里、鳥取である。今月はそれをお知らせしたい。
偉大なる作曲家 タイトル家族も逝去後に知った唱歌の作曲

岡野 貞一●プロフィール
 
明治十一年、鳥取市古市に生まれる。吉方小学校(現修立小学校)を経て、二十四年因幡高等小学校(現久松小字校)を卒業する。
 明治二十六年、キリスト教系の薇陽学院に入学し、米人宣教師アダムズに楽才を認められ、音楽への道を志す。
 明治二十九年、東京音楽学校(現東京芸術大学)に入学、三十三年に卒業し同校の研究科生となる。その後助教授を経て、大正十二年に教授に昇任し、昭和七年に退官する。 この間、文部省唱歌の編集、作曲委員として多くの唱歌を作曲する。 音楽教育の発展に大きく貢献する一方、熱心なクリスチャンであり、四十年間、本郷中央教会で毎日曜日には礼拝のオルガンを弾き、聖歌隊を指導するなど信心深く、誠実な人格者であった。 昭和十六年に没する。

岡野貞一作曲 題名をクリックするとイメージ風景

月日 題名 歌詞 背景その他
3月1日 ふるさと 兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川 夢は今もめぐりきて 忘れがたきふるさと   画像は鳥取城址の二の丸
NHK後世に残したい曲第2位
3月2日 春が来た 春が来た春が来た どこに来た山に来た 里に来た 野にも来た イメージは船岡町天満山公園
鳥取市修立小学校に音楽碑
3月3日 春の小川 春の小川はさらさらいくよ 岸のすみれやれんげの花に すがたやさしく色うつくしく 咲いているねと ささやきながら NHK後世に残したい曲第9位
イメージは大山山麓淀江町 壺瓶山
3月4日 おぼろ月夜 菜の花畠に入日薄れ 見渡す山の端霞ふかし 春風そよふく空を見れば 夕月かかりて におい淡し NHK後世に残したい曲第4位金田一春彦氏曰く、全く非の打ち所ない名曲
イメージは八東川を中心とした風景

3月5日 もみじ 秋の夕日に照る山もみじ 濃いも薄いも数ある中に 松をいろとどる楓や蔦は 山のふもとの裾模様 全国的に知られた名曲。
イメージは智頭町芦津渓谷
-ここの紅葉は抜群
3月6日 日の丸の旗 白地に赤く 日の丸染めて ああうつくしや 日本の旗は 素直にして純粋な歌詞、歌に誇りをもちたいものだ
3月7日 桃太郎 桃太郎さん桃太郎さん お腰につけたキビ団子 一つ私にくださいな 我々の年代の忘れ得ぬ歌。
3月8日 銀杏散る 孤独-ひとり-をしたい今日も来し 思出多き丘の上-え-に 入日に燃えてそそり立つ 秋をほこりの大銀杏 イメージは青谷町 子守神社の銀杏
3月9日 夕やけ 山のふもとの おちかたは 雲雀さえずる青野原 声ははるかに 夕暮の 空もおぼろに 花ぐもり イメージは東郷湖
3月10日 雲の秋 さやけく澄める 秋空の 空の片方の朝の曇 遠き氷河を思わする 淡きかたちに整いて月さえ白く残るとき いや秋は深し 曇の秋 イメージは佐治村 山王渓谷一帯
3月11日 行く春 見はてぬ夢のあと追うおもい 名残はつきぬ春の別れや 散りゆく花の一片にさえ 淡き憂いのなずさわるかな イメージは鹿野町 城山公園一帯
3月12日  お日さまがみつけたもの お日さまがみつけたものは まやのまぐさに赤い花 眠る仔馬の耳の蝿 イメージは中山町 一息坂峠から見た風景

岡野貞一その他の作曲唱歌ーー
三才女・七つの卵・雪の上の鴉・橘中佐・広瀬中佐・児島高徳・水師営の会見・富士山・冬景色・池の鯉・鎌倉など日本人に愛された数々の名曲を残している。

タイトル

田村虎蔵(たむら とらぞう) ●プロフィール
明治六年、岩美郡岩美町馬場に生まれる。二十五年に鳥取県尋常師範学校を卒業し、因幡高等小学校に赴任するが、同年九月、東京音楽学校に進学する。明治二十八年卒業後、兵庫県尋常師範学校を経て、三十二年に東京高等師範学校兼東京音楽学校助教諭となり、ここで、音楽教育の改草を次々と行う。『言文一致唱歌』を提唱し、児童の発声法の改善を唱え、鑑賞教育の必要性を強調したことである。七十年前にこれらの改革を提唱し推進した、わが国音楽教育の偉大な先駆者であるだけでなく、今もなお愛唱されている数多くの唱歌の作曲者として著名である。音楽教育と作曲の分野だけでなく、東京市視学として行政面でも手腕を振っている。 昭和十八年に没する。
3月13日 大黒さま 大きな袋を 肩にかけ 大黒さまが きかかるとここは 因幡の白兎 皮をむかれてあかはだか 鳥取市 白兎海岸・白兎神社一帯
3月14日 きんたろう まさかりかついできんたろう くまにきたがりおうまのけいこ ハイシィドゥドゥ ハイドウドウ ハイシィドウドウハイドウドウ イメージは岩美町 町民いこいの里
3月15日 はなさかじじい 裏の畠でポチが鳴く 正直じいさん掘ったれば 大判小判がザクザクザクザク イメージは日吉津村のチューリップ畑
3月16日 山陰鉄道唱歌 海の景色を眺めつつ 浜坂居組はやすぎて ここは因幡の岩美駅 岩井温泉ほど近し イメージは跨線橋から見た米子駅構内
3月17日 浦島太郎 浦島太郎は亀に乗り 波の上やら海の底 鯛しびひらめ鰹さば 群がる中を分けてゆく イメージは大山と弓ヶ浜
3月18日 大江山 けらいは なだかき四天王 山伏姿に身をやつし 険しき山や深き谷 道なき道を切り開き イメージは鹿野町 鷲峰山
3月19日 したきりすずめ 正直じいさんつえついて 舌きりすずめおやどはどこか「宿はここよ チェッチェッチェ イメージは倉吉市 打吹山・打吹公園一帯
3月20日 大寒小寒 おおさむこさむ冬の風 あれあれからすが四ッ五ッ かあかあかあと ないて行く あれはねぐらに帰るのか イメージは中山町 一息坂峠から見た風景
3月21日 うさぎ うさぎさんうさぎさん おまえの耳はどうしてそんなに長いの 耳よ耳よ私の耳はかすかな音も聞こえるために イメージは江府町 御机地区
3月22日 せみ 梢の花は みな散り果てて 庭に青葉の繁る頃 土の中より 這い出して 夏が来たぞと歌うはセミよ イメージは樗谿公園界隈

田村虎蔵その他の作曲
寸法師、虫の楽隊、小さな星、青葉の笛、妙義山、うぐいす、とんぼつり、海辺、虹、おひなさま、菊の花、

タイトル

永井 幸次(ながい こうじ)●プロフィール
 明治七年、鳥取市西町に生まれる。クリスチャンの父の影響で、教会で讃美歌やオルガンにふれ、音楽の素養を身につける。
 明治二十九年に東京音楽学校を卒業し、静岡県師範学校を経て、三十三年に鳥取県師範学校に赴任する。鳥取中学校と鳥取高等女学校も兼務し、合唱とオルガン演奏を指導する。
 明治三十八年、神戸市立中宮小学校に出向する。後に大阪府立高等女学校に転任し、このころから、外国の教科書の研究、音楽教科書の自主編さん、作曲などを行う。
 大正四年、私立大阪音楽学校設立の認可を受け、関西で最初の音楽学校を創設する。以後、校地や制度の整備を進め、昭和三十三年には大阪音楽大学に昇格させる。
 生涯の理想を実現する一方で数多くの唱歌や合唱曲を作曲し、楽譜を出版する。
 昭和四十年に没する
 3月23日 五一じいさん ざぶざぶ落ちる水の音 トントン響く杵の音 年が年中休まない五一車は休まない イメージは淀江町 天の真名井名水百選「天の真名井」も湧き出ている。
3月24日 夕やけ ゆうやけこやけ 西の海が光る 赤い波白い波 キラキラキラキラ キラキラ イメージは気高町 龍見台
3月25日 春の山路 たのしやたのしや春の山路 みねよりみねへと ひとすじの道 右も左も若葉にもゆる 木々の梢のすがすがしさよ 緑の露はしたたるばかり イメージは中山町 報恩峠
3月26日 ことしは柿のあたり年 おし゜いさんから頂いた 裏の大事な柿の木も 枝が折れるほど実がなった イメージは日南町 ふるさと日南邑
3月27日 町の朝 朝まだ早い町の中 すずしい鈴の音たてて新聞配達 かけて行く イメージは御来屋大橋から見た山陰本線
3月28日 海へ 軒を並べた港の家々 だんだんちさく浜の松原 磯の小山もしだいに遠く 海へ海へ海へ いままさに 船はいで行く 海へ海へ イメージは境港市 境港公共マリーナ付近山は大山
3月29日 山家の雨(やまが) 静かに雨がふる 静かに雨がふる 窓より見ゆる かしこの岡 うねうね続くかなたの山 遠くけむりて ほのかにくらし イメージは大栄町 妻波下堤付近から見たすいか畑
3月30日 宵の星 すっかり暮れた向こうの空に チラチラ光る宵の星 なにやら話がしたそうな イメージは佐治村 さじアストロパークから見た夜空

永井幸次その他作曲
白うさぎ、まわりつこ、ささ舟、山彦、希望、かみなりさま、お窓、 きょうだい、春、象、一軒屋、飛行機

三木露風生母
三木露風は「赤トンボ」の作詞者として著名である。作曲はあの山田耕作であり残したい唱歌の第一番である。三木は鳥取県出身者ではないが、
三木の生母鳥取藩家老、和田邦之介の次女である。無関係ではないので最後にご披露する。

3月31日 赤トンボ 夕やけ小焼けの赤トンボ おわれてみたのはいつの日か イメージは日南町 阿毘縁地区周辺