美しい日本   卯月・うづき    古今和歌集1.
うづき、卯月は、待ち遠しいかった春本番である。染井吉野桜が普及したが、日本古来の歌に詠まれた桜は、やま桜花である。「敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山さくらばな」と歌ったのは本居宣長であつた。私も桜は、楚々として咲く山さくらを好む。日本情緒の分からぬ世代となって来たが、800年間、和歌の最高峰と言われる古今和歌集にて短歌の世界を通して日本情緒に触れてみたい。その片言隻句も金科玉条と言われた。繊細な感情を沈静し情趣豊かに洗練された歌風は、強い感情の万葉集と異なり文化の発展を私は見て取る。
仮名序--かなはじめ

4月1日 やまとうたは、人の心を種として、よろずのことのはとぞなれりける。世の中にある人、ことわざしげきものなれば、心に思うことを見るものきくものにつけていひいだせるなり。花になくうぐひす水にすむかはづの声きけば、いきとし生けるもの、いずれか歌をよまざりける。 和歌の本質論。人の心を種として歌を芽生えた葉になぞらえてという。
4月2日 ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるはうたなり。 効果論力を用いないで天地、神、鬼を感動させたり、男女の親密を深め、武士の心を和やかにさせるのは歌。日本流の源泉。
4月3日 このうた、あめつちのひらけはじまりける時よりいできにけり。しかあれども、世につたはることは、ひさかたのあめにしてはしたてる姫にはじまり、あらがねのつちにしては、すさのおのみことよりぞおこりける。ちはやぶる神世には、うたのもじもさだまらず、すなほにして事の心わきがたかりけらし。人の世となりて、すさのおのみことよりぞ、みそもじあまりひともじよみける。 天地開闢の時から歌はできている。天上界では下照姫-大国主の娘。地上界ではスサノオ尊から。スサノオから三十一文字となる。本邦最初の歌はスサノオの詠んだ「八雲たつ出雲八重垣つまごめに八重垣つくるその八重垣を」
4月4日 かくてぞ花をめで、とりをうらやみ、かすみをあはれび、つゆをかなしぶ心ことばおほく、さまざまになりける。とほき所もいでたつあしもとよりはじまりて年月をわたり、たかき山もふもとのちりひぢよりなりて、あまぐもたなびくまでおひのぼれるごとくに、このうたもかくのごとくなるべし。 さざれ石が磐石となり苔までという積極的なものは日本固有の思想。歌もその通りという。
(インドは大磐石が次第に減るの国民性あり。)
4月5日 そもそも歌のさまむつなり。唐の歌にもかくぞあるべき。その六くさのひとつには、添え歌、おおささぎのみかどをそへたつまつれる歌--仁徳天皇 難波津に咲くや木の花冬ごもり今は春べと咲くや木の花
天皇の御代の初めを寿いだもの。むくさ=六義-・賦・比・興・雅・頌の風にあたる風諭の表現法
4月6日 ふたつには、かぞへうた--比喩を用いないもの。
さく花におもひつくみのあぢきなき身にいたづきのいるもしらずて
ありのままに詠む歌。にあたる
4月7日 みつには、なずらえ歌
きみにけさあしたのしものおきていなばこひしきごとにきえやわたらむ、
といえるなるべし。
私を家におきざりにして行ってしまったら、私はあなたを恋しく思う度に、消え入るように嘆き続けるであろう。物になぞらえて詠む歌を、なずらえ歌という。六義のにあたる。
4月8日 よつには、たとへ歌
わが恋はよむともつきじありそうみのはまのまさごはよみつくすとも
第四は喩-たとえ-歌。草木、鳥獣に託して所懐を述べるもの。六義のにあたる
4月9日 いつつには、ただことうた。いつはりのなき世なりせばいかばかり人のことのはうれしからまし、といえるなるべし。 第五は、直叙歌である。比喩を使わず直叙の表現歌、六義のに相当。
4月10日 むつには、いはひうた。
このとのはむべもとみけりさき草のみつばよつばにとのづくりせり
祝歌。この邸宅はいかにも富んでいる。三重にも四重にも殿作りしての意。六義の
4月11日 今の世の中いろにつき、人の心花になりにけるより、あだなるうた、はかなきことのみいでくれば、いろごのみのいへに、むもれ木の人しれぬこととなりて、まめなるところには、花すすきほにいだすべきことにもあらずなりにたり。 人々が内容より表現を重んじ、人の心が華やかとなり、内容の乏しい歌や、趣味的な歌ばかり。(変遷論)
4月12日 そのはじめを思えば、かかるべくなむあらぬ。古の世々の帝、春の花にあした、秋の月の夜ごとに、さぶらふ人々を召して、ことにつけつつ歌を奉らしめ給ふ。あるは花をそふとて、たよりなき所にまどひ、あるは月を思うとて、しるべなき闇にたどれる心心を見給ひて、さかしおろかなりとしろしめしけむ。 しかあるのみにあらず、さざれいしにたとへ、つくば山にかけてきみをねがひ、よろこび身にすぎ、たのしび心にあまり、ふじのけぶりによそへて人をこひ、松虫のねにともをしのび、たかさご、すみの江のまつもあひおひのやうにおぼえ、をとこ山のむかしをおもひいでて、をみなへしのひとときをくねるにも、うたをいひてぞなぐさめける。(変遷論)
4月13日 叉春のあしたに花の散るを見、秋の夕暮にこのはのおつるをきき、あるはとしごとにかがみのかげに見ゆる雪と浪を嘆き、草のつゆ水のあはれを見てわが身をおどろき、あるはきのふはさかえおごりて時を失ひ世にわび、したしかりしもうとくなり、あるは松山の浪をかけ野なかの水をくみ、 秋はぎのしたばをながめ、あかつきのしぎのはねがきをかぞへ、あるはくれ竹のうきふしを人にいひ、よしの河をひきて世の中をうらみきつるに、今はふじの山も煙たたずなり、ながらのはしもつくるなりときく人はうたにのぞみ心をなぐさめける。
4月14日 いにしへよりかくつたはるうちにも、ならの御時よりぞひろまりける。かのおほむ世や、うたの心をしろしめしたりけむ。かのおほむ時に、おほきみつのくらい柿本ひとまろなむ、うたの聖なりける。これは君も人も身をあはせたりといふなるべし。 秋の夕べ、滝田河にながるるもみじをば、帝のおほむめににしきと見たまひ、春のあした、吉野の山の桜は、人まろが心にはくもかとのみなむおぼえける。(歌聖評)
4月15日 山の辺のあかひとといふ人ありけり。うたにあやしくたへなりけり。人まろはあかひとがかみにたたむことかたく、あか人は人まろがしもにたたむこと、かたくなむありける。(歌聖評) 山辺の赤人「立田川紅葉乱れて流るめり渡らば錦中や絶えなむ」人麻呂「梅の花それとも見えず久方のあまぎる雪のなべて降れれば」
4月16日 この人々をおきて、叉すぐれたる人も、くれ竹の世々にきこえ、かたいとのよりよりにたえずぞありける。これよりさきのうたをあつめてなむ、万えふしふとなづけられたりける。 万葉集選集のこと。この人々は柿本人麻呂、山辺赤人。くれ竹は「よ」にかかる枕詞。
4月17日 ここにいししへのことをも、うたの心をもしれる人、わずかにひとりふたり也。しかあれど、これかれえたるところうぬところ、たがひになむある。かの御時よりこのかた、年はももとせあまり世は とつぎになむなりける。いにしへの事をもうたをも、しれる人よむ人おほからず。いまこのことをいふに、つかさくらいたかき人をば、たやすきやうなればいれず。六歌仙評)--歌の本質を知る人は少ないの意。
4月18日 そのほかにちかき世に、その名きこえたる人すなはち、僧正遍照はうたのさまはえたれども、まことすくなし。たとへばえにかけるを見て、いたづらに心をうごかすがごとし。 在原の業平は、その心あまりてことばたらず。しぼめる花のいろなくてにほひのこれるがごとし。
4月19日 ふんやのやすひでは、ことばはたくみにて、そのさま身におはず。いはばあき人のよききぬきたらしむがごとし。 文屋康秀の歌のこと。技巧的な表現は賎しい商人が立派な着物を着るが如し。
4月20日 宇治山のそうきせんは、ことばかすかにして、はじめをはりたりしかならず。いはば秋の月を見るに、あかつきのくもにあへるがごとし。 喜撰法師の歌のこと。表現が微妙で不明確と
4月21日 をののこまちし、いにしへのそとほりひめの流なり。あはれなるようにてつよからず。いはばよきをうなのなやめる所あるににたり。つよからぬはをうなのうたなればなるべし。 小野小町。しみじみと情趣は深いが強くない。素晴らしい女の病むがごとし。
4月22日 おほとものくろぬしは、そのさまいやし、いはばたきぎおへる山びとの花のかげにやすめるがごとし。 大伴黒主の歌は、姿がみすぼらしい。
4月23日 このほかの人々、その名きこゆる、野辺におふるかづらのはひろがり、はやしにしげきこのはのごとくにおほかれど、うたとのみ思ひてそのさましらぬなるべし。 上述の6人以外にも知られた人あるが歌の本質は知らぬようだ。
4月24日 かかるに、いますべらぎのあめのしたしろしめすこと、よつの時ここのかへりになむなりぬる。あまねきおほむうつくしみのなみ、やしまのほかまでながれ、ひろきおほむめぐみのかげ、つくば山のふもとよりもしげくおはしまして、よろづのまつりごとをきこしめすいとま、もろもろのことをすてたまはぬあまりに、いにしへのことをもわすれじふりにしことをもおこしたまふとて、いまも見そなはし、 のちの世にもつたはれとて、延喜五年四月十八日に、大内記きのとものり、御書-みふみ-のところのあづかりきのつらゆき、さきのかひのさう官おほしかふちのみつね、右衛門の府生みぶのただみねらにおほせられて、万えふしふにいらぬふるきうた、みずからのをもたてまつらしめたまひてなむ。(古今集撰集)
4月25日 それがなかにむめをかざすよりはじめて、ほととぎすをきき、もみじををり、雪を見るにいたるまで、叉つるかめにつけてきみをおもひ人をもいはひ、秋はぎ夏草を見てつまをこひあふさか山にいたりてたむけをいのり、 あるは春夏秋冬にもいらぬくさぐさのうたをなむ、えらばせたまひける。すべて千うたはたまき、名づけてこきむわかしふといふ。(歌集の部類)
4月26日 かくこのたびあつめえらばれて、山した水のたえず゛、はまのまさごのかずおほくつもりぬれば、いまはあすかがはのせになるうらみもきこえず、さざれいしのいはほとなるよろこびのみぞあるべき。それ、まくらことば春の花にほひすくなくして、むなしき名のみ、秋の夜のながきをかこてれば、 かつは人のみみにおそり、かつはうたの心にはぢおもへど、たなひびくくものたちい、なくしかのおきふしは、つらゆきらがこの世におなじくむまれて、このことの時にあへるをなむよろこびぬる(撰集後抱負)
4月27日 人まろなくなりにたれど、うたのこととどまれるかな。たとひ時うつりことさり、たのしびかなしびゆきかふとも、このうたのもじあるをや。あをやぎのいとたえず、まつのはのちりうせずして、まさきのかづらながくつたはり、 とりのあとひさしくとどまれらば、うたのさまをもしり、ことの心をえたらむ人は、おほぞらの月を見るがごとくに、いにしへをあふぎていまをこひざらめかも仮名序おわり
4月28日 古今集の内容と組織に関して。古今集は序と歌集からなる。 序には仮名序と真名序とある。筆者は貫之と淑望。
4月29日 仮名序には、歌学論ー本質論・起原論・歌体論・変遷論とあり、
撰集論ー万葉集撰集・古今集撰集に分別。
和歌歌謡に二大別。和歌ー表現態度によりー有心体と無心体に二分別。有心体ー短歌・長歌・旋頭歌に三分別。短歌以外を雑体、短歌はー自然・人事に二分別し更に細分配列。
4月30日 巻ー春歌上。巻二春歌下。巻三夏歌。巻四秋歌上。巻五秋歌下。巻六冬歌。巻七賀歌。巻八離別歌。巻九羇旅。巻十物名。 巻11-15恋歌。巻16哀傷歌。巻17雑歌。巻18雑歌下。巻19雑体。巻20神、神楽歌、翻物歌、御贄歌、東歌。加茂祭歌。(古今集の構成)