韓国論
徳永圀典殿
前略 先日の京都清遊、楽しい思い出になりました。
帰途四条河原町の古書店に立ちより、昭和63年版の植田重雄著「秋そう道人、会津八一の生涯」を買い求め,取り憑かれたように読んでいます。若いころに八一の「鹿鳴集」に魅せられて、歌集を携えて奈良の寺を回り、彼の素晴らしい書を書き写したり,全集や随筆集も揃えましたが,この伝記を読んで,さらに感激を新たにしているところです。

しかもこの著者の文章は、漢学の素養も豊かで、東洋や西洋の歴史の薀蓄も深く、格調高い文章で、素晴らしいの一言に尽きます。こんな文章ガ書けたらいいなあと、うらやましく思っています。
ところどころ書かれている名文や、漢詩などをノートに書き写そうとおもっています。
 
感激したことと言えば、今回の貴殿のコラム「真の友好国となるために」も、素晴らしいと思います。 よく調べられて近代史観点から日韓問題を捉えられており、現在の官僚やマスコミが、わが国の主権をなお去りにしていることを、いつも残念に思ってる一人です。貴殿が根本的な問題点を指摘され、今後の方向を示唆されたことに喝采します。

朝鮮国はもともと漢民族の支配下に成立し、独立後も朝鮮国王は皇帝を称することが許されず、長らく「王」として中国皇帝の冊封を受けて来ました.それでも日本に対しては自尊心が強く、朝鮮
の「三国史記」でも、両国の関係は古代から複雑すぎます。

韓半島は地政学的に、日本と中国の民族・文化の橋渡しをして、友好を保ってきました。倭寇に対しても日本国には抗議せず、秀吉の侵略の後も江戸幕府になってから、通信使で友好を重ねて着ました。おかしくなったのは明治の初めからで、それも明治政府の国交樹立の申し出でに、今まで接触してきた徳川幕府でないために交渉相手としなかったことに西郷隆盛が激怒させてからです。

保守頑迷な当時の朝鮮王朝の側近が、いち早く開国した日本を蔑視したからです。朝鮮併合も世界情勢に対する認識の内部分裂が一因と考えられ、ぜひ当時の歴史を調べられて教えてください。 

それにしても、日本には教科書問題を声高く取り上げておりながら、自国の教科書では日本に偏向的な記述をしてはばからず、それを指摘すれば内政干渉だという。その姿勢に対し戦後の著名な歴史学者も反論するどころか、曲学阿世の徒となっているのが残念です。その姿勢が我慢ならず、書き始めたのが゜「古代史試論」です。いづれ韓国との関係を書くつもりです。

半島の橋梁的な立地、そして歴史的に中国に対する事大主義、あれほど儒教からの呪縛から脱し得なかったのも、その現れです。それに党派性の強いのも民族の特色とされています。党派が分かれるのも主義主張ではなく、地域的、血縁的です。それは五世紀の新羅・百済・高麗の三国時代から続いています。百済は日本に友好的で、その百済に対して新羅は蔑視的であり、新羅は日本に敵対的で、高麗に対しては服従的であり、その残滓は遠く千年以上も引きずっています。それは現在の韓国内部、対北朝鮮、対日に対する姿勢にも見られます。

日本は過去朝鮮から、いろんな大陸文化を受け入れてきました.ところがその文化受容も朝鮮海峡に目に見えないスクリーンがあって、受け入れがたいものは対馬から通さず、受け入れたものも日本独自の文化・芸術に作り上げて着ました。先般京都で説明しました{お能」にしても、中国ー朝鮮ー日本へと渡ってきましたが、日本ではあれほど幽玄なものに高めています。空海の密教にしましても、日本古代の呪術的山岳宗教と融合して、日本だけに残って発展してきました。それには恵まれた日本の風土に育てられているのです。何よりも緑豊かな山があり、その自然からわれわれ日本人は、
生活はもとより情緒、思想にも大きな恵みを与えてくれたからでしょう。韓国人の考え方と日本人の考え方の差は、その風土の差にあるかもしれません。
長文になりましたので、筆を措きます。ますますのご活躍を祈ります。
   平成15年5月11日   森川礼次郎
 
 
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