6月--今日の格言・箴言14  老子 
世俗の価値観を超越した、無為自然の世界を展開していると言われる老子を私がご披露するのは、些か気が引ける。シナ古代の民衆の思想としてシナ社会の底辺を支えてきた道教の中核が老子と荘子であると認識している。何物にもとらわれない自由な発想と柔軟さは、熾烈な現代を生きる者にとっても役立つものがあると確信する。

6月1日 道の道とすべきは常の道にあらず
(第一章)
老子冒頭の語。道だと説明できるような道は本物に非ず。万物を成立させている根源が道。大きい働きだが聊かも自己主張しない、そのようなものを体得すれば、厳しい現実をしなやかに生きられると老子はいう。
6月2日 善く道をおさむる者は、微妙玄達、深くして志るべからず。
(第十五章)
底しれない味のあるのが道の体得者。深さは測り知れぬ。1.慎重そのもの。2.用心深い。3.端然としてる。4.こだわりがない。5.飾り気がない。6.包容力に富む。7.広々としてる。天衣無縫か融通無碍か漠としてとらえどこがない。それでいて一本芯が通っている。
6月3日 希言は自然なり。
(第二十三章)
希言とは寡黙の意。寡黙こそ自然のありよう、無為自然の道に合致しているという。人間の賢しらなど長続きするわけがない。
6月4日 跂-つまだ-つ者は立たず。自ら矜-ほこ-る者は長からず。
(第二十四章)
背伸びして爪先で立とうとすれば足元が定まらぬ。自分の功績を鼻にかければ足を引っ張られる。プライドは心の中に秘めておきたい。
6月5日 善くする者は果たして己-や-む。以って強を取ることなし。
(第三十章)
戦上手は目的達成したらさっさと矛を収め、無闇に強がることはしない。強いものは必ず衰える、なぜなら自然に反しているからだ。
6月6日 大方は隅なし。大器は晩成す。大音は希声なり。大象は無形なり
(第四十一章)
大器晩成の出典。この上なく大きい四角は角張って見えない、完成するのも遅い、耳で聞き取ることができない、目で見る事もで着ない。人間も一見凡庸そうな人物のほうが可能性を秘め持つ。
6月7日 足るを知れば辱-はずかし-められず、止るを知れば殆-あや-うからず。
(第四十四章)
控え目にしておけば辱めを受けない。止まることを心得ておれば危険はない。人生の達人の生き方であろうが・・。
6月8日 その光を和-やわら-げ、その塵に同じうす。
(第四章)
有名な和光同塵。道は形のない空虚な存在であるが、働きは無限。計り知れない深みの中に万物を生む力を秘めている。とげとげしさを消し対立を解消し、才知を包み込んで世俗と同調する。光という才知をギラギラさせないで世俗という塵と同じように生きればしぶとく生き残れる。
6月9日 聖人はその身を外にして身存す。
(第七章)
聖人は人から立てられる。自分を度外視してかかるので、かえって人から重んじられる。自分を捨ててかかるので自分を生かすことができる。捨身即光明か。捨てて勝つか
6月10日 上善は水の如し。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に居る。
(第八章)
水の特徴1.相手に逆らわないで、いかようにも形を変える柔軟性。2.あらゆる生命に大恩恵を与えながら自分は低いほうへと流れ謙虚である。3.それでいて急流ともなれば堅い岩石でも打ち砕く力を秘めている。
6月11日 功遂げ身退くは、天の道なり。
(第九章)
なぜ身を退くのか、功績や名誉を全うすることが出来るからだ。極盛の中に転落の兆しを見てとるのだ。盈れば即ち損ず。
6月12日 有の以って利をなすは、無の以って用をなせばなり。
(第十一章)
有が有として成立するには、その裏に無の働きがあるからだ。多面的な価値観には無の面にも目を向ける必要。
6月13日 愛するに身を以って天下となせば、以って天下を寄すべきが如し。(第十三章)
安心して天下を託せるのは老子によると、なによりもまず自分を大切にする人だという。どんな事態に追い込まれても、慎重に行動する。冒険をおかしたり、ジタバタ動きまわらない。そんな人物こそ頼りがいがあるのだ。思慮深く、慎重な態度を形容した「戦々恐々として深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し」のタイプであろうか。
6月14日 太上-たいじょう-は下-しも-これあるを知る。その次は親しみてこれを誉む。その次はこれを畏る。その下はこれを侮る。
(第十七章)
指導者を四等級に分類。最高のランクは、部下から存在する事さえ意識されない。部下から敬愛される指導者はそれより一段劣る。これより劣るのが部下から恐れられるの。最低は部下からバカにされる指導者。
6月15日 大道すたれて、焉-ここ-に仁義あり。智慧出でて焉に大偽あり。
(第十七章)
老子の逆説的な表現。ある論調が盛んなのは、その論旨が失われたればこその現象という。根本が失われているからその論調が盛んとなる。根本とは道である。
6月16日 聖を絶ち智を棄つれば、民利百倍す。仁を絶ち義を棄つれば、民、孝慈に復す。巧を絶ち利を棄つれば、盗賊あることなし
(第十九章)
政治のありよう。才知をひけらかさなければ、人民の生活は安定。仁義をふりまわさなければ、人民は道徳意識をとりもどす。利益の追求に走らなければ、盗みを働く者はいなくなる。共産主義国、中国人を見ていると、唖然としてくるが。
6月17日 学を絶てば憂いなし。
(第十九章)
知識に囚われなければ悩みは生まれない。学ぶべきは原理原則である。これは確り身につけたほうがいい。
6月18日 -い-と唖-あ-と、その相去ること幾ばくぞ。美と悪と、その相去ることいかん。
(第二十章)
道の会得者から見ると、あるゆるこの世の事物、価値観は凡て相対的で固執する価値はない。老子はハイとウンとにどれ程の違い、善と悪にどれほどの違いがあるというのかという。目くじら立ててツマラヌ事を騒ぎ立てるのは過ぎ去って見ると、何か虚しい。
6月19日 孔徳の容-かたち-は、ただ道にこれ従う。
(第二十一章)
孔徳とは大きな徳、それには道と一体化が必要。ぼやぼやっとした、掴まえ所のない大きなものてであるらしい。眼前の雑務に一喜一憂しない、道とは微かなおぼろげな、奥深い霊妙なエネルギーが秘められているらしい。
6月20日 曲なれば則ち全し。枉-おう-なれば則ち正し。
(第二十二章)
曲がっているからこそ、生命を全うすることが出来る。屈しているからこそ、伸びることが出来る。自分を是としないから人から認められる。誇示しないから立てられる。誇らないから讃えられる・鼻にかけないから尊敬される。争わないから争いをしかけられない。
6月21日 軽ければ則ち本を失い、さわがしければ則ち君を失う
(第二十六章)
トップへの言葉。軽軽しく振舞うと国政を破綻させ、やたらに動けば王位まで失う。「君子重からざれば、威あらず」ゆったり構えて心をうごかすな。
6月22日 まさに天下を取らんと欲してこれを為すは、吾、その得ざるを見るのみ。
(第二十九章)
戦国乱世の葛藤で次々に倒れて行くのを見た老子は、悠久の流れに身をゆだねて、自然のままに生きるのが、乱世を生きるしたたかな智慧と感じたのであろう。
6月23日 たとえば道の天下に在るは、なお川谷ーせんこくーの紅海をともにするがごとし。
(第三十二章)
道とは原木のこどしだと。道も同じで用途が限定されておらず無限の働きが可能。
6月24日 人を知るものは智なり。自らを知るものは明なり。
(第三十三章)
智も明も洞察力、孫子にも「彼を知り己を知らば百戦あやうからず」人生の厳しい局面を切り抜けるにも必要。
6月25日 甚だ愛すれば必ず大いに費-つい-え、蔵すれば必ず厚く亡-うしな-う。
(第四十四章)
地位や財産は到来もの、やってくれば有り難く頂くが、いやというものまで敢えて追いかけない。そんな生き方を心掛ければ達人のレベルに近づけるかもしれない。
6月26日 大巧は拙なるが如く、大弁は訥なるが如し。
(第四十五章)
技巧を磨き上げる、その先には、自然そのままの姿、稚拙に見えるのが技巧の極地か。真の雄弁は訥弁とかわらぬ。
6月27日 清静にして以って天下の正たるべし。
(第四十五章)
清静とは無為自然、老子の政治哲学の結語。上の指示少なく、政策は積極的にしないで民間活力にまかす。時代の相違であろうが時と場合には有力な手法である。
6月28日 大道廃れて、焉-ここ-に仁義あり。智慧出でて焉に大偽あり。
(第四十八章)
大なる道が失われると、やれ仁だ、やれ正義だと声高に騒がしくなる。こざかしい人間の知恵がのさばりだすと、大きな虚偽が蔓延る。真贋の洞察が必要。
6月29日 善く行く者は轍迹-てっせき-なし。善く言う者は瑕適-かてき-なし。善く数うる者は籌策-ちゅうさく-用いず。
(第二十七章)
行動するにしても動いた跡を残さぬ、発言するにしても乗ずる隙がない、計算するにしてもソロバン不必要。これは道と一体化した名人巧者の人。与えられた責任を淡々と果たす事を心掛けるだけでよいのでは。
6月30日 聖人は、無為の事に居り、不言の教えを行なう。
(第二章)
老子のいう聖人とは「道」を体得した人。理想的な為政者の意味合いが多い。「万物を自然の成長にまかせて、自ら手を加えない、見返りを期待しない、功績を鼻にかけない、だから何時までもその地位を失わない。」

ご閲覧に感謝して6月を終わります。有難うございました。平成15年6月30日 徳永圀典