「支那」という言葉に関して

私達、昭和一桁は戦前からお隣の国、中華民国を支那-シナ-と呼んでいた。戦後、何時の間にか支那と呼ぶ事が憚られるような雰囲気を感じていた。不思議である。何故、そう呼べないのであろうか。

1. 徳川時代の儒学全盛期以来に日本人は使用している。

2. 英語のchina、ドイツ語のヒーナ、フランス語のシーヌ、何れも最初の統一王朝「秦」の「Ch‘in」に由来するらしい。この同様な国際的呼称が、日本語では「支那」である。

3. 聖徳太子は「日没する国」と隣国を呼び、叉17世紀の初め頃からわが国知識層での呼び名「支那」が定着したらしい。隣国は大国であり、そこには寧ろ、畏怖憧憬、尊崇の念が込められていたと指摘されている。

4 .  私にも記憶があるが、明治から昭和初期の日本人が、大国でありながら、欧米列強にいいようにされ、不甲斐無いこの国を「支那、支那」と侮蔑した感情があった事は事実であろう。

5.支那と呼ばないようにさせているのは、この戦前派の中国人が当時のその印象を嫌がると思い、日本のオベッカのゴマすりの進歩的文化人とかいう連中、NHKや朝日新聞などの中国寄りのゴマすり反日連中が、言いがかりをつけているのではなかろうか、あくまでも推測だが。中国から正式に抗議があったとは愚生も記憶がない。

6. 中国と言う呼称は、この国の独特の中華思想によるものである。自分たちの領土を世界の中心として考え、日本で言えば「葦原の中つ国」の語感である。古代のこの支那の周辺国は、北は夷とか匈奴とか南は蛮、日本などは倭とか言われて侮蔑的な呼称をいわれ続けていたのだ。卑弥呼など蔑称の響きがあるのだ。白髪三千丈式の誇大癖のあの国の習性を間違えてはならぬ。南京虐殺30万人などその謂いである。

7. 朝鮮などは、その支那へ朝貢した国であり支那を宗主国とした。日本は、聖徳太子が「書を日没する国へ、恙無きや」と対等の関係を歴史的に維持してきた。

8.  私も同感だが、現在の共産主義国、華人民共和から取った中国なら理解するが、先述の「中つ国」の意味の中国では絶対に受け入れ難いのである。それが見識というものであろう。

9.漢民族4000年による中華思想というが、「清」などは漢民族以外の「化外の民」による政権である。漢民族4000年の居住地域を指す時は、間違いなく支那が正しいのであるらしい。叉、黄河・長江の流域に栄えた文化は「支那文化」、その彼らが生み出した文物書画は「支那の書物・支那の絵」である。

10.   今の中国は共産大国であり明快に「中華人民共和国」と呼ぶのが正しい。中国と称しても尊敬の意味は全くない。

11.  結論は「支那」と呼んでどこも悪くない。