8月--今日の格言・箴言16  武士道
武士道、成文化されたものは元来ない。1900年、米国にて、当時国際連盟事務次長をしていた新渡戸稲造が英文で著作し世界17ケ国に翻訳されたものである。当時国際的に大反響を起こし多くの欧米人に「日本人の魂」として読まれた名著である。米国26代大統領の、セオドール・ルーズベルトは深い感動を受け「日本文化を知る最良の書」と言った。戦後の日本人は、今こそ、これに触れて祖先の偉大なる魂を呼び戻すべきであろう。
新渡戸稲造は明治17年-1884年、22才で渡米した。米国人に日本の宗教教育に関して質問をうけた事が契機となり新渡戸は日本人の道徳観念のルーツを思索した。アメリカ人の妻から日本人の物の考え方行動様式の質問を受けていた。それをもとに「武士道」を出版した。新渡戸によると、武士道とは、日本の長い歴史の中で神道を基盤として、仏教や儒教を受け入れつつ形成された道徳であり、日本人の倫理の源泉である。この書物にはバイブルやギリシャ・ローマの古典などが豊富に引用されており日本が日清戦争、日露戦争に勝利した精神力の源泉であるとされ世界中から注目され各国語に翻訳された。新渡戸は後に国際連合事務次長として活躍、昭和天皇の思し召しもあり日米関係の修復に尽力している。その高潔な人格は「心に真理を秘めた古武士」として世界中から人々の尊敬を集めた。平成15年8月1日 徳永圀典
BUSHIDO:
The soul of japan is an amazing book in many respects. Written in Eiglish and published in the UNITED STATES in 1900,within a few years it had been translated into Japanes and seven other langages. It became an international best-seller,and found such favor with President Theodore Roosevelt that he gave copies to friend to read it.It proved so popular that this tenth,revised and enlarged edition was published 1905. BUSHIDO has endured to the present day sa a significant cross-cultural and cross theological comparison of Christian and non-Christian belief systems. Now ,in the words of Prof.George M.Oshiro,"as we look around ourselves and see signs of moral confusion everywhere ,it is time to reread BUSHIDO,and to take to heart its lessons on living a noble life"

8月1日 「義」と「勇」。林子平曰く、「勇は義の相手にて裁断の事也。道理にまかせて決定して猶予せざる心を言う也。死すべき場所にて死し、討つべき場にて討つ事也」。真木和泉守「士の重んずることは節義なり。節義はたとへていはば人の体に骨あるが如し。骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つことを得ず。されば人は才能ありても学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば不骨不調法にても士たるだけのことには事かかぬなり」。正義の道理こそ絶対。
8月2日

「勇とは義-ただし-きことをなすことなり。」剛毅・不撓不屈・大胆・自若・勇気の如き心性は少年の心に最も容易に訴えられ、実行と模範により訓練され得る。勇気は平静、心の落ち着きとして現れる。江戸城の創建者太田道灌が刺客に刺された時、刺客が上句を言った「かかる時さこそ生命の惜しからめ」将に息絶えんとする道灌は致命傷に少しも怯まず下句を続けた。「かねてなき身と思ひ知らずば」と。

8月3日

愛・寛容・他者への同情、憐憫の情はいつも至高の徳、人間の魂が持つあらゆる性質の中の最高のもの。

8月4日 はやさしく、母のような徳。高潔な義と厳格な正義を男性的とするならば、慈愛は女性的な性質であるやさしさと諭す力を備えている。「武士の情け」サムライの慈悲は盲目的衝動でなく正義に対する適切な配慮を認めている。
8月5日

は最高の姿は殆ど愛に近い。敬虔な気持ちを持って「長い苦難に耐え、親切で人を無闇に羨まず、自慢せず、思いあがらない。自己自身の利を求めない、容易に人に動かされず、およそ悪事を企まない。」

8月6日

あらゆる礼法の目的は精神を陶冶することである。心静かに座っているときは凶悪な暴漢とても手出しをするのを控える。というが心を練磨することである。」と小笠原清務は言う。

8月7日

--伊達政宗は「度を越した礼は、もはやまやかしである。」と言った。」「こころだにまことの道にかなひなばいのらずとても神やまむらむ」「武士の一言」とあるように、嘘をつくこと、ごまかしは、等しく臆病とみなされた。約束はおおむね証文無しで決められ実行された。むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられた。

8月8日 封建時代、日本の商人は仲間内だ道徳律を持っていた。職業以外の人には身分の通りに接した。武士道は「目には目を」という代償原理を否定するもの。誠意と名誉が確かな保証であった。「恩借の金子ご返済相怠り候節は衆人の前にてお笑いなされ候ともくるしからず。
8月9日

名誉--武士道がむやみに争わず、あえてあらがわない忍耐強さの極地に到達している。江戸の儒者、小河立所は「人の誣うるに逆わず、己が信ならざるを思え」熊沢晩山は「人は咎むとも咎めじ、人は怒るとも怒らじ、怒りと欲を棄ててこそ常に心は楽しめ」と言う。

8月10日

およそ侮辱に対して人はただちに憤慨し、死をもって報いた。名誉は、たとえ虚名や世間一般の阿諛にすぎないものまでも「最高の善」として賞賛された・富や知識でなく名誉こそ若者の追及課題とした。名誉や名声は死より安いとまでも。

8月11日 忠義・あらゆる人々に存在している道徳的な紐帯が忠義であろう。封建時代とか戦争とか天皇に対するものは付随的解釈と見る。ただし忠誠心が最高に重みを帯びるのは武士道の名誉の規範においてのみだ。
8月12日

.臣が君と意見を異にする時の取るべき忠義の道はあらゆる手段を尽くして君の非を正すべきである。容れられざる時は主君をして欲するがままに我を処置せしめよということである。かかる場合、自己の血をそそいで言の誠実を表し、これによって主君の明知と良心に対し最後の訴えをなすのが武士の常とした。

8月13日

品性・武士の訓育で第一に必要なのは品性の向上。明らかにそれと分かる思慮・知性・雄弁は第二義的とされた。武士にとり知とは叡智を意味した。武士の鼎は「智・仁・勇」である。武士道は損得勘定は絶対にとらない。むしろ足らざるを誇りとした。「文民銭を愛し、武臣命を惜しむ」である。「なかんずく金銀の欲を思うべからず、富めるは智に害あり」とした。

8月14日

武士道は無償。無報酬の実践のみ信じる。逆境に屈することはなく高貴な精神の威厳あるのみであった。鍛錬に鍛錬を重ねる自制心の生きた見本が武士道である。それはサムライにあまねく必要とされた。

8月15日 感情-・自己の悲しみ、苦しみを外面に現して他人の愉快や平穏をかき乱すことがないように求められた。自然に湧く感情を抑えることは苦しみである。我々もこれが習い性となっている自分を発見する。日本民族は本当に優しい感情を持つと思う。外国人には分かるまい。
8月16日 寡黙-ある若いサムライの日記。「汝の霊魂の土壌が微妙なる思想をもって動くを感じるか。それは種子の芽生えるときならん。言葉をもってこれを妨ぐるな。静かに、秘やかに、これをして独り働かしめよ。」多弁を弄するは誠意に欠ける印であるとされる。
「口開けてハラワタを見するザクロかな。
8月17日

切腹--武士が自らの罪を償い、過去を謝罪し、不名誉を免れ、朋友を救い、みずからの誠実さを証明する方法であった。

8月18日

切腹の儀式と様子をつぶさに書物で読んだが実に荘厳で礼儀正しく厳粛で名誉あるものか分かるが描写のスペースがない。自殺の中で切腹は貴族の地位にある。切腹遂行には極度の冷静さが不可欠であり日頃の精神的鍛錬と覚悟が備わっていなくては出来ない。実に武士の名誉ある死であると確信する。

8月19日 刀--危険な武器を持つことは自尊心や責任感を抱かせるものである。武士道は適切な刀の使用を強調し、不当不正な使用に対して厳しく非難し、かつそれを忌み嫌った。刀を振り回すのは卑怯者か虚勢を張るものであった。「血を見ない勝利」武人の究極の理想は平和である。
8月20日

武士道の求めた婦人--自己自身を女性の有する弱さから解放し、もっと強くかつ勇敢な男性にも決して負けないように若い娘たちには感情を抑制し神経を鍛え薙刀を操り不慮の争いに自分を守れるように訓練した。

8月21日

貞操は武士の妻の最も貴ばれた徳目で生命を賭しても守るべきものとされた。家庭的であれそして女傑であれ、立居振舞に端正さを求めた。

8月22日

木村重成の妻自刃の遺書。一樹の蔭、一河の流れ、是他生の縁と承り候が、そも、をととせの此よりして偕老の枕を共にして、只影の形に添ふが如くなれまいらせ候おん情こそはうれしう候へ。この頃承り候へば、主家の為め最早最後の御一戦のお覚悟の由、かげながら嬉しく思ひまいらせ候。唐の項王とやらむの虞氏、木曾義仲殿の局、さるためしは、わが身も厭はしう候、されば世に望み窮りたる妾-わらは-が身にては、せめて御身御存生の中に最後を致し、死出の道とやらんにて待ち上げ奉り候、必ず必ず秀頼公多年海山の鴻恩御忘却なき様頼みまいらせ候、あらあらめでたくかしこ。妻より

8月23日

自己否定--これなくして女性の人生の謎は解けまい。武士道は自己を犠牲にしてでも自己自身より高度の目的に役立たせることとしている。ローマも女性達が家庭を顧みなくなってから、言語に絶するほどの道徳的退廃が起きた。だから妻、あるいは母としての女性は最高の尊敬と深い愛情を受けていたのだ。

8月24日

大和魂--さくらは大和魂の典型である。美しい桜だが棘や毒はない、色合いも華美に非ず、淡い香りは飽きることはない。宣長の「しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山ざくらばな」が象徴的である。

8月25日

武士道は日本の活動精神であり推進力である。「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」は吉田松陰の刑死前夜の辞世の歌であるが武士道と日本人を象徴的している。

8月26日 西洋人、タウンゼント氏の発言「私たちは日々、ヨーロッパがいかに日本に影響したかを教えられている。しかし、日本の島々の中での変化は全く自発的なものであったことを忘れている。ヨーロッパ人が日本に教えたのではなく、日本自らがヨーロッパの文事・武徳の制度や方法を学んだのだ。そしてそれが今までのところ立派に成功したのだ。」劣等国と見なされることに耐えられないという名誉心が動機の最大のものでそれは武士道の心とリンクすると私は思う
8月27日

忍耐心「ならぬ堪忍、するが堪忍」香り高い徳の素地がサムライの極端な感覚の中にあるのではないか。だが大義のための義憤は正当な怒りとも教えている。

8月28日

.西郷隆盛--道は天地自然の物にして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は人も我も同一に愛し給うゆえに、我を愛する心をもって人を愛する也、人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己れを尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」

8月29日

「名誉はこの世で最高の善」若者が追求しなければならない目標は富や知識でなく名誉である。多くの若者は我が家の敷居を越える時、世に出て名を成すまでは二度とこれをまたがないと自分自身に誓ったものだ。多くの母親は息子たちが「錦を飾る」という言葉通りに「故郷に帰る」まで息子たちと再会する事を拒んだのだ。

8月30日

「名誉心」これが日本の発展の原動力である。武士道は、今なお日本の潜在的指導原理であろう。年代層により濃淡はあるがこれからも日本の指導原理として色んな形で表現されていくものと思われる。

8月31日 ヘンリーノーマン氏は極東を研究観察して、日本が他の東洋の専制国家と異なる唯一の点は「人類がかって考え出したことの中で、最も厳しく、高尚で、かつ厳密な名誉の掟が、国民の間に支配的な影響力を持つ」ことであると指摘した。