徳永圀典の徒然草口語訳
日暮らし徒然なるままにして早や13年目となる。悠々自適でストレスも無く、好きな登山・旅行・寄稿・読書・音楽、その上にパソコンを始めてこれも8年目だがいまや日常必需品である。平成12年9月から始めたホームページのアクセスも驚くべく増加した。やむにやまれぬ気持ちの地元新聞への各月寄稿も7年目であるが、これも頭脳の活力源でもある。
そこで今回は更に意欲をかき立てて、無謀且つ大胆にもあの著名なる徒然草を徳永圀典の口語訳として日々挑むこととした。終わるまで続ける、自分のためである。さて、いつまで続くやら。
平成
1591日 徳永圀典

1日

序段 

所作のないままに一日中、硯に向かって心に浮かんでは消えるとりとめない事を書き連ねているともうもの狂わしいような気持ちになってくるものだ。

2日

第一段

人間として生まれたからには誰でも望みを多くもつ。身分、天皇は話題にするのも恐れ多い。皇子・皇孫なども神の末裔で人間種ではない尊い方だ。摂政・関白は素晴らしいが普通の貴族も随身の方は非凡な印象を受ける。そのような方々の子や孫までは落ちぶれてもやはり優雅さを感じる。それ以下の者は時流に乗って得意顔の人も、自分では立派と思っているらしいが、傍から見ると実にくだらない。法師くらい羨ましくない者はない。清少納言が「まるで木の切れ端のように思われている」と書いているが尤もだ。とは言うものの、声望高く世間の評判になっても、それで素晴らしいとは思わない。出家にとって名声は無用であり、仏の教えに背くことでもある。世間を超越して修行に励む遁世者がかえって好もしいものを持っているように思える。

3日

人間は容貌や風采のいいほうがいい。ものの言い方が感じがいいし、愛嬌もあるし口数の少ないお方などにはいつまでも向き合っていたい。その立派なお方だと思っていた人が、ふと心の劣るような本性が見えたときは本当に失望してしまう。人品、身分とか外見は生まれつきで仕方ないが、心というものは努力さえすれば立派になり得るものであろう。逆に美しいし人柄の良い人であっても教養が劣ると、身分が低く人品の劣る人達の中に混じっていても彼等に問題にされずたわいもなく圧倒されてしまうのは残念である。

4日

どのようなことを身につけておけばよいかといえば、本格的な学問、漢詩、和歌、音楽などの教養、有識故実や儀式などで人の手本となればこれ以上のことはあるまい。字も上手にすらすらと書き、よい声を響かせて拍子をとり、人から酒を勧められると困ったような顔はするが、そのくせ全く飲めないわけではない、というのが男としては良い。

5日 第二段 いにしへの聖の御代の 古代の理想政治の時代を忘れて、国が衰え民が嘆くのも意に介さず万事贅沢と華美の限りを尽くして得意がり大きな顔をする人は実に無分別である。「着る物、帽子から馬や牛車までありあわせを使え、華美は避けよ」と九条殿の遺戒にある。順徳院が宮中のことを書かれたものの中にも「天皇が身につけるものは簡素が最適」とある。
6日 第三段

よろづにいみじくとも

万事に優秀でも恋の情緒を解さない男は物足りない、そんな男を見ると底のない玉杯のような感じである。露や霜に濡れて女を求めて当ても無く彷徨い、親や世間の非難を気にして心の落ち着く時もなく、あれこれと思い乱れ、そのくせ独り寝することが多い、熟睡もしない、というようなのが男として面白い。恋に夢中でも、ひたすら溺れこむという風でもないが、女にも一目置かれているというのが好ましい男の生き方であろうか。

7日 第四段

後の世の事

来世のことを忘れることなく仏道に関心を寄せている人は奥ゆかしい。

8日 第五段 不幸に愁に沈める人の

不幸で悲しみに沈んでいる人の剃髪などを軽くしてしまったというわけではなかろうが、居るのか居ないのかひっそりと門を閉じて日々を何となく過ごしている、そんな風でありたいという気持ちもある。顕基中納言が言った「配所の月を無罪のままで見たいものだ」と、本当にその通りである。

9日 第六段

自分が高い位でも、まして取るに足りない身分の場合にも、子供というものはないほうがいい。前の中書王・九条太政大臣・花園左大臣等はみな一族が絶えるのを願っている。染殿大臣も「子供がいないのはいいことだ。子供の出来が悪いのはみっともない」と世継ぎの翁の物語で話題となっている。聖徳太子が墓を生前に作らせた時、「ここを切れ、あそこを断て。子供はないほうがいいのだ」と言われたそうだ。

10日 第七段 あだしの野の露消ゆる時なく

あだし野は露がいつも消えないし、鳥部山の煙はいつも立ち上っている。人間、その露や煙のようにいつまでも生きておれば、どれほど味気ないことか。無常だからこそこの世はいいのだ。命を持つものを見ると人間は長命である。かげろうは朝生まれて夕方に死ぬ、夏だけの命で春秋を知らない蝉のような短い命もある。例え一年でも、しみじみと暮らすなら非常に長く思われるものだ。いつまでも生きたいと思えば千年生きても一夜の夢のようにあっけなく感じられるであろう。第一いずれは去らねばならぬこの世にしがみついて、老醜を迎えてなにになるか。長生きすればそれだけ恥も多い。長くて四十未満くらいで死ぬのが無難な目安であろう。その年配を越えてしまうと老醜の羞恥心も消え、人前に出たり、余命少ない身で子孫に執着し、成人した行く末までを見届けたいと長命を願い、ひたすら欲望だけでものの哀れがわからなくなるのはあさましい。

11日 第八段 世の人の心をまどはす事

人間の心を最も惑わすのは色欲である。人の心とは実に愚かで匂いなどは仮のものなのに、一時的に衣類に香をたきしめたとは知りつつ、何ともいえないよい匂いは必ず人の心をときめかす。久米の仙人が川で洗濯する女の白い脛を見て神通力を失ったという。本当に手足や肌が美しく肉や脂肪が清らかに程よくついているのを見ると、香や白粉とは違い、その女の肉体そのものの美しさなので仙人が魅了されたのは尤もなことである。

12日 第九段

女は髪のめでたからんこそ

女は髪の立派なのが人目にたつ。女の気立てとか品性、物の言い方とかは襖を隔てていても分かる。ちょっとした身のこなしで男の心を迷わす。どんな女も夜も寝ないで身命を省みず、よく堪え忍ぶのは、ひとえに愛にひたむきだからだ。本当に男女の愛欲の道は根源に深遠なものがある。人間は様々な欲望刺激があるが、すべて棄てることが出来る筈だ。だが、かの男女の迷いだけは止めることが難しい。この点は老人も若い人も、知恵のある人も愚かな者も、なんら変わらない。だから、女の髪の毛をよじって作った綱は大きな象をつなげるし、女の履いた足駄で作る笛を吹くと、恋に目覚めた秋の雄鹿が必ず近寄って来ると言われている。自分を諌め慎しまねばならぬのはこの異性への惑いである。

13日 十段

家居のつきづきしく

住まいが住人にふさわしく、好もしいのは仮の宿に過ぎなくても感興をさそわれる。立派なお方の雰囲気のある落ち着いた住まいは、さしこむ月の色もひと際身にしみてよく見える。派手で当世風ではないが、木立が古色を帯びて自然のままで庭草も情趣がありスノコや透垣の配置も面白く、何気ない調度も古風でゆったりし奥ゆかしく見える。多くの大工が心を尽くして磨き、和漢の調度類を並べ、植え込みの草木まで手を加えてあるのは見苦しく実に不快である。そのような住まいにはいつまでも住めないであろう。また忽ち焼失してしまうだろうという思いが一目見るなり心に湧いてくる。概して家を見れば住人のことは推量できる。

14日

後徳大寺左大臣邸の寝殿に、鳶を止まらせたいと縄がはられてあったのを西行が見て「鳶が止まってもなんの不都合かある。この殿の御心はその程度か」と言いその後は参上しなかったという。綾小路宮のいられる小阪殿の棟に、いつであったか縄が引かれたのでその古事を思い出したのだが、そういえば「鳥が屋根に群がり池の蛙を取るのでそれをご覧になった宮様が哀れがってなさった」と人が言う、それなら立派なことだ。徳大寺の場合も何かわけがあったのだうか。

15日 十一段

神無月のころ

神無月の頃、来栖野を通りある山里の人を訪ねて行くことがあった。長い苔むした細い道を踏みわけて行くとひっそりとした庵がある。懸樋に木の葉が覆われ雫の音のみ聞こえるばかりで何一つ聞こえない。閼伽棚に菊や紅葉などの枝が無造作置いてあるのは住まう人がいるのだろう。こんな所でも住めるものだとしみじみ見ていると庭の向こうに大きな蜜柑の木がありその周りが厳重に囲ってある。少し興味が冷めて、この木がないほうがどんなによかったかと思った。
16日 十二段 同じ心ならん人と

心を同じくする人と、しんみりと語り合い、興味あること、儚い人生などについて心置きなく話し慰めあうなど無上に嬉しいことである。現実的にはそんな人はあるわけがなく、対談する相手の話とちぐはぐにならぬように気を遣う。そんな時は独りでいるような心持ちである。互いに是非言いたいことは、成る程と耳を傾けるが、いささか意見が違うほうがいいものだ。そんな方と、自分はそうは思わないなどと論争し、しかじかだからこうなる、と主張すれば心が晴れるだろう。然し現実には釈然としない思いを語ったり、その表現が自分と異なる人が多い。そのような方とはおざなりの話をしているうちは抵抗がないが、真の心の友とは別であろう。実に侘しいものだ。

17日 十三段

ひとり灯のもとに

灯火に書物を広げ独りで遠い昔の人を友とするのは、この上ない慰めである。文選の感銘を覚えた巻巻、白氏文集、老子、荘子をあげたい。わが国の学者の著作も昔のものは感銘深いものが多い。

18日 十四段

和歌こそなほをかしきもの

なんと言っても和歌には心ひかれる。いやしい下層の民や樵の類いも歌材として表現すると面白く、恐ろしい猪も、ふす猪の床などと歌にすると優雅になる。最近は部分的にいい表現と思われる歌もあるが、古歌のように、曰く言い難い風に、言外に余韻の残るものがない。紀貫之が「糸によるものならなくに」と歌ったのは、「古今集」の歌屑とか言い伝えているが、現世の人は詠みこなせまい。その頃は、歌の調子といい、用語といい、この種類の歌が多い。この歌に限り歌屑と批評される理由が分からない。この貫之の歌を「源氏物語」には「ものとはなしに」と引いている。

19日

「新古今集」では「残る松さえ峰にさびしき」という歌を歌屑と呼んでいるが、成る程、少したどたどしいように見うけられる。しかしこの歌も衆議判の時にはまずまずの判定があり、その後も院から特に印象深かったとのお言葉が下がった由、源家長の日記に書いてある。歌道だけは今も昔も変わらないということもあるが、果たしてどんなものであろうか。今も人々が読む同じ詞や歌枕も、昔の人のは全く別ものである。昔の歌は無理がなく素直で、姿も美しく、趣も深いものがある。

20日 十五段 いづくにもあれ

どこに出かけようが、暫く家を離れることは気分一新する。滞在場所の周辺を、あちこち見て回り、鄙びた所や山里などに行くと、実に目新しい事が多い。旅先から都にいい便があり手紙を書くのに「それもあれも、適宜やっておいて、忘れずに」などと言ってやるのは面白い。そのような旅先では万事敏感になる。携行していた道具類まで、良いものは良く感じられるし、有能な人とか見栄えする人も、平生より立派に見える。神社仏閣なども密かに参篭するのも面白い。

21日 十六段

神楽こそ、なまめかしく

神楽はとても優雅で趣きの深いものがある。楽器でいいのは笛・ひちりきだ。いつも聞きたいものは琵琶・和琴であろうか。

22日 十七段

山寺にかきこもりて

山寺に参籠して仏様にお仕えするする時こそ、所作のない事も覚えないし、心の汚れも清浄されるような気持ちがする。
23日 十八段 人はおのれをつづまやかにし

人間は自分の生活を簡素にし、贅沢をしないで、財産も持たず、世俗的欲望も求めないのが最もいいと思う。昔から賢人と言われた人の富者は稀である。唐の許由と言う人は、少しも身辺に持ち物がなく、水さえ手ですくって飲む様で、それを見た人が、瓢箪という物を与えた。ある時、それを木にかけていたら風に吹かれて鳴ったら、やかましいと言って棄ててしまい、また手ですくって飲んだという。彼の心中はどれほど清清しいものであったろうか。また孫晨は冬に夜具がなく藁一束を使い夜はこの藁に寝て、朝は取り片付けたという。唐の人は、これを大したものだと思うから文書として残っていたのであろう。わが国では人はこのような事は語り伝えない。

24日 十九段

をりふしの移りかはるこそ

折々に変化するからこそ、物事には趣きがある。「もののあわれは秋に最も感じられる」と誰もが言う、それは分かるが、一段と心が浮き立つようなのは春の景色であろう。鳥の囀りも殊のほかに春らしく、のどかな陽ざしの中に垣根の草が芽吹く頃から次第に春が深まり霞が立ち込める、そして桜も漸く咲き始める時分に、生憎く風雨が続き桜がせわしなく散ってしまう。葉桜になるまで桜は人の気をもませるものだ。花橘は有名だが、それより梅の香りで往時を思い出し昔を恋しく思い出す。山吹が清らかに咲き、藤がおぼつかなげに花房を垂れる風景などいずれも見過ごしできない風情がある。「灌仏や賀茂祭のころ、梢の若葉が涼しげなのは風情があるが,この時分こそ世の哀れと人恋しさがつのる」と言った人があるが本当にその通りだ。五月、アヤメが咲く頃や早苗を取るころ、くひなの鳴くふぜいにもの寂しさを覚える。六月、しがない民家の軒下に夕顔がほの白く浮かび、そのあたりを蚊遣り火が煙ってたなびいているのは趣がある。六月祓いもおもしろい。

25日

七夕は優雅な祭りである。秋も深まり次第に夜寒を覚える時分、雁が鳴き声を立てて到来する頃、萩の下葉が赤く色づくころは早稲の田んぼを刈り取って乾すなど情趣のある風物詩の様々が一つの情景の中に集約した様は秋に多い。野分の去った翌朝も中々なものだ。このように話しているが、すべて源氏物語とか枕草子などで言い古されていることだ。同じことでもそう思ったら言えばいいと思う、物言わねば腹ふくるるだから筆のおもむくままに書いている。もともとつまらぬ慰みに書いているのだから破り捨てるべきものだ、誰もこれを読むはずもない。冬枯れの景色も秋に比べて遜色はない。池の汀の草に紅葉した落ち葉がとどまり、その上に白い霜がかかっている朝、遣り水から水蒸気がゆらゆらと立ち上る様は情趣がある。年の暮れも押し迫り誰も忙しくなくなる時分はまた格別に感慨深いものがある。寒くなり見る人もいない月が寒々と澄み切っている二十日過ぎの空は実に心細いものがある。御仏名・荷前の使いの出発などはやんごどなきものだ。宮中の行事が多く新春の準備のころは大変なものがある。追儺から四方拝に続く行事はおもしろい。大晦日、真っ黒な中で、松明ともして、夜半過ぎまで家々の門を叩いて走り回り、なにかしらぬがけたたましく騒いでいたのが明け方には静まり返ってしまう。そんなものに過ぎ行く年を感じて感傷を覚えるものだ。大晦日は亡き人が来る夜なので故人を祭る催しがあったのだが近年は廃れている。関東ではまだその催しがあり見たことがある。実に感慨深いものがあった。こうして元旦の空の明けて行く景色は、昨日と特別に違いはないのだが、面目を一新した感じを抱く。都大路の様子は、門松を軒並み立てて明るい喜びが満ちているようだ。それもいいものだ。

26日 二十段

なにがしとかやいひし

なんという名の世捨て人であったか、「何一つとしてこの世に心の引かれるものが無い自分に、ただ空の風景だけが名残り惜しい」と言った。全く同感だ。

27日 二十一段

よろづのことは月見るにこそ

月を見ると慰められる。「月ほど面白いものはない」と或る人が言うと、別の人は「露のほうに趣きがある」と言い争ったのは面白かった。折々に趣は感じられるものだ。月とか花は言うまでもない。風こそ人を感じさせるものだ。水が岩にあたり砕けて清らかに流れる風情は四季に関係なく素晴らしい。「?と湘の二つの河は日夜東に流れ去る。悩み持つ人の為に少しも止まってくれない」という詩を見つけて読んだが哀れを感じた。けい康も「渓谷で遊び魚や鳥を見ておれば心が慰められる」と言った。人里は離れて水の清らかな所を逍遥する時ほど心が癒されることはない。

28日 二十二段

何事も、古き世のみぞ

何事についても昔が思いだされて慕わしい。現代はやたらと下品になって行く。木彫りの匠が造ったきれいな器も古風なものに趣きを感じる。手紙なども、反古を見ると立派なものだ。日常会話も次第に情けないものとなって行く。昔は「車もたげよ」「火かかげよ」と言ったが、現代は「もてあげよ」「かきあげよ」という。「主殿寮、人数だて」と言うべきなのに「たちあかし、しろくせよ」と言う、最勝講の御聴聞所にあてられる所を「御講の盧」と言うのを略して「講盧」、「実に情けない」とある古老が言われた。

29日 二十三段

衰へたる末の世とはいへど

末世とは言うものの、宮中の神々しいご様子は世俗的でなくありがたい。露台・朝餉の間・何門などの名は奥ゆかしく心に響く。下々の家にもある小蔀・小板敷。高遣戸なども宮中のものはいい感じがする。「陣に夜の準備を」と指示するのはなみなみなるまい。「すぐに火をともせよ」など素晴らしい表現だ。上役が陣で指揮をとる様は勿論、下役がしたり顔で手際よく動くのも中々なものだ。寒さのひどい夜、その彼らがあちこちで居眠りしている姿を見るのは面白い。「内待所の鈴の音は実に優雅なものだ」と、徳大寺太政大臣が言われたという。

30日 二十四段

斎王の、野の宮におはします

斎王が野の宮にいらっしゃる折の有様ほど情趣がありよいものはないと思った。「経」・「仏」などを忌んで「なかご」「染紙」などと呼ぶらしいが面白い。どんな神社も捨てがたい風情がある。古い森のたたずまいもただものではない上に、周囲を玉垣で囲んで榊の木綿をかけてあるのは実によいものだ。事に印象深いものは、伊勢・加茂・春日・平野・住吉・三輪・貴布弥・吉田・大原野・松尾・梅宮などである。