日本海新聞潮流寄稿 平成159月1日

和魂に洋才を

1.家庭内暴力で実に良く分かるのにドメスティックバイオレンス、影響評価をアセスメント、内部関係者をインサイダー、納得診療をインフォームドコンセント、分析家といえばいいのにアナリスト、外部委託をアウトソーシングと数えあげればきりガ無いが外来語をそのまま日本国中にマスメディアが撒き散らす。ここは日本だ、いい加減にせんかいと怒鳴りたい。一体誰のリードでこの様になるのか、これは日本をアメリカにしようとしているのと同様である。

明治初期にも怒涛のように欧米文化が導入された。この時、絢爛たる西洋文化に目がくらんだ一部の日本人の中には、日本には歴史は無かった、これから本当の歴史が始まるとまで言ったバカな知識人もいたようだ。当時でも技術と近代的法律以外は日本は決して西洋に負けないのに、このような人間はいつの時代にもいるものだ。一部の人間がそうであるのは致し方もあるまいし影響も少ないのだが、近年はマスメディアが先頭をきって見識なく、そのまま外国語を使用するから日本国中に拡散してしまった。

これは実に日本文化として容易ならざる禍根を未来に残すであろう。明治初期に怒涛のように西洋文化を積極的に入れたのでアジア初の先進国となったのは確かである。当時、先進的西洋科学技術を入れたが、その学問技術用語を実に立派な日本語に翻訳したからこそ、日本文化のアイデンティティを損なうことなく維持し、西洋文化のいいものを日本の血となり肉となしえた。サイエンスを科学、ケミストリーを化学、フィロソフィーを哲学、フィズィックスを物理、テェクニックを技術などは明治の翻訳語であろう。中国など漢字文化圏へこの翻訳日本語が還流しそのまま学問に使用したくらいである。

処が今日では、マスメディアに見識が無いからそのまま外国語を使用する。これはアメリカ人になるようなものである、自分の国の言葉を捨てているのだから。長い間に文化的影響が現れ日本でなくなるであろう。

現代マスメディア、政府・官僚
には知恵も見識もないのであろうか。最近では、政治家諸君も見識が欠けているから、政党がマニュフェストを作成するとか何とかと言っている。こんな政治家が日本文化を冒涜するのだ。彼等に、日本人なら日本語を使用せいと怒鳴りたい。

日本文化は自分の国の言葉からである。外来語の使用を断乎として排除すべきである。勿論やむを得ないものもあろうが酷すぎるのだ。

日本は明治初期に大変な日本文化を捨て自己否定したが一方では見識もあり立派な翻訳語を作った。戦後は外来語をそのまま使用するから、これは骨の髄まで日本を捨て外人になる端著となる。

聞く所によるとフランスなどは徒に外国語をそのまま使用しないような法律もあるという。これは自分の国の文化を守ろうとする一つの見識である。

私はやみくもに欧米排除を唱えているものではない、いいものはいいのだ。

要は、和魂を持ち洋才を発揮せよというのだ。それは経済・マネーの世界、外交の世界でも言えることである。日本人は日本国の伝統ある魂を確り持って、西洋的才能を存分に発揮せよと言いたいのだ。和魂が無さ過ぎるから残念なのだ。

2.日本は漢字文化圏に所属する。処が平仮名とかカタカナとかを考案し中国文化もそのまま導入しなかったという英知を古代日本人は持っていた。だから、中国から漢字、律令制、仏教、儒教などいいものは輸入しても悪しき中国文化の、易姓革命、科挙の制、宦官、纏足、辮髪、父系制社会、食人習慣、豚の丸焼きなどなどを排除した。和魂を持ち日本人の独自性を維持し発展し独自文化を創ったのである。

現代、特に敗戦後は、そのような先人の英知を省みる事無くそのまま外来語を使用する。これは日本人の魂を売るようなものであり緊急に心して是正しなくては日本は日本でなくなり日本文化そのものも消え失せてしまう遠因となろう。本当にそれでいいのか。これはゆるがせにできない日本人として本質的な問題である。
(鳥取市)
鳥取木鶏クラブ代表世話人 徳永圀典