関西百名山 賤ヶ岳


平成16年1月18日 参加者 森川・清水・繁益・安東・高橋・長門

ここの処、強烈な寒気団が日本列島を襲い、震え上がる様な日が続いておりました本日、北琵琶湖の関西百名山「賤ヶ岳・古戦場標高421m」に我々登山会「月山会」で登山後、新年会を予定し登山して来ました。
新年に入り今日も悪天候を予想し、防寒、雨、新雪のラッセル、軽アイゼン持参等準備万端でしたが、本日は朝から快晴に恵まれ誠に快適な登山と言うか、ハイキングでありました。
今回は参加予定者が多い様なので、何時ものHHCでマイクロバスを借り切り千里中央AM8:00スタート、同所帰還がPM7:00。北陸自動車道木之本IC下車ー大音ー登山口ー賤ヶ岳リフト下を登るー頂上ー国民宿舎「余呉湖壮」に下山。−バスにて「奥琵琶湖天然石温泉・清泉閣」。入浴後国民宿舎に帰り新年宴会。ー帰りは湖西道路にて帰阪。
同山は琵琶湖と余呉湖の間にあり、琵琶湖八景の1つと云われますが、やはり名高い古戦場として知られ1582年信長亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が雌雄を決した賤ヶ岳の戦いの跡やら、頂上には合戦で活躍した「賤ヶ岳の七本槍」と呼ばれる秀吉側の武者像や戦跡碑が有りました。私も山は低い事であり、この古戦場に大変興味を持っておりました。賤ヶ岳山頂は大変見通しが良く、秀吉はここから采配を取ったと言われます。合戦当日の1583.4.21羽柴秀吉軍5万、柴田勝家軍2万がぶつかる様子をワクワクしながら想像した事です。この戦いはその日の内に決着が着き、柴田勝家軍は敗れ勝家自身は北の庄(福井)へ敗走します。羽柴秀吉はこの勝利で織田信長亡き後の実権を掌握し、天下統一への道を開く事に成る訳で有ります。頂上にはその他、合戦の配置図等もあり大変分かり良い。
登山は道も良く整備されており全く問題無く、約1時間30分で山頂。山頂からは360°の見事なパノラマ。北に天女羽衣伝説を秘めた余呉湖、南に奥琵琶湖の雄大な眺望出来ました。
私の下手な俳句 残雪の古戦場も今静か。     安東満雄
(文責 安東満雄氏、但し月山会用に編集削除訂正責任 徳永圀典)