美しい日本歌 平成16年10月
清明なる歌

日本語は実に多彩で感性溢れる表現力を持つ言語であると痛切に思う。歌は日本人の清明なる心の集約である。
霜月、改めて見直して見たい。
平成1610月1日 徳永圀典

 1日 秋の田の穂の上―へーに霧―きーらふ朝霞いづへのかたに我が恋ひやまむ
磐姫皇后
―いはのひめのきさきー
仁徳天皇の皇后
ー万葉集巻
2

秋の田の稲穂にかかる朝霞は見事な景色、霧らふ、とは素敵な表現。霧は何処へ流れて行くのか、君に慕いよる私の恋心はどこへ去ることなくいつ止むともしれない。絶唱ではあるまいか。

 2日 −よーき人のよしとよく見てよしと言ひし芳野よく見よよき人よく見つ 天武天皇
ー万葉集巻1

昔から立派な人が良い所だと言った芳野を良く見なさい、良い人が良いと言った所だからね。

 3日 旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽含―はぐくーめ天の鶴群―たづむら

遣唐使随員の母
―万葉集巻9

旅する人が夜宿る野に霜がおりたら我が子をあなたの羽の下につつんでやっておくれ、空飛ぶ鶴たちよ。
 4日

ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ

小野篁
―今昔物語集巻
24

ほんのりと明けて行く明石の浦の朝霧の中、島影に隠れて行くあの舟がしみじみと思われる。絵のようであり風韻を感じる。

 5日 やどりして春の山べに寝たる夜は夢のうちにも花ぞ散りける 紀貫之
ー古今和歌集巻
3

山寺での宿りとある。夢の中の幻想的な落花、艶のある耽美的余情余韻

 6日 夏と秋と行−ゆきーかふそらのかよひぢはかたへ涼しき風や吹くらん 凡河内躬恒
ー古今和歌集巻
3

立秋の夏と秋の交錯する季節の空であろうか。

 7日

曇なく千年―ちとせーにすめる水の面にやどれる月の影ものどけし

紫式部
ー新古今和歌集巻
7

屋敷の池の水面、曇りなく明るい月の光、そこに永遠の安らぎを覚えている式部であろう。

 8日

都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関

能因法師
ー後捨遺和歌集巻
9

一気に分かり易く読める歌。

 9日 風吹けば玉散る萩の下露にはかなくやどる野辺の月かな 藤原忠道
ー新古今和歌集巻
4

はかなく消えてしまふ露に、まだ月の光が映っている静かな美しさ、この感性は日本人しか分かるまい。

10日

夕されば野辺の秋風身にしみてうづら鳴くなり深草の里

藤原俊成
ー新勅撰和歌集巻
1

秋も深まり夕べの冷たい風、うづらも早くネグラに帰りたいのであろう。

11日 山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水 式子内親王
ー新古今和歌集巻
1
松の枝折戸に雪解けの玉のような雫がぽつーんと、落ちてくる様、清浄な雪の白と松の緑の風景が浮かびあがる。
12日 寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ 寂蓮法師
ー新古今和歌集巻
4
この寂しさは、とりたててどの色というものではない。真木=槙の生い立つ山の秋の夕暮れこそが寂しさそのものだ。
13日

志賀の浦や遠ざかりゆく波間より氷りて出づる有明の月

藤原家隆
ー新古今和歌集巻
6

遠のいた波に、出たばかりの有明月が反射してまるで水中から氷って出てきたように冷たく空に浮かんでいる。琵琶湖の大津近い志賀の枕詞は、さざなみ。

14日

春の夜の夢の浮橋とだえして峰にわかるる横雲の空

藤原定家
ー新古今和歌集巻
1

短い春の夜が明け、水に浮かぶ心もとない浮橋が、とだえるように夢も覚め、夢うつつのままに外に目を移すと、遠くに雲が別れを惜しむように峰を離れ横に流れていくのが見える。

15日 われこそは新島守―にひじまもりーよ隠岐の海の荒き波風心して吹け

後鳥羽上皇 増鏡ー我はここ隠岐島の新しい島守だ、それを心に留めて気をつけて波風を吹くがよい。

「心して吹け」など隠岐に流されても、帝王としての誇りと不屈の魂、天に憐れみを乞わない、骨太の歌。
新古今集撰進の勅命を出された日本文学の大恩人。

16日 うすくこき野べの緑の若草に跡までみゆる雪のむら消え 宮内卿
ー新古今和歌集巻
1

うららかな春の若葉にも雪のあるなしで微妙に違う色合い、この感性の鋭さと優しさ。

17日 大海―おほうみーの磯もとどろに寄する波われてくだけて裂けて散るかも 源実朝
ー金槐和歌集

割れて、砕けて、裂けて、散るかも、この語調に激しい心の高揚と若武者の魂の奥底を見る。

18日 ―いもーが背にねぶる童―わらはーのうつつなき手にさへめぐる風車かな 大隈言道

妻の背で幼児が無心にすやすや眠っている。眠ったまま手放さない風車が独りで回っている。こんな風景があったなあとしんみりする。

19日

みがかずば玉も鏡もなにかせむ学びの道もかくこそありけれ

昭憲皇太后

磨かなくては玉も鏡も何になろうか。学問の道も同じである。明治大正、昭和戦前の日本国家・国民そのものの姿を彷彿とさせる。

20日

つけ捨てし野火の烟−けむりーのあかあかと見えゆく頃ぞ山は悲しき

尾上柴舟

つけ捨てたままの野火の煙りが日が暮れて煙りが赤々となる風景。
―夕靄は蒼く木立をつつみたり思へば今日はやすかりしかな 同作者

21日

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

佐々木信綱

大らかで豊かで、のびのびとして、秋の空の白い雲が絵のように浮かぶ。

22日

おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落葉深く
今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽−かそーけき寂滅―ほろびーの光

伊藤左千夫 庭に下りてみて思いがけない今朝の寒さに驚いた風情、朝露にしっとりと濡れた柿の落葉が深く散り敷いている。
23日 垂乳根の母が釣りたる青蚊帳をすがしといねつたるみたれども 長塚節

年老いた母の釣ってくれた青蚊帳の中で、すがすがしい思いで眠ったよ。少したるんでいるけど。全く同じ経験がある。中央がたるむし、青い蚊帳には母親の匂いがする。とてもいい夏の宵の情景だ。

24日

最上川逆白波―さかしらなみーのたつまでにふぶくゆうべとなりにけるかも

斉藤茂吉

あの最上川の吹雪の中に暮れてゆく壮絶にして荘厳な最上川、詠嘆の歌。
―鉛色になりしゆうべの最上川こころ静かに見ゆるものかもー万葉集の匂いがする、おほどかな歌。

25日

ひがしよりながれて大きな最上川見おろしをれば時は逝くはや

斉藤茂吉

最上川ながれてさやけみ時のまもとどこほることなかりけるかも
―最上川ひろしとおもふ淀の上に鴨ぞうかべるあひつらなめて

26日

われをめぐる茅がやそよぎて寂―しづーかなる秋の光になりにけるかも

斉藤茂吉

ながらへてあれば涙のいづるまで最上の川の春ををしまむ
―かりがねも既にわたらずあまの原かぎりも知らに雪ふりみだる

27日 大そらを静に白き雲はゆくしづかにわれも生くべくありけり 相馬御風

青い大空を白い雲がゆったりと流れている。あの雲のように静かに生きるべきである。
平明な、なだらかな、含蓄ある歌。

28日

やはらかに柳あをめる北上の岸辺目に見ゆ泣けとごとくに

石川啄木

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

29日

人恋ふはかなしきものと平城山−ならやまーにもとほり来つつ堪へがたかりき

北見志保子
―花のかげ
激しく恋をする顔は、なにか悲しげに見えるという。強く相手を求める心は切である。人を恋するとはなんと悲しいものか。この平城山のあたりにさすらい出て歩けば、どうにも堪えがたい思いがましてくる。
30日

いにしへも夫―つまーに恋つつ越えしとふ平城山の路に涙落としぬ

北見志保子
―花のかげ

昭和九年北見志保子は辛く苦しい恋をしていた。相手はフランスへ去る。志保子は奈良に隠れ住む。平城山を漂うように歩き回ったという。あくまで美しいままに力尽きようとするようなこの歌の調べはこのような事情があった。

31日 秋の夜のほがらほがらと天の原照る月影に雁鳴きわたる 加茂真淵 万葉復古を理想とした真淵らしい、古への調べ。月明の夜空に鳴きわたる雁を見上げて無心にその声を聞き入る風情か。