日本人の「心の古典」1.万葉集       徳永万葉集

現在と不可分の関係にあるのが過去である。過去は絶対に取り消すことはできない。歴史は無限の彼方から連綿と織り紡がれている。そこに祖先や我々を包み込んだ日本人がある。自己の証しとしての歴史、そして古典がある。
日本人の「心の古典」と題してみた。日本人の自伝、アイデンティティでもある。現在・未来にいかに対処するかを、この「心の古典」から知恵が得られないものであろうか。万葉集は本ホームページで屡々引用しているので長歌を主とした。
歌でも叙情の文章にしても、なんと日本語の感性豊かで優美なものかが納得できる。世界最古の、あの源氏物語の、あの優美華麗な表現は日本語だけの、外国語など寄せ付けないものであろう。

平成16111日 徳永圀典

 1日

古代前期
万葉集

言葉 日本の古代人は固有の文字を持たなかった。中国から渡来した漢字を、外国語の漢語漢文として理解するだけでなく、日本語の表記として応用した。
 2日 漢字の渡来時期 定かではない、当初は呪術的な意味を込めたデザインとして使ったという。推古朝時代ー592年ー626年に飛躍的に漢字使用が増大した。万葉仮名の初期段階という。
 3日 口承

原住の古代人は口承の形で、歌を歌い、神話や伝説を語ってきた。奈良時代に漢字を駆使して古事記、日本書紀、万葉集などが編集され、それまでの口承文学が記録されるようになったのである。

 4日 歌体・歌数 現存する最古の万葉集は、ほぼ七世紀半ばから八世紀半ばまでの作品を収めている。全二十巻、四千五百四首で成る。歌体には、短歌・長歌・施頭歌など、内容的には、雑歌・相聞歌・挽歌に大別される。
 5日 表記・編者・対象

表記は漢字の音と訓を表音的に用いた万葉仮名による。通説では、八世紀末頃、現在の二十巻になったとする。編者は不明、大伴家持が何らかの形で関与した。歌の作者が貴族だけでなく広く諸階層に及ぶ点が大きい特色。

 6日 和歌

和歌は、集団で謡われる歌謡とは違い、個人の内面を表出しようとする。七世紀半ば頃、大陸文化を摂取した宮廷でその和歌が作り始められた。

 7日 万葉集
最初の歌
雄略天皇

―こーもよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家聞かな 名告−のーらさね そらみつ 大和の国は おしなべて  我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそは 告らめ 家をも名をも

 8日 すめらみこと、香具山に登りて国見したまふ時のおほみ歌 2番 舒明天皇

大和には群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は けぶり立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は 

国家の繁栄を祝う天皇の歌、リズム・品位・格調の素晴らしさ。
 9日 前日の歌・大意

大和には多くの山々があるが、とりわけ美しく装っている天の香具山、その頂に立って国見をすると、国原にはあちこちに煙が立ち昇り、海原にはあちこちに、カモメが飛びかう素晴らしい国だ、あきつ島大和の国である。

10日

朝臣 妻の死にし後 泣血哀働して作る歌
207

柿本人麻呂

天飛ぶや 軽の道は わぎもこが 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど やまず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべし さねかづら 後も逢はむと 大舟の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の なびきし妹は 黄葉の 過ぎていにきと 玉梓の 使ひの言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ せむすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば あが恋ふる 千重の一重も 慰もる 心もありやと わぎもこが やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 玉だすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙の 道行き人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖ぞ振りつる

11日

前日の歌・大意

天飛ぶという名の軽の地は、わが妻の住む里なので、つくづく見たいと思うけれども、絶えず行く人と人の目が多いし、しげしげと行ったら人が知ってしまいそうだから、さね蔓のように後にでも逢おうと、大船を頼む気持ちで期待して、玉と輝く岩垣淵のように、家にこもって人知れず恋い続けていたところ、空を渡る太陽が暮れてゆくように、照り輝く月が雲に隠れるように、沖の藻のごとく靡き寄っていた妻は、黄葉が散り落ちるように死んでしまったと、玉梓を携える使者が来ていうので、梓弓の音を聞くように知らせを聞いて、何と言って何をしていいのか、なすすべもなく途方にくれ、知らせを聞くだけで、じっとしていられないので、この恋しい気持ちの千分の一だけでも、慰められることもあらうかと、わが妻がいつも出て見ていた軽の市に私も出て行って、たたずんで耳をすますと、美しい襷をかけるという畝傍の山に、鳴く鳥の声も妻の声も聞こえてこないし、玉桙の道行く人も、一人として似た人は通らないので、なすすべもないのだから、妻の名を呼んで袖を振ったのだ。

12日 反歌
柿本人麻呂

秋山の黄葉をしげみ惑ひぬる妹を求めむ山道知らずも
208

黄葉の散り行くなへに玉梓の使ひを見れば逢ひし日思ほゆ 209

13日 日本の
象徴的長歌
山部赤人

天地の 分かれし時ゆ 神さびて 高く貴き 駿河なる布士の高嶺を 天の原 振り放け見れば 渡る日の 影も隠らひ 照る月の 光も見えず 白雲もい行きはばかり時じくぞ 雪は降りける 語り継ぎ 言ひ継ぎ行かむ
不尽の高嶺は 
317

反歌

田児の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 不尽の高嶺に雪は降りける 318

14日

貧窮問答の歌1.

山上億良 風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は すべもなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒うちすすろひて しはぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髯かきなでて 我をおきて 人はあらじと 誇ろへど 寒くしあれば 麻ぶすま 引きかがふり 布肩衣 有りのことごと 着襲へども 寒き夜からを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒ゆらむ 妻子−めこーどもは 乞ひて泣くらむ この時は いかにしつつか 汝が世は渡る  892
15日 貧窮問答
口語訳1.
風まじりに雨の降る夜、また雨まじりに雪の降る夜は、なす術もなく寒いので、堅塩を少しずつつまんでは糟湯酒をすすりすすり、咳をしては鼻をぐすぐすとならし、立派でもない髯をなでまわし、世の中に自分以外は大した人物もいまいと誇ってはみるものの、寒いので麻の夜具をかぶり、布肩衣のありったけを重ねて着てみるが、矢張り寒い。この寒い夜だけ考えてみても、自分よりもっと貧しい人は、父母が空腹で寒がっていることだろう。妻や子供が食事をせがんで泣いていることだろう。こんな時はどのようにしながら、あなたは世間を渡っているのか。
16日 貧窮問答の歌2.
山上億良 天地は 広しといへど 我がためは 狭くやなりぬる 日月は 明かしといへど 我がためは 照りやたまはぬ人みなか 我のみやしかる わくらばに 人とはあるを人なみに 我もなれるを 綿もなき 布肩衣の 海松のごと わわけさがれる かかふのみ 肩にうちかけ 伏せ盧の 曲げ盧の内に 直土に 藁解き敷きて 父母は 枕のかたに 妻子どもは 足のかたに 囲みいて 憂へ吟ひ かまどには 火気吹くき立てず こしきには くもの巣かきて 飯炊く ことも忘れて ぬえ鳥の のどよひをるに いとのきて 短き物を端切ると 言へるがごとく しもと取る 里長が声は 寝屋処まで 来立ち呼ばひぬ かくばかり すべなきものか 世の中の道
17日 貧窮問答
口語訳2.
天地は広いというけれど、私にとっては狭くなったのか、太陽や月は明るいというけれど、私の為には照って下さらぬのか。人間はみなこうなのか。私だけがこうなのか。たまたま人間として生まれたのに、人並みに五体揃って生きているのに、綿も入っていない布肩衣の、海藻のようにばらばらと垂れ下がっている、ぼろだけを肩に引っ掛け、つぶれかけて、倒れかかった住まいの中で地べたに藁を解き敷いて、父母は頭の方に、妻や子は足のほうに自分を囲んでは、悲嘆にくれて溜息をつき、かまどには煙も立てず、こしきにはいつしか蜘蛛が巣を張って、飯炊くことも忘れ、ぬえ鳥のように呻き声を出していると、格別に短い物をもさらに端を切るという諺通りに、むちを持った里長が声を張り上げて、寝床まで来ては立ちはだかって叫んでいる。こんなに術もないものか、世の中の道は。
反歌 山上億良

世の中を憂しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ鳥にしあらねば 893

18日

笠朝臣金村の作れる歌
920

笠朝臣金村

あしひきの み山も清に 落ちたぎつ 芳野の河の 河の瀬の 浄きを見れば 上邊には 千鳥しば鳴き 下邊には かはづ妻呼ぶ ももしきの 大宮人も をちこちに 繁にあれば 見るごとに あやにともしみ 玉かづら 絶ゆること無く 万代に かくしもがもと 天地の神をぞ祈る かしこかれども 

921 萬代に見とも飽かめやみ吉野のたぎつ河内の大宮どころ
19日 ほととぎすを好んだ古代人 1755
読み人知らず

うぐひすの かひこの中に ほととぎす ひとり生れて己が父に 似ては鳴かず 己が母に 似ては鳴かず 卯の花の 咲きたる野辺ゆ 飛びかけり 来鳴き響もし 橘の 花をい散らし 終日に 鳴けど聞きよし 幣はせむ 遠くない行きそ わが屋戸の 花橘に 住み渡れ鳥

20日

言挙げ
3253番

柿本人麻呂

葦原の 水穂の国は 神−かむーながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙ぞわがする言幸−ことさきーく まさきくませと つつみなく さきくいまさば 荒礎−ありそー波 ありても見むと百重波 千重波にしき 言挙す吾は 言挙す吾は 

反歌 3254

しき島の日本の国は言霊−ことだまーのさきはふ国ぞまさきくありこそ 

21日 言霊信仰 3280

吾背子は 待てど来まさず 天の原 ふりさけ見れば ぬばたまの 夜もふけにけり さ夜ふけて あらしの吹けば 立ちとまり 待つわが袖に 降る雪は 凍りわたりぬ 今更に 君来まさめや さなかづら 後もあはむと 慰むる 心を待ちて ま袖もち 床うち払ひ うつつには 君にはあはず 夢にだに あふと見えこそ 天の足夜を 

男の来ない絶望だけど、可能性を信じて言葉にだして罵倒しない。せめて夢でもと。言霊信仰が潜む。

22日

夫婦愛の極致

3314

つぎねふ山城道−やましろじーを 他夫−ひとつまーの馬より行くに おの夫−つまーし 歩−かちーより行けば 見るごとに ねのみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と わが持てる まそみ鏡に 蜻蛉領巾−あきつひれー負ひなめもちて 馬替へ吾背 

反歌

3317
読み人知らず

馬かはば妹歩行―いもかちーならむよしえやし石は履むとも吾は二人行かむ 
23日 悲劇 416
大津皇子

死被―たまわりーし時に磐余―いはれーの池の堤にして涙を流して作らす歌
ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ 

24日 調べ 271
高市黒人

桜田へ鶴―たづー鳴き渡る年魚市潟―あゆちがたー潮干にけらし鶴鳴き渡る  

25日 早春

147
山部赤人

明日よりは春菜摘まむと標―しーめし野に昨日も今日も雪は降りつ 

26日

濁り酒

338
大伴旅人

―しるしーなきものを思はずは一杯―ひとつきーの濁れる酒を飲むべくあるらし

27日

語呂合わせ

527
笠女郎

来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを来むとは待たじ来じと言ふものを
28日 1839
読み人知らず

君がため山田の沢にえぐ摘むと雪消−ゆきげーの水に裳の裾濡れぬ 

29日

東歌
切なる思い

3101
読み人知らず

信濃なる千曲の川の小石―さざれしーも君し踏みてば玉と拾はむ 

30日

防人歌
望郷

4425
読み人知らず

―いはーろには葦火焚−あしふたーけども住み良けを筑紫に至りて恋しけ思−もーはも