日本海新聞 潮流寄稿 平成16年11月3日

逆手に取られている遵法精神

日本は、世界的にみれば、国民は当然だが、国家としても極めて遵法精神の高い国である。幕末、そして開国後の明治初年、狡賢い白人の巧妙な手口で当時の日本は不平等条約を締結してしまい、40年後の明治末期に名外相・陸奥宗光によりそれが解消された。

その間、国民は収奪に近い富の損失を招いている。戦後から今日までも対外的に約束して法を成立した物事は実に真面目に遵法している日本である。

この遵法精神の高い国民の愚の最たるものが、現憲法であろう。アメリカとの戦争に敗れ、日本に占領軍として来日したマッカーサー総司令官の武力を背景に押し付けられて出来たのが現在の憲法である。国際法では主権のない状態の時に憲法などは作ってはならないとある。対米戦争は
4年間で、占領期間7年というのも歴史的に珍しいが、欧米のドイツとかフランスとかの、敗戦経験豊かな国々は、講和締結と共に、さっさと占領中のあらゆる法律は憲法も含めて、国民主権の無い状態であり無効であると廃止宣言をしている。日本も昭和27年の講和条約締結時に廃止宣言をポーンとすればよかったのだ。然し、当時の日本指導者は気骨を失い、開国以来の敗戦ですっかり負け犬となっていたのだ。国民もそのあたりの認識も無かった。
あれから
60年に喃々とするが、国際法違反の、押し付け憲法を後生大事に遵法している愚かさ。結果的に、現憲法通りにするにしても、気分が悪い押し付けの国際法違反憲法は、一旦廃止して自分の気持に忠実なものを創造するのが人間の、或いは民族の意地というものではないか。その意地すら見えない戦後の日本である。そして、改正反対、反対と叫び、憲法成立の根本背景を無視する愚かしさ。いつまでも国際法違反の憲法を遵法する愚かしさ。

このように、出来た法律を後生大事にする国だから、米国も中国も韓国も、日本は国内的に一旦法律が出来たらバカみたいに守る国だと確信しているのであろう。だから、
19世紀のように、恫喝して強引に言いくるめなくても、日本人自らに国内法を成立させた事とすれば良いとなる。

この国内法を自主的に作らせるのは簡単だ。日本の政治家とか外交官とか大臣に、色んな手を使えばよい。橋本元総理もそうであった、あれは中国の女性、或いは金品であろうか、そして彼らの国益になるように、陰に陽に担当者を言葉で脅して国内法にしてしまえば永久に旨い汁が吸えるということになるのではないか。

特にアメリカ・中国は日本に対して巧妙のように思う。知らぬ間に、日本はアメリカそのもののような、アメリカの国益に貢献するような諸制度が国内法として完成しつつある。それに至る間の外交交渉で、文書に残らない恫喝・脅迫が存在していると思わざるを得ない。担当者が体を張って断固ノーと言わないで、ずるずると国益を喪失しているケースが大多数ではないか。これは中央・地方を問わず公的職務従事者に多見され国益が消失している。宮沢総理は、大蔵大臣の時、米国財務長官のサマーヅが一喝したらすぐ態度を変えたと、米国メディアが報じていた。

こんな処に見えない国益喪失が存在する。先月の本欄で記した米国の日本政府当て「
年次改革要望書」などにより、斎整粛々と国内法が実現し国益喪失が、大多数の国民の知らぬ間に進んでいる。

憲法にしても、国際法違反の東京裁判にしても、総理大臣とか外務大臣が、あれは国際法違反であり、占領中の主権なき時の法による裁判であり死刑である、日本政府・国民としてこれは到底容認できないと、国連総会に於いて、世界に堂々と廃止宣言すれば、一挙に解決し戦後の自虐史観も霧消する。法理論を精緻に固めてやればいい。大臣か総理の一人や二人は犠牲にならなくては日本国家は未来永劫根源的に浮かばれない。政治家とか外交官は命懸けが必要で、それは覚悟の上の絶対不可欠な要件であろう。国家国民のために彼らはそれなりの覚悟を要す。

鳥取木鶏クラブ代表世話人 徳永圀典