日本海新聞 潮流寄稿 平成163月3日

活性化のモデルは

鳥取の活性化対策を聞かれた。なぜ活力がないのか。一口で言えば鳥取は熾烈な競争原理が働いていないからだ。生存の激しい切磋琢磨がなく、真剣勝負が欠け活力が出ない。競争原理の欠けた職場の最たるものは公的機関である。そこに著変が見られたのは4年前であった。

結論から言えば、活性化のモデルは片山鳥取県知事である。知事就任早々、私の経験からの推察だが、職員に余りのハードな、多分理詰めであろう、知的に理論的に、合理的思考を徹底的に追求されたのではないか。トップからの遠慮ない問題点の追求である。幹部職員は、そのような経験はないから、右往左往して新知事に対する感情的不満の雑音が一時満ち溢れていたのではないか。部外者の私にまで色々耳に入った。中には、苦情をお門違いにも西尾前知事にご注進に及んだとか?西尾前知事は、黙っておられ何も言われなかったとか。私はその話を聞いて帝王学を身につけられた西尾氏は流石なお方と思った。この話の真偽の程は知らぬ。それは本論ではない。

私はその時に、あのね、
1年半したらやむよ、片山知事は、部下の知識、能力、志、意欲を験しておられるのだよ、と話した。その過程で人物、知識能力、意欲を洞察するのが人事の常道である。案の定、1年過ぎるとピタと納まった。やはりと私は肯いたものだ。若い時の職場の上司も、天下の秀才揃いで意欲満々体力頑健なのがガンガン部下に立ち向かってくれば当然部下も鍛えられる。自分も管理者になればそうして部下を鍛えた。それを思いだしたのである。今、県下各市町村と知事と意見が合わない点もあるやに聞く、片山流で市町村の思考の非合理性、なあなあ、を打破したらいいと思う。喧々諤々、部下や市町村から文句が出るくらいでなくては元気、即ち活力が出ない。理に合わぬ事は大いにトップと雖も反論したらいい。そこから活力が生ずるのだ。

新潟県であったか、年間事業高
70億程度の住宅供給公社で一人の男が10億を何年も愛人に貢ぐのが分からないとは会社全体が眠っていたようなものだ。この程度の人材で地方分権など簡単にされては税金の無駄遣いとなり国民はたまったものではない。

大いに片山流をやるのが活性化に通じる。今や片山知事は全国ブランドで県内外の活性化に大貢献である。私の眼から見ても目線が普通の公務員以上に庶民感覚があり現実的だし実行力抜群だ。

要するに組織の活性化などは上次第だ。トップ次第で職場は活力が漲るしやる気が充満する。市内H郵便局など交代で火が消えたようになったのはその好事例である。市内サービス業、少しはいいかと思ったジャスコもまだまだ。当地は私の目からみてなんという殿様商売の職員や管理者だろうと思う、特に東部は民間も官のようである。顧客は神様、が商売の原点でありその認識と表現に教育不足がある。お客あっての商売、客捌きや事務の効率化で、寝てもさめてもの工夫のない鳥取だなと痛感する。

企業は生産性向上がサラリーの多寡を決定する。効率の格差、これがペイの違いの本質である。鳥取県は人口密度も少なく来客も少ないから効率性、生産性という視点が低い。市役所や町村役場の窓口に行くと典型的だ。最高の来客時に適合した職員数を配備しているから閑散時は時間が余って仕方のない風情がある。人員を最多忙時に適応し採用しては非効率である。多忙時にはシフト体制を敷いて凌ぐのが民間である。まあ、市内トップの大小売業でも顧客と視線があっても挨拶も会釈もなくて商売が出来る土地柄であるからか、眼が節穴に過ぎないように見える。サービス業は客と視線が合えば軽く、ニコツとするものだが、銀行でもシレッとしている。

そう言えば、因美線で通勤していた時だが、みんな居眠りばかりで新聞を読んでいない、自動車通勤は当然読まない。鳥取はそれで通用するのかと思った事もあった。概して仕事に対して厳しさに欠ける。トップは部下にドンドン刺激を与えたらいいのだ。仕事が暇な時には、時事、経済問答でもいい、要するに頭脳の刺激こそ活性化の秘訣である。トップは大いに片山流を真似たらいい。それには実力と包容力が必要ですぞ。放言、お許しあれ。

(鳥取市)鳥取木鶏クラブ代表世話人 徳永圀典