徳永圀典のアングロサクソン研究1.―冷戦後の検証―

1日

はじめに

冷戦終結後のこの12年は失われた日本であり、マネー敗戦或いは第二次敗戦とも言われた。第一次敗戦は昭和20年の戦争敗北であった。本人は二回戦争に負けた、相手はアメリカでありアングロサクソンである。米英両国は兄弟国でありアングロサクソン人である。この度のマネー敗戦でも、日本政府、大臣とか官僚が恫喝的にアメリカにやられて経済マネー政策で後退し国益の為に戦わなかったと私は確信する。あの凄まじいまでの外資の暴力に近い法律スレスレでの利益追求、世界的ネットワークを駆使して情報操作し、一国と雖も弱点と隙あらば徹底的に為替・株式を売り込む資金力、度胸で、一企業はおろか、一国すら破綻させるアングロサクソンの戦略思考を我々は知らなくてはならない

2日

それは日本に戦略が無いから負けるのである。平均的国民の能力は遥かに日本が高いのにアメリカに負けるのは戦略がなく且つリーダー不在に起因するアメリカ市場経済が猛威を奮ったし日本社会もそのようになりつつある。経世済民のような思想を全く持たないアメリカ式市場経済で日本人は幸福になれるのか、アメリカのような貧富の差が増大し世の中がギクシャクしてくるのは必定である

3日

それは、それとして、日本が二度の戦いで負けた相手のアングロサクソンとは何者か、日々研究して見たい
巧妙極まりない仕組みを創り気付いた時は既に後の祭りで、彼らの罠に嵌っていたアメリカの手法。彼等はアングロサクソンである。アングロサクソンに無関心ではいられない。日々の研究成果を日々ホームページに掲載して行きたい

4日

アングロサクソンの出自

アングロサクソン人は元々アングル人、サクソン人とジュート人から成る。彼らはブリテン島に侵入してブリトン人を征服した。ブリトン人の中にも勇士、アーサー王も出たが生き残った者は奴隷にされている。これが英国の身分制度の始まりだ。アングロサクソン的支配の典型的パターンの嚆矢であろう

5日 アングロサクソンの生い立

アングロサクソンがこうしてブリテン島に定住して6世紀末、七王国が誕生したが興亡が繰り返され9世紀になり全イングランドが統一されている。日本では空海が金剛峰寺を創建し、延暦寺の戒壇が建立された平安時代初期である。元来、日本の文化レベルは彼等より圧倒的に古く高い。

6日 10世紀後半からディーン人の侵入があり11世紀初頭デンマーク王にイングランドは支配された。その後「ノルマンコンクェスト」のノルマンディー公ウィリアムのイングランド征服がありノルマン王朝の支配が確立されイングランド王国が始まったと言える。
7日 アングロサクソンの先進性 その後、1215年の大憲章―マグナカルターで商人の自由、教会や都市の特権、大貴族の権利などを王に認めさせた。1295年国王は大聖職者、大貴族、各州騎士代表、各都市の市民代表を集め「模範会議」を開催した。これは「議会制度」のスタートであり世界史上画期的なことである。
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アングロサクソンの先見性

これにより身分制度が確立した事は皮肉にもアングロサクソンが世界の海洋に進出する原動力になっている
9日 16世紀末のアングロサクソン1. 1.1492年コロンブスのアメリカ発見とエリザベス女王時代に北米バージニア入植。
2.
当時の覇権大国スペインの無敵艦隊を1588年奇跡的に撃破した。
10日 16世紀末のアングロサクソン2.

3.アメリカ大陸発見後、世界支配をめざして世界の植民地化という野望を持つスペインに英国が勝った事は英国が世界に飛躍する自信を持たせた。そして制海権を握っていくのである。
4.1603年、イングランドとスコットランドが合同し「グレートブリテン王国」となる。

11日 アングロサクソンの目指したもの アングロサクソン世界進出の先陣は中産階級と下層階級、上流階級では次男、三男である。彼らは他国で経済的成功を目指した。特にアメリカでは念願通り「自由」を特別視した国家作りを始めた
12日 アングロサクソンの統治形態

彼らは1607年バージニア殖民からスタートし1732年のジョージア殖民まで13の植民地を作った。この間、英国はスペインと戦い又フランスとも戦い圧倒的な植民地を争奪した。英国以外の宗主国は、原住民を存続させ君臨した上で利潤を得たが英国は、大量の農耕民を送り込み、原住民のインディアンを徹底的に排除した。自民族に対する執着と自信であろうか。

13日 思わぬ反抗 然し、ここで13州が本国に反抗して遂にアメリカの独立を認めざるを得なかったが同じアングロサクソンである。
14日 インドの悲劇1. ンドにはムガール帝国があり滅亡するまで時間がかかっている。英国は、1799年から謀略の末に周辺国と連合し1877年に漸くインドを完全制圧している。あらゆる権謀術策をめぐらして漁夫の利を得た。この結果、歴史に残る英国のインド搾取と圧政が始まる。地税を4倍、払えぬ農民の土地競売と小作化、買い手は英国人と利害あるインド人
15日 インドの悲劇2.

広大なインドの土地は英国の原料供給地として農業植民地と化し、綿花、ジュート、茶などは略奪同然に英国に持ち帰った。インドは資本と原料の基地そして市場として英国の産業革命を支えた。「凄惨な地獄絵で身の毛もよだつ光景は日常茶飯事だったという」「世界の有史以来、英国がインドの搾取から得た利潤以上のものはあるまい」というアメリカ作家もいた

16日 インドの悲劇3.

インド進出当初から激変した態度を示し始めた英国人、彼らは「インド人は野蛮で、彼らを教化するのは文明人の義務」として「我々が統治し支配するように神に運命づけられたインド人」とまで言うようになる。この傲慢に近い思いと彼らの宗教キリスト教との関連も実に興味がある。キリスト教の宣教師は植民地化の尖兵だと私は判定する。アングロサクソンのこの倣岸に世界は圧倒されてきた

17日 インド以外の強奪植民地

1800年前後―アフリカのケープ植民地とセイロン島
1834年―マレーシアとシンガポール
1842年―中国でアヘン戦争を起こし香港割譲させる。
北アフリカのスーダン、エヂプト

1860年代―スエズ運河支配
その後――オーストラリア、ニュージーランド中国長江流域利権このように英国の植民地は拡大の一途を遂げる。この貪欲さは他のヨーロッパ諸国と明白に違う

18日 英国植民地の特徴1.

最盛期の英国は、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、エジプトから南アフリカ、インド、ビルマ、マレーシア、それに太平洋の島々を加え七ツの海にまたがり広大な領土を200年間支配し、パックス・ブリタニカを誇った。

19日 英国植民地の特徴2.

@大陸から30キロ離れている島国で直接ヨーロッパ大陸の抗争に巻き込まれなかった。海洋国家としての地政学的優位性を守った。ちなみに日本も朝鮮半島200キロ、東シナ海900キロあり大陸の動乱と無縁であったことが幸いしている。これは極めて重要な地勢的優位であり堅持して行く必要がある。なぜ、これが可能となったか

20日 Aキリスト教を植民地統治に使用する方法はスペイン、ポルトガルと違った。カトリックの両国は無理矢理信仰を強制したが英国は教会など組織を利用して弾圧を避けた。然し、宗教が世界支配の重要なポイントとして世界の主要聖地を保護国として取り込んだ。エルサレム、コンスタンチノーブル、ガンジス河、メッカ、メジナである。いはば英国は最大のプロテスタント国、最大のイスラム国でもあった。現今アングロアメリカンは歴史的教訓を学んでいるのか
21日 Bスペイン、ポルトガルは植民地から収奪したものは国内で豪勢に消耗するだけであったが、英国は蓄積し次の植民地経営に再利用した。更に産業革命を起こすだけの科学技術を高めたのは賢明であった。然し、それは更なる植民地収奪の為であった
22日 産業革命

1.1700年代後半に英国は商船隊世界一となる。これでアメリカ大陸を含む世界貿易で絶対優位が確立した。海軍力で制海権を把握、海運力で貿易と運送、保険を制し大収益源とした。インドからの綿花輸入で綿紡績が、蒸気機関の発明で機関車製造・機械・金属・製鉄・石炭と工業化が総合的に一気に進んだ。世界史上最初の工業大国の出現である。19世紀後半には世界の工業生産の二割を占め世界の工場と言われた。船舶保有に到っては世界の四割であった。

23日

2.無知な後進国を侵略し、原住民の悲劇を起こしつつ、資源を強奪し富を集積した英国は1870年頃には金融大国となったのは必然である。英国は世界の工場から世界のサービスセンター、更に世界の金融センターへと進みロンドンはシティと言われる世界最大の金融センターとなる。英国ポンドの輝ける光背は21世紀の今なお残映を見せており大英帝国の愛好者は多い。だが、大英博物館の陳列を見てこれが多くは外国からの略奪、侵略によるものだという事も歴然とした事実である事を想起しているだろうか。

24日

翻って戦後1980年代の日本は、世界の金融資産の三割を占めた。アングロサクソンのように覇権の意思あらば、軍事力と優れたリーダーシップある国民性なら当然、世界の覇権国として君臨し円を世界通貨とした筈である。日本の原理は共存である。それが一挙に崩れたのはアングロアメリカンの策謀によるものがあり世界の平和は容易ではない。キリスト・イスラム・ユダヤ等、唯一絶対神は異教徒を敵視する。唯一絶対神を奉ずる民族は平和共存ではないようだ。

25日 アングロサクソンの個

いかにすれば国が豊かで強くなれるのか、これは英国の歴史がそのモデルと言える
1. 強烈な軍事力・経済力・自己革新力を常に求め続け保持し、常にトップを獲得する頭脳戦
2
.戦前戦後の対米外交を勘案特にアメリカだが、彼らは常に、思いもつかぬ事を考えて、気付いた時には既に彼らの手中に落ちていたというようなものがある。然し、個人的にはアングロイングリッシュとアングロアメリカンを区別したほうがいいと思える。アメリカを世界の新興成金とするなら英国には過去の長者の趣きを感じる。

26日 3.交渉を見ても常に覇権的で絶対優位を常に勝ち取っている
4. 友好国には頼もしいが敵には途轍もない妥協の無い反撃をして壊滅させてしまうものがある
27日 日本人などの、まあまあ主義では到底対抗できぬし赤子の手を捻るようなものであろう。時に恫喝、威圧で承服させてしまうのはこの度のマネー敗戦で実証済みである。日本はそれに降参して米国に靡いてしまった。背景に言語に絶する軍事力がなくては叶うまい、軍事力だけではない、世界的に人脈を駆使した情報網はアングロサクソン五百年間の蓄積があり、あゆる分野のあらゆる支配層と結びついている
28日 その長期戦略・戦術には悔しいが敬服するものがある。善悪は別にして、世界経営をした過去数百年の歴史の積み重ねがある。一島国の視野の狭い、農耕民族ではとても敵したりがたいものがある。欧州・アジア・全世界と戦いに明け暮れた過激な民族と言える。現段階では、敵にしては国益を損なう
29日 大国の黄昏

人間というものは、集団でもそうだが、やはり豊かになると労働意欲が減退してしまう。国家も人間の集団である、英国も例外ではなかった。「豊かになる事は弱くなる事である。」ローマ帝国も然り、大国は例外なく外敵に非ず、内から滅びる。然し英国は兄弟国のアメリカにバトンタッチしたと言えるのでアングロサクソン民族としては世界の覇権を維持しているといえる。

30日

このアメリカと英国の連携とバトンタッチの円滑な移行にはドイツという存在がある。ドイツが猛烈に工業化し英国を追い上げる、そこで兄弟のアメリカと協力関係を築いた。だから米英両国は一枚岩の国とみていい。米英主導による世界リードとなったといえる

31日 アメリカ原住民の悲劇

英国から米国へとアングロサクソンの覇権が移動した。アメリカ大陸の原住民であるインディアンに就いて語らねばアングロサクソンの本質は分からない