美しい日本  万葉集からーー山と旅
去る2月、鳥取県の某市で講演した時、私のホームページを見ている、中でも、日本の歌を見て喜んでいると言われたのは大変嬉しかった。万葉集がお気に入りのご様子であった。静岡県のお方からも日本の歌を見ているとのメールもあった。万葉集は素朴で大らかで技巧がなくいつも素晴らしい。山好きの私が「山と旅」を探した。

1日

山部赤人

み吉野の 象山―きさやまーの際−まーの 木末―こぬれーには ここだも騒ぐ 鳥の声かも

ここで鳥の声を聞いたことがある。去る2月、熊野の鎮山、大塔山界隈で友と春の鳥の鳴声を聞き大自然と一体になった。律動的な歌。
2日

読み人知らず

大王―おおきみーの 三笠の山の 帯にせる 細谷川の 音のさやけき

の、の、の、の律動が私には、山中のせせらぎに聞こえる。実際にせせらぎは、爽やか、清新、躍動、命の蘇えりを感じさせる。

3日

読み人知らず

道の辺−べーの 草深百合―くさふかゆりーの 花咲−えーみに 咲−えーまししからには 妻といふべし

登山中に小百合を発見すると必ず声をあげる。咲くを笑みと読むのも素晴らしい、まさに妻というに相応しい出会いが登山中の百合である。

4日

志貴皇子

石激―いはばしーる 垂水の上のさ蕨―わらびーの 萌え出づる春に なりにけるかも

天智天皇の皇子、2月熊野の奥、百間山渓谷で無数の瀧を親友と見た。あそこにも春のさ蕨が!!!晴れ晴れとした春の到来を思わせる。

5日

読み人知らず

―あかときーと 夜烏−よがらすー鳴けど この山上−おかーの 木末―こぬれーの上は いまだ静けし

夜明け前の自然の歌、昨春、友と同行した奥多摩、秩父は雲取山のご来光を思い出した。懐かしい!

6日

大伴坂上郎女

夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ

山中で繁りに繁った雑草、その中に小さい、赤い花が本当に可憐で姫のようだ。それは秘めた恋のようだ。
7日

舒明天皇

夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝−いーねにけらしも

小倉の山は山の辺の道のある桜井市の近くらしい。今夜は鳴かず妻と共に寝たのかなあ、人間と変わらない。
8日

柿本人麻呂

ひさかたの 天の香具山 このゆうべ 霞たなびく 春立つらしも 神の山、親愛感のある山、大峰、吉野の山々に行く時は必ずこの歌そっくりの香具山を遠望する。らしも、なんと素敵だろう。
9日

柿本人麻呂

ぬばたまの 黒髪山の 山草―やますげーに 小雨ふりしき しくしく思ほゆ

女性の雰囲気がある歌、山すげはヤブランらしい。小雨の山も中々でヤブランと小雨は似合う。しくしく、うーーんと唸りたい程素晴らしい。

10日 読み人知らず

馬買はば 妹−いもー歩行−かちーならむ よしえやし 石は履−ふーむとも 吾−あーは二人行かむ

わしらは貧乏だし、買ったとしてもお前は歩かねばならない。例え石を踏んでしまっても手をとりあって歩いて行こう、という夫婦愛。京都から奈良への道での歌。いい歌だね。

11日

大伴家持

もののふの 八十−やそーをとめらが くみ乱―まがーふ 寺井の上の 堅香子−かたかごーの花

かたくりの花は薄紫で初々しく可憐、樹下にうつむいて咲く、登山でいつも探したい好きな花。

12日

笠金村

山高み 白木綿花に 落ちたぎつ 瀧の河内−かふちーは 見れど飽かぬかも

吉野離宮は宮瀧。ここの淵で泳いだことがある。瀧は日本人には特別な感慨がある。落ちたぎつ・・素晴らしい表現に感動。

13日

柿本人麻呂

み熊野の 浦の浜木綿 百重−ももえーなす 心は念―もーへど 直−ただーに逢はぬかも

2月熊野の鎮山という大塔山に登山した。紀伊半島に群生していたらしい。山の頂上で潮岬を近くに展望した。

14日

有間皇子

家にあれば 筍―けーに盛る飯−いひーを 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る 有間の皇子は悲劇の主、もう一句、南部岩代での挽歌「磐代−いわしろーの浜松が枝を引き結び真幸−まさきーくあらば また還り見む」19才の青年である。その南部の梅林を去る2月友と鑑賞した、この皇子の心も偲ばないで。
15日

大津皇子

あしひきの 山の雫−しずくーに 妹−いもー待つと 吾立ちぬれぬ 山の雫に

木の雫を山の雫という、石川女郎の返歌「吾を待つと君がぬれけむ あしひきの 山の雫に ならましものを」素晴らしい応答、現代若人の恋愛の動物的なことよ、情緒も余韻も情操も欠ける現代っ子。

16日

大伯皇女

二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ

大津皇子の姉の歌、寂しい秋の山を弟は独りでと素晴らしい兄弟愛。登山も単独行は寂しく心細いものがある。親友との登山は楽しい。

17日

鏡王女

秋山の 樹−こーの下がくり 逝く水の 吾こそ益−まーさめ御念−みおもひーよりは

自分の心を派手に見せないで、慎ましく、相手への深い自分の心を表現出来るのは上等な人間的教養。
18日 磐姫皇后

君が行−ゆきー 日長―けながーくなりぬ 山尋ね 迎えか行かむ 待ちにか待たむ

仁徳帝の皇后、山を越えて会いに行くか待つかの思案、山を越えるのは大変なのです。
19日

坂門人足

巨勢−こせー山の つらつら椿 つらつらに 見つつ思はな 巨勢の春野を

私の大変好きな歌、以前掲載したが再掲載。この楽しいリズム、春を待つ気持ちにピッタリ。友と熊野の帰りに近くを通った思い出。

20日

当麻真人麻呂の妻

吾背子は いづく行くらむ 奥つ藻の 名張の山を 今日か越ゆらむ

名張の奥山には親友と本当に度々登山した。深い山々がある。どのあたりを越えているのかと夫の身の上を思う歌。

21日

大海人皇子

紫草−むらさきーの にほへる妹を 憎くあらば 人嬬―ひとづまーゆえに 吾恋ひめやも

天皇主催の薬草狩の時、大海人皇子の兄の中大兄皇子の後宮になっている元の奥さん、額田王に親愛の情を明快に示した男らしい歌。

22日 額田大王

あかねさす 紫野行き 標野−しめのー行き 野守は見ずや君が袖ふる

昨日の歌、大海人皇子への返歌、女らしい、はにかみがある。近江の船岡山らしい。

23日

額田王

三輪山を しかも隠すか 雲だにも 情−こころーあらなも 隠さふべしや

近江へ遷都する時の歌、信仰の三輪、大神―おおみわーを振り返る。雲だけでも心があれば三輪山を見せてと叫ぶ。ご神体であるこの神奈備山の山頂で私は磐岩を拝んだ。

24日 大伴家持

春の野に 霞たなびき うらがなし この夕かげに うぐひす鳴くも

春の憂い、春愁、純粋な叙情詩で、繊細な感性が伺える。山でも春の霞は春愁を覚える。

25日

舒明天皇

大和には 群山−むらやまーあれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙−けぶりー立ち立つ 海原は 鴎−かまめー立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は

去る2月、心友と熊野の鎮山で見渡した山々は青垣のように連綿と続いていた。うまし国、日本を実感した。忘れられない。
26日

秦間満

夕さればひぐらし来鳴く 生駒山 越えてそ吾−あーが来る妹が目を欲−ほー

遣唐使の一人秦間満は出発前の僅かの時間に生駒山を越えて妻に逢いに行く。人情不変。
27日

穂積皇子

今朝の朝け 雁が音−ねー聞きつ 春日山 紅葉にけらし わが情−こころー痛し

敏感な詩人、もう紅葉の季節かと雁の鳴く声で痛む。

28日

読み人知らず

二上−ふたがみーの 隠らふ月の 惜しけれども 妹がたもとを 離−かーるるこの頃

いとしい女の手枕を離れる苦しさと月の落ちるのを惜しむのと対比した歌。

29日

弓削皇子

瀧の上の 三船の山に いる雲の 常にあらむと わが思−もーはなくに

登山して見る雲ではなさそうだ、病弱な皇子があの雲のように何時までも変わらず生きて居たいと。

30日

柿本人麻呂

春楊―はるやなぎー 葛城山に 立つ雲の 立ちても座―いーても 妹をしぞ思ふ

葛城山に一言主神社にお参りした雪の日を思う。楊を輪にして蔓にするから葛城山の枕詞としている。

柿本人麻呂

石上−いそのかみー 布留−ふるーの神杉 神さびし 恋をもわれは 更にするかも

石上神社は不思議な神社、布留、フルの呪いもある、伝説通りに太刀が大発見されたのは明治初期。日本歴史は深い、神話も信用できるものもある。