平成16年4月--今日の格言・箴言23 水野南北「開運の極意」―万人に一人の誤り無し
水野南北は江戸時代の中期、京都に在住、聖徳太子を学び、神道、儒教、仏教を深く研究した。散髪屋の小僧を三年間勤め頭の相を研究、風呂屋の三助三年間で体の研究、火葬場の隠亡−おんぼうーを三年やり、死者の骨相の徹底研究をした。東西の相法を研究するだけでなく、実地についても深く研究を積み重ね百発百中当たらざるなしと言われた男である。古今東西、類を見ない権威であり門弟六百人と言われた。

1日 人相を多年占ってきたが、ただ人相のみで判断すると、金ができ出世し長生きする相の人で、貧乏し若死をする人があり、貧乏で若死する相の人が実際では金が出来、出世をし長生きする人があり中々当たらぬ事が多く残念に思っていた。
2日 処が或る日、ふと食物が大事では、と気付き、人の運・不運・寿命は、みな食べ物、飲み物を慎むか、慎まないかによって決まるのではあるまいかと試してみたところ、一年前には大難が来るようになっていた人が、断然飲食を慎んだ為に大難を免れただけでなく、かえって良いことがあった。
3日 又、生涯貧乏である相の人が飲食を慎んだ為に相応の富貴を得て今は大変出世している人がある。
4日 前々から病弱短命と判断していた人が、毎日飲食を慎んだ為、心身とも健康で長生きしている人が少なくなく、こんな例は数えきれない。
5日 それからは、人を占うのに、先ずその人の飲食の様子を聞いて、それにより一生涯の運・不運を判断したところ、万人に一人の失敗も無いことが分かり、人の運命は全く飲食一つであると確信し、これを私の相法の極意と定めた。
6日 そしてこれを人に勧めるだけでなく、私自身が率先して実行し一生涯少しも米を食べず、唯、麦を一日一合5勺だけとし、酒は大好物だが、これも一日一合と定めた。
7日 これは唯自分のためだけでなく、みんなが一日も早く飲食を慎んで、開運幸福長寿を得られるように切望してやまないからであった。
8日 人間一生の吉凶はみな只その人の飲食による。恐るべきは飲食である。慎むべきは飲食である。
9日 飲食が分限―持ち前―より少ない人は、人相が悪くても吉であり、相応の福分―幸せーを得、長生きし晩年幸福である。
10日 飲食が分限より多い人は、例え人相が良くても何事も順調に行かず、手遅ればかりで、生涯苦労が絶えず、晩年不幸せである。
11日 小食で、厳しく定めている人は例え貧乏して悪い人相であっても相応の幸せがあり、ひ弱そうに見えても病気をすることがない。
12日 大食であって、その上量も時間も決まっていない人は問題外で一生涯運は良くならず、遂に家庭を壊し病気になる。
13日 飲食に定めがあっても、時々少しでも多かったり少なかったりすると、収入もまた多かったり少なかったりする。飲食が一定していて変化が無いと、収入もまた一定して変化がなく、ただ食事を一定して厳重に守るのが良い。
14日 寿命の長い短いは、ただ人相だけでは定めにくく、平生の食事の量を調べて占うと、万人に一人の失敗もない。
15日 病気のない吉相の人であっても、若い時から毎日贅沢な食事の人は、年をとって胃腸の病気になる。
16日 毎日仕事に精を出すだけでは、立身出世するものではなく、一所懸命、倹約して大食を慎み、少しでも天から頂いている食物を延ばしこれを基礎として立身出世を計るより他にない。
17日 飲食に贅沢三昧をし、したい放題して立身出世を望むのは大馬鹿者である。返す返すも飲食を慎むことが第一です。
18日 厄年に大難の相があっても、いつもおごった食事をせず厳重に定めている人は厄を免れる。
19日 酒や肉を多く食して肥え太った人は一生涯、出世発展することがなく、慎まないと晩年不幸せである。
20日 自分が後々、立身出世しようと思うならば、先ず第一に食を減らして厳重に定めること。これが出来る人は必ず立身出世をし、出来ない人は生涯立身出世の見込みが無い。
21日 繁盛している家の運が尽きてつぶれようとしておっても、もし跡継ぎの主人がその食事を減らして厳重に守ると収入が自然に延び、家運は栄える。
22日 たとえ貧乏で苦労の多い人相でも、自分自身で貧乏人らしく粗末な物を食べ、これを厳重に守り抜くときは、自然に貧しさから抜け出して相応の財産ができる。これを自福自得という。
23日 普通、「気が強い」というのは、ただ強気一方で、がむしゃらに非道を押し切ってするのを言う。酒や肉を、たらふく飲み、たらふく食べていかにも元気強そうにみえをはるのは、本来、天理に背くもので長くは続かない。慎みがあって、そうして身を立てる人であってこそ、初めていついつまでも長続きする。
24日 たとえ千日千夜祈ったとしてももそこに誠がなかつたならば、決して神明には通じない。もし誠を以って祈ろうと思うならば、自分の命を捧げよ。飲食は、わが命を養う本であり、飲食を捧げることは、自分の命を捧げるのと同じである。神は正直な人の頭に宿られる。濁ったものは受けられない。ふだん三椀であれば、毎日お膳に向かって、自分の信ずる神仏を心に思い祈るならば、どんな願いでも叶えられないことはない。
25日 一つの道に秀れているものは、たとえ慎みが堅固であったとしても天は更に困窮を与えられることがある。これは更に一層道に励まそうとされる天の御心である。大人はこんなことに心を煩わされず、益々その道に励むので遂に天下に名を成す。小人は心がすぐに乱れて慎みを捨て、天を恨むので一生ふらふらして、目的を達成することが出来ない。
26日 たとえ小人であっても飲食を慎み厳しく決めると心は乱れない。心が乱れなかったら、そのうちにきっと目的を達成すること疑いなし。だから先ず飲食を慎み、そのほかどんなことでも善いということを実行して天運を待っておるがよい。
27日 運はめぐるである。善いことも悪いこともみんな自分の実行に従って報いるのである。自分で一度善いことをすればその報いは必ず自分にまわってくる。吉凶ともその報いがまわってくることは、天地の法則である。運は、はこぶである。自分の行う善事が小さくても、これを段々積み重ねていくときは終いには天下の大きな善事を成し遂げる。
28日 命のある間はどんな人にも運がある。朝早くから起きて毎日の仕事に精を出し、その上に飲食を慎んで怠らなければ自然に天理にかなって運は段々開けてくる。これを開運という。
29日 飲食を慎んでおると心も体も健康で気が自然に開けてくる。気が開けると運もそれにつれて開けてくる。決して誤りは無い。先ず三年慎んでみなさい。それで運が開けなかったならば、世界に神様はおられない。水野南北は天地の大敵だ。
30日 人相の善い悪いをはっきり知らうと思えば、先ず自分で飲み食いを慎み、一切の無駄をなくし、そうして三年続けたならば人相の善し悪しは自然にはっきりする。私はいつもこれを実行して自然の善し悪しを自分で十分納得してからみんなの人相を判断した。これが占いの大道だ。自分でこれをしなくてどうして人を占う事ができよう。人を占うことは要は自分の慎みだ。私の相法皆伝の極意は決してこのほかにはなにもない。