日本海新聞潮流寄稿 平成164月1日

これでは、してやられる

わが国は民主主義国で、言論と出版の自由以上の言いたい放題、やりたい放題の感すら受ける。自由には、一方で社会的義務があるが、この義務に就いては、しない放題に見える。日本では、総理、政府、政党、政治家に対して批判は自由。マスメディアも言いたい放題に近い。多くの商業誌はご都合主義で、国益観念などサラサラ無いに等しく、彼等の商業主義、イデオロギー、背後の胡散臭さを嗅ぎ分けながら、我々は真実に迫るべく情報とか報道の真贋を見分けなくてはならぬ。大マスメディアは民間企業だが記者クラブという、情報入手の談合のような、横着な、切磋琢磨の欠ける、時代錯誤のものもある上に、思考、論調に合理性、論理性、倫理性に欠けナイーブ過ぎて世界の先端を行く知性的大メディアとは少しも思えない。とに角、日本には明快に、政府に束縛されない民間なるものが厳然として存在する事に誰も異存はあるまい。

中国とは二千年間、交際の歴史があり親しく交流しなくてはならない。処が、現今中国には、日本のような民間なるものは全く存在しないという事をしかとご存知であろうか。中国政府の役人でなくても、貿易をしている人でも、どんな中国人でも必ず、中国共産党のどこかの組織に帰属している、これをすっかり忘れて日本の民間人のように応対しているのが我々日本人。
中国に居る日本人記者達は、報道に関して中国政府の厳しい統制を受けている。軍事問題の動向、政治、政策の真実追及など、隣国として大変関心の高い問題も日本の大マスメディアに殆ど登場していない。なぜか、中国は自由貿易国のような印象だが、自由な市場原理はなく国家統制がある。外国特派員は、中国人と同じ場所に住めない、特定の場所に住む事が義務であり
24時間武装兵士がその出入り口におり普通の人は入れないし日本人特派員の助手、翻訳者の採用も中国政府派遣の職員を雇用させられると言う。彼らは公安要員と見られる。

要するに中国に報道の自由はないどころか統制されている。当局が認めない限り自由な取材は不能。中国国民は外国の新聞を直接に読む事は許されていない。日本と中国の両国を比較して見ると、中国の情報は極めて一方的なものである事がよく理解できる。中国は、政府の方針を日本人にドンドン広めて都合のいいように日本の大メディアを操作できる。

余程、骨のあるメディアでないと中国に媚びている。結果は日本の主体性を捨てて中国の国益に沿う結果を産んで行くことになる。内政干渉されてもマスメディアが反撃しないのはここに原因があると思える。日本が国益を失うのはこの仕組みにある。
中国共産党の組織の一員が来日し、民間のような思いで接する日本人は結果的に中国共産党の意向に沿っているのに気づかない。このような図式が私には見える。
大マスメディアがジャーナリズム精神を持ち、共産主義国に対しても米国に対するようにやればいいのだが、ボイコットされるのを恐れ自社益の為に、国益を捨てるという構図が見て取れる。
自由な米国には偉そうに言うが、中国とか北朝鮮の核問題には臆病な大マスメディアの裏にこれがあると思える。自由な米国には悪し様に言い、中国のような国には、押し黙るという不甲斐無い日本の大マスメディアや与野党の政治家等がいる事をシッカリ認識しておこう。
教科書、靖国問題でも、大マスメディアや一部政党が中国寄りになる背景の一つにこれが在ると思える。

反対に韓国では、日本の大マスメディアは大事にされているらしい。それ故であろう、竹島が歴然とした日本固有の領土であるにも拘わらず、日本の記者が積極的に報道しない原因がどこにあるか分かろうというものだ。中国とか韓国の問題、以前は北朝鮮もそうであった、真実が暴露して誤魔化せない事態となって北朝鮮擁護を転向した大マスメディアや一部政党、背後に共通しているのがご都合主義と勇気、国益意識の欠如である。

(鳥取市)鳥取木鶏クラブ代表世話人 徳永圀典