菅直人論

1.    実は、十年程度前、私は一時期、菅直人に短期間だが、素晴らしい政治家が現れたと信じていた時期があった。現実の政治への不満からであろう。菅事務所に激励のメールさえした記憶がある。然し、約1年少々であったと思う、酷く失望して、私は菅直人には最早、期待できないと、わざわざメールしそれに対して事務所から返事が来たこともあった。早や遠い過去のことである。

2. 私は政治的に旗色鮮明にした事は過去全くないが、保守に属する。勿論政治献金などしたことは無い。処がである、今でも思い出すと腹立たしいが、あの細川護熙が日本新党を結成した時には、これで日本も多少は変わるかと、驚く勿れ、私が自主的に日本新党に2年間だけ1万円づつ献金したことがある。勿論3年はしなかった、酷い失望を体験したからである。

3.さて、この両人を成敗してみる。

1. 両人とも、日本人として近代・日本歴史を本当に知り、日本民族を代表する政治家としての知識・見識があったかということである。結論から見れば、到底日本人を代表し国家を寄託するに足る歴史的識見を備えていなかったということである。彼らは国益を重大に損じている

2.  両人とも、大衆に媚びる政治家で、大衆を一時的に幻惑する要素を持つということである。両者ともマスメディアが利用して国民を一定方向の政権交代へと誘導したと見る。一国を統治し国民の師表となる尺度をマスメディアが少しも保有していないと強く認識せねばなるまい。ということは、マスメディアの支援する政治家は、眉唾し判断すべきという教訓を持たねばなるまい。両人とも対国家・国民に対する「実と誠」が欠けている。

4.  さて、菅直人に関して考察を続けたい。彼の失敗の要因を列記してみる

1.  饒舌である、これが大特徴である。「口舌の徒」に過ぎない。

2. 次に、いつも作り笑いして大衆迎合の姿勢を堅持し、遂にあのテレビで非難が集中した時さえ作り笑いを続けたことである。

3.相手を,いかなる場合でも、貶すか、非難するか、相手の落ち度を徹底して追及する人物である。

4.  問題の焦点が分り難い話術である。これは会話しながら、一方で思考をして対策する時間稼ぎをしていることである。誠実でない証左であろう。
 

  5.   上述の4について、下記のように受け止められることとなる。

1. 饒舌―菅直人は、自分の得意とする武器、即ち饒舌により自滅したといえる。一国の宰相となるにはには、やはり単なる、口舌の徒では不適格である。深沈重厚なる人間性は不可欠の要素である。菅直人には全く欠けている。

2. 菅のいつも、ニヤニヤしたつくり笑いを大変嫌う人が多い。これは菅直人が不誠実であることと裏表である。人間は、感情の動物である、不愉快の時には顔に出るのが人間らしい。あのニヤニヤは「実と誠」を欠いた証拠であるのを動物的カンで多くの大衆は喝破していたのだ。

3.  相手の追及は小賢しいほど、100パーセントやり、自分の足元を忘却していた。戦後左派の手口と全く同様であり、結局自分の大失態を招くこととなった。自省の「脚下照顧」という哲学を忘れていたのだ。

4. ぽんぽんと連発するような、問題の焦点が分り難い菅の話術とは、思いつきの、つけ刃の思考に基づいていたといえる。問題点のすり替えは天才的である。深く物事を真摯に考察しないできた証拠で、これでは、とても一国の統治者・宰相の器量ではないと言うことである。

6. 一国でも個人でも、結局強いもの、自分が武器としたもので成敗され自滅するのは、どうやら真理である。自省と謙虚さのない政治家は必ずこのように天の成敗を受ける。このような人物が総理にならなくて日本は助かったと確信する。若手の人材はありそうだが、民主党はまだまだ、人材の強化の過程を越えなければ安心して日本国は一任できない。人材の卵がどう育つか、国益思考を強化すれば、間違いなく成長し政権交代も可能になろう。それには、分党して、ごちゃ混ぜ政党でなく、政治理念ですっきりとしなくてはならぬ。

平成16510日 徳永圀典