成16年5月--今日の格言・箴言24
貞観政要
帝王学現代の管理者学

貞観政要ーじょうかんせいようーは平安時代から一貫して日本人のリーダー学の教科書とも言うべき書物である。隋の太宗626年ー649年は貞観の治と言われ、理想的な統治があったとされた。日本では桓武天皇の800年頃輸入され、以後天皇に進講され北条・足利・徳川氏等が用い民間でも知識人必読書として広く読まれたという。日蓮も筆写し法話に引用、日本人に貞観政要的思考が広く残っている。本欄では、その中から「十思」「九 徳」、「六正」ならびに「六邪」をご披露する。平成16年5月1日徳永圀典

1日 はじめに 帝王学とは大層だが、民主主義の現代、至る所に無教養な庶民帝王―経営者や管理者がおる。だから心得として帝王学を学ぶ必要がある。現代こそ管理者に必要と確信する。
2日 貞観政要は北条政子、徳川家康も愛読した。リーダーは「十思」で自らを統御し部下の九徳」を弘め、能力ある者を適材適所に任じ、善い者・正しい者の言葉で身を正せば全員が喜んで能力を発揮するとした。これは唐太宗の臣、魏徴の言である。
3日 人口に膾炙した「創業と守成いずれが難きや」は貞観政要から出たもので、原書は「草創と守文と敦れが難き」である。
4日 貞観政要は舒明天皇の貞観六年―632年、遣唐使犬上三田某が唐で知り帰国したとされる。唐では「貞観の治」は理想的な統治時代とされ628年に全中国が統一され269年間維持された。
5日 これが正式に輸入されたのは桓武天皇の八百年頃といわれる。爾来、戦前まで直接間接に広く日本人に影響を与え貞観政要的考え方は日本人に一つの経営センスを形成させた書物である。
6日 当初は、帝王必読の書として天皇に進講され、やがて北条、足利、徳川が用い、更に日蓮など僧侶も法話に引用したとされる。明治以降は民間でも知識人の必読書であった。
7日 難解な書物だが私は統御者自らの戒めである「十思」「九徳」そして人物鑑定法である、「六正」「六邪」を中心に纏めてみた。明日から本題の核心を展開する。
8日 十思

@「欲しいと思うものを見たら、足る事を知り自戒する事を思う」

A「大事業をしようとする時は、止まる事を知り民の安楽を思う」
9日

B「高ころびしそうな危ない事を考える時は謙虚に自制する事を思う」

C「満ち溢れるような状態になりたいと願望が起これば、満ち溢れる海はすべて川より低い事を思う」

10日

D「遊びたいと思う時は必ず限度をわきまえ、狩の時逃げ道を用意してやるのを限度とする事を思う」
E「怠け心が起きそうな時には、始めを慎重にして終わりを慎む事を思う」

11日

F「自分の耳目を塞がれていると心配する時は、虚心、部下の言葉を聞く事を思う」

G「中傷や讒言を恐れるなら、まず自ら身を正して悪を退ける事を思う」

12日

H「恩恵を与える時は喜びによって賞を誤る事が無いように思う」

I「罰を与える時には、怒りにより重すぎる罰にならないように思う」

13日 九徳

@「寛大だが、しまりがある」
A「柔和だが、事が処理できる」

14日

B「まじめだが、丁寧でつっけんどんではない」
C「事を治める能力があるが、慎み深い」
D「おとなしいが、内が強い」

15日

E「正直・率直だが、温和である」
F「大まかだが、しっかりしている」

16日

G「剛健だが、内も充実している」
H「強勇だが、義しい」

17日 六正 @「兆しがまだ動かず、兆候もまだ明確でないのに、そこに明らかな存亡の危機を見て未然に封じて主人を超然として尊崇の地位に立たせる、これが可能ならば聖臣である」
18日

A「とらわれぬ、わだかまりなき心で、善い行いの道に精通し主人に礼と義を勉めさせ、優れた計りごとを進言し主人の美点を伸ばし欠点を正しく救う、これが可能ならば良臣である。

19日

B「朝は早く起き、夜は遅く寝て勤めに精励し、賢者の登用を進める事を怠らず、昔の立派な行いを説いて主人を励ます、これが可能ならば忠臣である」

20日

C「事の成功・失敗を正確に予知し、早く危険を防いで救い、食い違いを調整してその原因を除き、禍を転じて福として主人を心配させない、これは智臣である」

21日 D「節度を守り、法を尊重し、高給は辞退し、賜物は人に譲り、生活は節倹を旨とする。これは貞臣である」
22日

E「国家が混乱した時、諂わずに敢えて峻厳な主人の顔をおかし、面前でその過失を述べて諌める、これは直臣である。

23日 六邪 @「官職に安住して高給を貪るだけで、公務に精励せず世俗に無批判に順応し、ただただ周囲の情勢をうかがっている。これが見臣である」
24日 A「主人のいう事はみな結構といい、その行いはすべて立派といい、密かに主人の好きな事を突き止めてこれを勧め、見る物聞く物すべてよい気持ちにさせ、やたら迎合して主人と共にただ楽しんで後害を考えない、これ諛臣である」
25日 B「本心は険悪邪悪なのに外面は小心で謹厳、口が上手で一見温和、善者や賢者を妬み嫌い、自分が推挙したい者は長所を誇張して短所を隠し失脚させたいと思う者は短所を誇張して長所を隠し、賞罰が当たらず、命令が実行されないようにしてしまう。これが姦臣である」
26日 C「その知恵は自分の非をごまかすに十分であり、その弁舌は自分の主張を通すのに十分、家の中では骨肉を離間させ朝廷では揉め事を作り出す。これが讒臣である」
27日 D権勢を思うがままにし、自分の都合のよいように基準を定め、自分中心の派閥を作って自分を富ませ、勝手に主人の命令を曲げ、それにより自分の地位や名誉を高める。これが賊臣である」
28日 E佞邪を持って主人に諂い主人を不義に陥れ、仲間同士でぐるになり主人の目を晦ませ、黒白を一緒にし是非の区別を無くし、主人の悪を国中に広め、四方の国々まで聞こえさせる、これが亡国の臣
29日 まとめ

以上六つが六邪だが、倒産企業にはこの六邪がいる。六邪がいると六正は自ら失脚するか去って行くから六邪が取り仕切り倒産する。賢臣は六正の道に拠り、六邪の術を行わず、故に上安くして下治まる。生けるときは則ち楽しみ、死すると則ち思われる。これを現出するのが「人臣の術なり」で人事のことである。

30日

貞観の治と言われた唐の太宗は決っして無謬の人ではない。多くの過ちを犯したがその指摘は喜んで受け入れた。権力とは全能観をもち拡大する。太宗は自らを欠点の多い人間として常に自戒していた。鏡があれば衣冠を正せる、昔を鏡とすれば歴史により世の興亡盛衰を学び自ら正せる。臣の魏徴を鏡とした太宗は彼の死に涙した。

31日

太宗は、魏徴が私の過ちを正した、死後は誰も私の過ちを正さない、役人が無闇に順応する、私は虚心に内省している、とまで言う。「これより以後、各々汝の誠を尽くせ。若し是非あらば直言して隠すこと勿れ」。これが太宗の人格評価を高め、大きな事績をあげ「貞観の治」として中国の政治的理想となり日本の天皇から為政者、民衆まで影響を残した。