美しい日本 圀典選「夏の歌」

1日 葛の花踏みしだかれて色あたらし
この山道を行きし人あり 
―釈迢空

登山道を真剣に模索する時、足跡、草の踏跡など参考にするのでこの歌は現実感がある。

2日

−らいーの音 雲のなかにてとどろきをり殺生石にあゆみ近づく −太田水穂

那須の殺生石のこと。謡曲にある怨霊の化石である。奥の細道で芭蕉も見に行きたとある。

3日

谷の入りの黒き森には入らねども心に触−ふーりて起臥−おきふーす我は −島木赤彦

赤岳温泉での歌。森に神秘を感じていたのであろう。

4日

山道に昨夜―ゆうべーの雨の流したる松の落葉はかたよりにけり −島木赤彦

早朝、雨あがり、人の気配もない、一人歩きか。登山で数日前に見た。
5日

あかあかと漁火もやし沖釣のあまの小舟ら闇のなかに浮く −川田順

夜の海上、船の中からであろうか。
6日

在明の月夜−つくよーをあゆみ此園の紅葉見にきつ其戸ひらかせ −平賀元義

女を訪ねてバツが悪いから、紅葉でも見に来た、さあ戸を開けよと・・。

7日

ふるさとの最も高き山の上に青き草踏めり素足になりて −古泉千樫

病気回復の後であろう、心の素直で素朴な喜びを感じる。

8日

あしひきの山川の瀬の鳴るなべに弓月―ゆづきーが岳に雲立ち渡る −柿本人麻呂

何度でも引用したい大好きな歌である。複雑な自然現象を単純化して表現し、朗々とした響きを感じる大きい歌である。いい歌だなあ。

9日

ぬばたまの夜−よるーさり来ればまきむくの川音−かはとー高しもあらしかも疾−とー
−柿本人麻呂

やはり柿本人麻呂は歌聖だ。暗夜の激しい嵐のさまが偲ばれる。後半の調子の様は絶妙だ。

10日

君に恋ひ甚―いたーも術―すべーなみ平山の小松が下に立ち嘆くかも −万葉集・笠女郎―

どうにもならない悶々の情、ひどくやるせないのが哀れである。大伴家持への恋情とか。

11日

ふと仰ぐ八坂の塔や今朝の月  −城昌幸―

加茂川西岸から見た八坂の法観寺の塔である
12日

生きることの清さ深さを知らしめし利休聖のまへに額づく−吉井勇―

秀吉の怒りに触れて自刃した利休、和敬清寂で夏を越えたい。

13日

うまれては死ぬことわりを示すてふ紗羅の木の花うつくしきかも −天田愚庵―

生者必滅のことわりを分りやすく歌っている。
14日

しくしくと涙ぐみたる灯がふたつとけつもつれつ水に流るる  −竹久夢二―

先斗町近くの夜景、水に艶めかしく灯がうつり、流れて行く、夏の京都の情緒。
15日

こころ和み時に求めて来ませしとぞここ法然院の夏蝉はやし −桂静子―

禅寺のような静かな寺、幽邃な雰囲気がある。
16日

目に見るはまろき山はふ大文字 洛外に来てかたはらに添う−与謝野晶子―

京の夏の風物詩、大は人体を現し、煩悩を焼き尽くす意があるという。
17日

奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の玉ちるばかり物な思ひそ −藤原良経

和泉式部が貴船に参り、「物思へば沢の蛍も我身よりあくがれ出づる玉かとぞみる」への返歌という。

18日

松を払ふ風は裾野の草に落ちてゆふだつ雲に雨にほふなり −京極為兼―

実に鮮やかで情景が生き生きと歌われている

19日

急がずば濡れざらましを旅人のあとより晴るる野路の村雨 −太田道灌―

この経験は登山中にも多々あるが教訓歌であろうか。

20日

川むかひ柳のあたり水みえてすずしき蔭に鷺あそぶなり −京極為景―金玉歌合

なんでもない夏の風景だ、素直な歌。

21日

ときによりすぐれば民のなげきなり八大竜王雨やめたまへ −源実朝―金槐集

何度口ずさんでも、好きな歌、稀有の傑作ではあるまいか。

22日

夕日づく日さすや庵の柴の戸にさびしくもあるかひぐらしの声 −藤原忠良―

残照とひぐらしゼミ、晩夏の寂しさを感ずる。

23日 ありそ海の波間かきわけてかづく海士−あまの息もつきあへず物をこそ思へ −二条院讃岐―

荒磯の荒波寄せる海深く息もつかず潜るように、息もつかぬように貴方を恋している。

24日

みな人の知り顔にして知らぬかな必ず死ぬるならひありとは −慈円―

分りきったことだが、真正面からの歌は中々作れない。夏の最盛期に心頭を滅却するのにいいか。

25日

あしそよぐ潮ぜの浪のいつまでかうき世の中にうかび渡らん −伝教大師―

前日の心頭を滅却に続き、人の世のはかなさを思う。
26日

.浅みどり野辺の霞のたなびくに今日の小松をまかせつるかな −源経信―

春に近い歌だが、清々しい野辺の風景が爽やか。
27日

早苗とる山田のかけひもりにけり引くしめなはに露ぞこぼるる −源経信―

爽やかついでに、この歌も日本的棚田風景。
28日

夕暮れは待たれしものを今はただ行くらむ方を思ひこそやれ −相模―

捨てられた人の歌であろう。夜になると恋しい人に会えると日の暮れるのが待ち遠しかったけど・・

29日 さつきやみくらはし山の郭公―ほととぎすーおぼつかなくも鳴きわたるかな −藤原実方― これは屏風絵にある歌で清々しい、夏は清々しく。
30日

おもてにて遊ぶ子供の声聞けば夕かたままけてすずしかるらし

家に居て臥しながら、涼しくなる秋を待つ風情がある。

31日 阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわが立つ杣−そまーに冥加あらせ給へ −伝教大師―あのくたらさんみゃくさんぼだい リズム感かある、気迫がある、固い決意がある。発願の熱意は強い精神力、格調高い堂々の傑作。夏はこの気迫で抜ける。