矢張り疑問の竹中金融行政

私は本ホームページに於いて、竹中氏の手法を屡々批判してきた。現段階で金融は落ち着いているが、あの混乱期に金融大臣としての措置と発言は極めて背信的なもので金融秩序を乱すものであり、且つその意思の背景には米国の圧力が介在し竹中氏がその意を戴していたと思わざるを得ないのである。銀行は政府金融当局の竹中大臣に裏切られたのである。

1.金融の秩序は、一金融機関に留まらず融資先の企業と不可分の関係である。日本全体が大不況で、銀行融資先の企業が不振であれば、銀行自体の債権も自動的に劣化する。企業を守るには、勿論放漫とか限界的な企業の敗退は別として、時間をかけるかどうかで決まる。

2.時間をかけるのが日本式経済であり、その気になれば出来たのである。しかし、竹中氏は過去の銀行と大蔵省との不文律の約束を無視し、時をかけない手法を選択し銀行にそれを強要した。ここに胡散臭さがあるのだ。

3.2003年10月、竹中氏は「年末までに公的資金を受け入れなければ国有化も辞さない」と発言した。取り付けも発生していないのに、銀行を公的資金に追い込んだ。四大銀行は、膨大なコストを覚悟して自ら資本調達をして竹中大臣の脅迫に屈しなかった。銀行経営者は監督当局に裏切られたのだから意地でも資本増強に走った。

4.当初からUFJ銀行は狙われていたと思わざるを得ないものを感じていた。確かに東洋信用金庫事件以来、行儀の極めて悪く、ずる賢く、はしこい同行は、大蔵省の頭ならずともカチンと来るものを山積していた。ツケが回ってきた印象も無きにしも非ずではある。

5.しかし、UFJ銀行の業務純益は東京三菱より高く、「時間」さえ与えたなら、即ち日本式なら十分不良債権を整理できたと思われる。日本では銀行の取り付けは発生していない。「時間」を与えない、それをさせない、何ものかがあると思わざるを得ないのである。将に、生きている銀行を血祭りにあげようとしているやに見え理解に苦しむのである。

6.第一、公的資金は銀行の貸し渋り対策の筈であった。それが、いつの間にか、銀行支配の武器として活用されようとしている。本末転倒のものとなっている。公的資金が銀行支配の手段と変化したことを見逃してはならない。

7.銀行の再建は、「時間」をかけて進めば最も経済に影響なく実現可能なのである。それをぶち壊してしまうやり方は、矢張りウオール街の意向を受けた手法だと断じざるを得ないのである。
平成16年8月6日 徳永圀典