「小・中国」と呼ぼう!  クライン孝子日記に掲載さる。平成17年1月1日付

戦前派の日本人には、大陸国家である同国に、限りない夢と憧れを抱いていた。孔孟の時代からの儒教の師として、又、歴史に踊る人物を知り、血が沸き肉が踊る思いを持ちつつ成長した人が多い。大陸の雄大な落日、悠々たる大河、果てしない地平線、島国日本には見られない大きさに憧れた日本人は無数である。そして、そこに住む中国人は、スケールの大きい人物、清濁合わせ飲む、大人ーたいじんーを思わせた。やはり孔孟の国は違うと思ったものだ。戦後でも、私が貿易業務で知った在日華僑にも、悠々たる風貌、気質を持つ人物には、大変尊敬の念を抱いた。白人とも担当し交際していたが、矢張り、同じ東洋人の中国人がいいなあと痛感していた。昭和30年代のことである。神戸の大物華僑と言われた、陳徳仁氏、任烈臣氏、黄万居氏、林春氏等、今猶記憶が生々しい。

処が、現在の中華人民共和国首脳は、矢張り共産主義思想により、往年の大人・中国の面影は消滅したと確信する。前主席の江沢民など、国賓として来日し皇居でのあの非礼は、まさに「小人」である。早稲田大学の講演で学生にブーイングを受けるなど、それを如実に示している。中国は、もやは、否、古代から倫理と徳の国ではないという中国人もいる。まして、本物の儒教の徳の国などでは全くない事を明確に認識しなくてはならぬ。
「嘘をつかないのは詐欺師だけである」という諺の国である。又、「貪官汚吏、不正横行」の国、且つ覇道の国であり、王道の国ではない。国家の最高地位にある江沢民がこの程度である。道徳を体現している人間は存在しないと認識すべきである。

台湾の「李登輝」元主席と比べると、月とスッポンの人物の違いがある。一市政人となった李氏の来日を、内政干渉する、いやはや、中国は、とても大国とは言えない、落ちぶれたものだ。仁・義・礼など身についてないようだ、大人の風格を捨ててさってしまったものと思われる。中国は賠償を放棄したと宣言している。それで日本が与えた6兆円もの支援を賠償だと嘯く。これは、「礼」の国ではないことの証明である。賠償など国際法では完了した問題である。もとより「義」などカケラも無い。内政干渉するなども「礼」の放棄である。李登輝氏の来日非難など、「仁」も「礼」も「義」もない証左である。

このような、小・中国が、外国のカネを散々利用して、人口が多いばかりに経済が成長し、軍事力を滅茶苦茶に増大し、覇権国家として米国と対峙しようとしている。これは世界にとり、容易ならざる問題を孕んでいる。時の国家の、政治力・軍事力次第で中国の領土は拡大するという思想で臨もうとしている。

大人・中国ならまだしも、小人・中国には、決して油断ならない。政党も政治家も財界も、みんな中国に行くと、「オベッカ」を使うと安倍晋三氏は言う。日本は領土的に小さくとも、この小人・中国に唯々諾々と従っては、千年単位の国家的、歴史的後悔を未来の国民に残すこととなる。これからは「小・中国」と呼ぼうではないか。
「日、出ず国の天子、書を日、没する国の天子に捧ぐ、恙無きや」の精神を官民とも絶対に失ってはならない。
平成16年元旦 徳永圀典