中国、あれやこれや そのK
平成17年12月

 1日 中国の常套手段 それは、国内問題解決の為に、対外紛争を起こし外敵を創出し民力を結集する、共産党の手口である。また中国の伝統的政策である。 朝鮮戦争・中ソ国境紛争・中印戦争等である。現在は日本をその敵として創出したのでロシア・インドと和解した。
 2日 中国のジレンマ 中国で裕福になったのは、一部の党幹部、その家族だけであり貧富の格差は拡大一方だ。都市部と農村部との格差、沿海部と内陸部の格差は天と地ほどと言われる。 その上に官僚汚職や凶悪犯罪の問題もあり、三農(農村・農業・農民)問題に至っては深刻の一語に尽きると言われる。
 3日 仮想敵に格好の日本 日本に対してはも国内で反日運動を煽動し、批判、非難、罵倒をしている。日本は仮想敵国として都合がいいのである。 日本のありもしない軍国主義などは国内の情報封鎖の中国では、効果的な攻撃対象なのである。だから日本が過去を謝罪すればするだけ、中国政府の国民に対する権威と道徳的優位は益々高まる理屈なのである。
 4日 全体主義国家・中国 1. 中国人の自己中心的な性格により、この国は全体主義思想でなければ維持できない。外国は特段に注意を払い警戒して外交の要あり。 中国は国家というより天下であり、文化・文明・言語・宗教は多元的であり人々の利害関係も甚だ対立的である。この多元的なバラバラの世界を一つの巨大な超国家、あるいは天下として纏めるには全体主義思想が必要である。
 5日 全体主義国家・中国2. だから、いかなる時代でも「定於(ティンユィ)一尊(イッツン)」を必要とする。時代、時代の一尊を求め全体主義的思想の統合を行う。 その決まり文句が、「一言堂(イーエンタン)」である。すべてを「満場一致」「万衆一心」にしなければいけない。そして、「小異を捨て大同に就く」のである。
 6日 大同世界 凡てが同一化された世界である為。そこでは競争原理が否定される。 これは人間の本能を無視した静止の世界で、人間性終焉の世界である。
 7日 中国のいう正しい歴史観 中国人の統一信仰は一種の宗教であり、中華民族は、統一信仰を共有する人々により形成されていると言える。 そのような信仰の場では、分離主義などは天下万民のために絶対排斥しなくてはならず、他民族の多様で異質な価値観や思想すら「非我族類(フェイウォツゥルェイ)」つまり、「我々の中に入らぬよそ者」として排斥する。
 8日 独善的歴史観 鵜呑みにしてはならないのが中国の歴史認識である。日本に侵略を強要している、「侵略の陰謀」がある。 これ程独善的な中国の教科書の記述はないと黄文雄氏は言う。短絡的な見方であり、ベトナム、朝鮮戦争を無視している中国なのである。中国だけ正義の陰謀である。
 9日 日本の台湾出兵 台湾への日本出兵当時、当時の「清国」自身も「義戦」と称え、撤退する日本軍に清国海軍は礼砲を放って見送り琉球処分にしても 清国はそれを承認していた。これを中国侵略などというのは妄言以外の何ものでもない。中国にとり日本を罵ることが目的であり史実などどうでもいいのである。それが中華の尊大と傲慢、国際性欠如。
10日 ご都合主義の物言い 日本で日清戦争と言われる戦争を中国では「甲午戦争」と年号で呼んでいるが、最近では、「中国」を強調するため、「中日戦争」 の名称を使用し始めた。そして、「八年抗戦」の「中日戦争」と区別するため、「第一次中日戦争」などとも言い始めて日本の侵略戦争の前哨戦との捉え方を始めつつある。
11日 馬上天下をとる 中国の国の原理である。易姓革命であり、暴力支配であり、武力による領土拡張の意味がある。侵略と膨張 が中国の統一原理である。中華帝国の歴史が今日まで殺し合いの歴史であることは、現在の軍拡、文攻武嚇の如く一目瞭然である。
12日 日中の戦争

日中八年戦争と彼らが言うがこの本格的戦争に至るまでの両国のトラブルは本質的には日本の一方的侵入というよりも中国の多政府の混乱、混戦状態の中で無責任な各政府の度重なる挑発を受けた日本が

正当なる権益を守るために抵抗権を発動したことによるものである。当時の日本の主張@「一国多政府の中国では、対外責務を果たし得るだけの国家の体をなしていない。いかなる事件を惹き起しても、それに伴う責任を負う能力がない。よって日本は自力救済するしかない」
13日

当時の日本の主張

ー現中国の手法と酷似

A「中国の政府は走馬灯のように移り変わり、政策も朝令暮改で、場合よっては革命外交や造反外交を強行して過去の条約を踏みにじるなど、国際法を遵守する意志もなければ能力もない以上、日本は権益を守るために自衛策をとらざるを得ない。

B中国の各政府、各党各派は、党利党略のために日本に挑発を続け、その中で日本居留民への暴行、略奪、大量虐殺が続発した以上、暴支(ぼうし)膺懲(ようちょう)をして断固たる姿勢を示し、それらを中止させざるを得ない。

14日 当時の日本の主張 C中国が内戦で混乱を続け、そして苛斂誅求がやまない以上、塗炭の苦しみに喘ぐ中国民衆を救済できないどころか中華世界の秩序回復は不可能である。 このようなカオス状態の中国で安定した国家社会を再建させるみとは列強たる日本の道義的責任である。しかもそうしない限りは東亜の共栄どころか共存共生すらままならない。
15日 国の存亡 戦前までは、「富国強兵」をいかに達成するかが国の存亡が決定されていたのだ。国の生死がかかっいたのだ。日本も、朝鮮の独立派も、中国も、そのような弱肉強食時代の中で必死で生存を図っていたのだ。 戦後の平和の中の軟弱なものの見方で当時の事をあげつらうのは先祖に対する侮辱である。日本人はこれをしているのである。
16日 道義心の欠如した中国・韓国 戦前の国家間のパワーゲームの中で。敗れた国を被害者、被侵略国として、勝利した側に「正義」があるとすねのが日本の戦後である。それは後世の愚かな歴史認識である。 当時、自らの力不足、能力不足、進取の精神不足で亡国の危機に瀕した国々―中国や朝鮮が日本の全東アジア防衛の足枷になった史実―、日本が彼らに覚醒を求めだが、激励支援に応じないで傲慢な態度で恩を仇で返し続けた史実がある。これを少しも取り上げない道義心のない中国・朝鮮である。
17日 日中戦争の歴史的本質1. @日本は国民戦争として臨んだが、実際には国家対国家の戦争ではなく、日本対中国の政治勢力諸派、武装勢力諸派、及びそれらの有力者の私兵との戦争であった。 A日本は中国各政府、各派各系武装勢力の絶えざる内戦に巻き込まれた。松岡洋右の言う如く、日本は「中国の内戦、混乱の被害者」だったのである。
18日 日中戦争の歴史的本質2. 大清帝国は17世紀に中国の東北境外に興起し、万里の長城を越えて草原、高原部を含む東亜世界を征服し、君臨した一大帝国であった。 だが20世紀初頭、辛亥革命を契機に崩壊した。その領土の遺産をめぐり少なくとも、三つの勢力が争い、東亜世界の秩序は崩壊し、泥沼状態であった現実。
19日 日中戦争の歴史的本質3. 三つの勢力は、北方軍閥、中部・西南部の連省自治派の軍閥、南方の革命諸派という中国人勢力。

これらによる抗争は混戦を深め、やがてこの横の内戦は次第に変質して縦の内戦である、国共内戦、清算闘争という階級闘争の様相となる。

20日 日中戦争の歴史的本質4. 二つ目の勢力とは、清帝国の支配下にあり、帝国の瓦解を契機に独立を目指した諸民族である。 これらはその動きを阻止しようとする中華民国諸勢力と抗争を始めた。
21日 日中戦争の歴史的本質5. 三つ目が、この遺産継承戦に介入し、各勢力を支援し、内戦に加担したのが米英等の列強である。 列強の一つである日本もまた、この「乱」に加担せざるを得なくなった。日本は中国と最も密接な利害関係を持っていただけに、最も深く介入せざるを得なくなり、その結果起こったのが日中戦争である。
22日 日中戦争の歴史的本質6. 日中戦争は、日米戦争同様、帝国主義戦争である。中華民国は本質的には清という中華帝国の「正統なる後継者」であると自任していた、一つの「世界帝国」であった。 大清帝国の版図回復の為、既に独立宣言していた外モンゴル、チベットなどの再征服を目指し、諸民族の弾圧を行い、日中戦争中には版図を明帝国時代の三倍も拡大した。
23日 日中戦争の歴史的本質7. 日中戦争が終わると、国共内戦も解決すると、中国人が清帝国版図復元の動きを本格化させ、更に周辺諸国と紛争を繰り返すという帝国主義的膨張をしてきたことは周知の事実である。 戦後日本人はレーニンの「帝国主義」の定義に惑わされ、或いは中国への加害者意識から、中国を帝国主義とみなしていないが、この中国こそ帝国主義の元祖であり、21世紀も不変のままである。
24日

日中戦争の歴史的本質8.

日中戦争は帝国主義間の代理戦争であった。日中間のトラブル、紛争、戦争が代理戦争の性格を持ちだしたのは中華民国の時代からである。 軍閥内戦から国共内戦に至るまで、どれもが日本、英米、ソ連と言った当時の世界的列強が関与したものでその代理戦争と言えるのである。
25日 日中戦争の歴史的本質9. ことに日中戦争は、日本は南京政府、英米は重慶政府、ソ連は延安政府と三つ巴の代理内戦であった。蒋介石は北伐時代から終戦時までコミンテルン、ドイツ参謀本部、アメ リカ軍事顧問団等の指揮を裏で受けていた。日中戦争は中は、米英ソ連から物資援助をにより支えられていたから、日中戦争は、日本対米英との帝国主義戦争であったのだ。
26日 日中戦争の歴史的本質10

アメリカの中国・蒋介石支援が日中戦争を泥沼化させ、中国での和平実現を阻止していると思われたのでアメリカを倒せば・・との思いが日本にはあった。

日中戦争は、日本の将兵にも国民にも、アジアの平和を撹乱する真の敵は中国ではなく、それを支援する米英だとの認識であった。
27日 他国頼みで内戦を収拾した中国歴史 中華世界は、大抵歴代王朝の末期になると、恰も歴史の法則のように、天下大乱となる。そしてそれを経て政治的求心力が出現し、再び天下は統一される。 それが中国史を貫く「一冶一乱」、三国志演義の冒頭に「天下久しく分すれば必ず合し、久しく合すれば必ず分す」とある。
28日 独自の力で再建不能の中国1. 中国は独自の力で自らの世界を再建することは非常に困難な国で、それを再建するのが外力、つまり彼らの言う「夷狄」なのである。 この外力の侵入こそが中国の世界の歴史法則の飢えで重要な機能を持つのである。自然崩壊、社会崩壊の連鎖的悪循環の加速的昂進と拡大である。
29日

独自の力で再建不能の中国2.

それは社会秩序の緩みに起因する資源の争奪による自然破壊により旱魃、水害が中国の大地を襲い疫病が大流行し、飢饉が拡大再生産される。 それは病死者、餓死者が数千万人にも及び社会の崩壊となった。続いて土俗的宗教の色彩を持つ農民の蜂起となる。かくして流民が大噴出し、流賊、流寇が天下に蔓延し、草莽群雄割拠して混戦状態となる。
30日 独自の力で再建不能の中国3. このようにカオスとなった天下は自力の秩序回復は不可能となり外力に依存せざるをえなくなる。 かくして中国に進出した夷狄は、民衆から救世主のように歓迎され、天命を受けた天子として君臨する。
31日 独自の力で再建不能の中国4.

安定しない社会で近代経済社会の確立が不可能なのは常識である。

日本にとり百年以上に亘りカオス状態にあった中国・朝鮮など東アジアに新秩序を再建することが歴史的使命になり、大東亜戦争中のアジア解放による大 東亜共栄圏構想がその延長戦上にあったのである。