日本あれやこれや そのS
平成17年12月

 1日 すみません

日本人が相手に声をかけたりお願いする時、先ず「すみません」から入るのは、常に相手の気持を煩わせない為の優しい配慮である。

日本語で日常一番多く使われるのが「すみません」である。日本文化を「対立回避の文化」とか「察しの文化」であり神ながらの和の思想が生きているのである。
 2日 小泉八雲

ラフカデイオ・ハーン。英国人の父とギリシャ人の母を持つが日本に帰化。日本の伝統文化を愛した。

ハーンは西欧文明、特にキリスト教を蛇蝎のこどく嫌い批判した。
 3日

ハーンの生地ギリシャでは太古に神々を祀る神殿は廃墟となり、アポロの神殿を礼拝するものもいない。

日本では、太古から伊勢神宮、出雲大社への参拝は今も絶えない。ハーンは八百万の神々が今でも日常生活に生きている日本に感動した。
 4日

ハーンは、地球上にこのような尊い国が生きていることに驚き「神国日本」を著し欧米に伝えた。

ハーンは、「日本人は目に見える一切の森羅万象の背後に、超自然の神霊を考え、山川草木から井戸、竈にいたるまでそれを司る神を見る。日本人はこの国土を創造した神々の子孫である。神道とはその祖先崇拝の思想で、死ねば霊となり子孫と国を護ると考える」とした。
 5日 モラエス 日本を恋慕したポルトガル人。明治31年に来日、関西と四国に居住して、日本を知り、愛した。昭和4年に徳島で死亡するまで永住した。 日本の自然、義理人情や文化をこよなく愛し、日本こそ魂の安息を求めえる最後の地とした。日本には西洋にない、他人を疑わない人情味溢れる人間関係が有る事を知り、平和で優美な環境の虜となり日本を悲しいまで恋慕した。
 6日 フェノロサ 明治初期の日本美術の発見者、東大で政治、経済、哲学を教えていたがその間に日本美術の素晴らしさに圧倒され岡倉天心とともに日本美を世界に知らしめた。 大量の日本美術のコレクションを集め、それは現在ボストン美術館に収納されている。日本人は自分の価値観に気づかないで多くの美術品を廉価で手放した。
 7日 メーソン アメリカ人、1879年―1941年、「神ながらの言挙げせぬ国」を出版。 神道はインドの仏教より遥かに優れた精神原理で、よりよく現代生活に適し、儒教より内面的哲学的であり且つ遥かに深遠で更に西洋文化より優れていると説いた。
 8日 ポンソンビ博士 1878−1937年、イギリス貴族でありながら、日本を研究し、皇室の尊厳にあこがれ、京都に住み、生活の凡てを日本式で貫き京都御所には土下座して遥拝した。 青い目の高山彦九郎と言われた。「君と臣」という講演をし「日本で神を見た英国貴族」として尊敬された。
 9日 オーエン・ラチモア 自分の書物の中で、「日本が立派にやり遂げたことは、アジアにおける植民地帝国の十九世紀的構造を破壊することであった」 これは大東亜戦争の意義を讃えたものである。
10日 パックス・ジャポニカ 19世紀の世界統一の秩序はイギリスにあった。これを「パックス・ブリタニカ」という。20世紀は、文句なくアメリカの世紀、「パックス・アメリカーナ」である。 21世紀は、日本の世紀「パックス・ジャポニカ」にしなくては地球も人類も生存が不可能になるであろう。その原理は、道徳・文化・文明という非力なものでなくてはならぬ。
11日 大天才・アインシュタインの予言.

アインシュタインは西洋文明の醜い闘争の歴史に嫌気がさして、大正12年11月18日に待望の日本に来た。伝統ある万世一系の天子の国。日本文明に感銘し次の言葉を残した。

近代日本の発展ほど世界を驚かしたものはない、一系の天皇を戴いていることが今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界に一ヶ所くらいなくてはならないと考えていた。世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れるときがくる。(続く)
12日

その時、人類は、まことの平和を求めて、世界的な盟主をあげなければならない。この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜きこえた最も古くてまた尊い家柄でなくてはならぬ。

世界の文化はアジアに始まりアジアに帰る。それにはアジアの高峯日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを」と。真の日本の目覚めなくして明日の人類はありえない。

13日 和魂 白人がアジアに侵略して来た時、これを押し返したのは日本人に確固たる精神、即ち「和魂」があったからである。 自国、自民族の魂を失わないで異国文物を取り入れ、これを巧みに自国化して行く文化摂取の方法は日本は巧く古来からの日本文明のお家芸である。この遺伝子的精神を「和魂」と呼べないか。
14日 和魂 敗戦後、焼け野原から世界第二の経済大国になつたのは「和魂米才」である。 日本を日本たらしめた正体の謎、繁栄・発展のエネルギーの根源は「和魂」なのである。
15日 和魂 その和魂はいつから日本民族にどのように醸成されたのか。

西尾幹二氏によると、日本には漢字文化が入る前の文字のない沈黙の歴史時代に、既に日本語という優れた文化を持つ日本文明が存在したと強調している。それは1万年が1万5千年前、既に和魂文化が形成されたという。

16日 和魂 それは東洋文化でもなく西洋文化でもない、自己完結度の高い固有文化だという。それが「大和心」。 日本の有史以前の神代(縄文時代)に和魂が形成されていたから、中国文明にも西洋文明にも全面的に制圧されることなく取捨選択して和風化したと言える。
17日 和魂 この大和心は、古代以後日本に入った漢心(からごころー漢籍を学び中国の国風に心酔し感化された心)、とは全く反対の心である。 漢心は大陸的で荒々しい、大和心は海洋的で素直でおだやかである。漢心は権威的で男性的、大和心は温情的、女性的である。
18日 大和魂 女性的な大和心(和魂(にぎたま))も、いったん外部からの侵略、その他の危機を感じ取ったら、国や家を守るために決然と立ち向かう。 それが男性的な大和心(荒魂(あらたま))である。これこそが古代の防人や中世以降の武士(さむらい)精神となり今日まで繋がっている。
19日 日本は中国従属文明に非ず 中国文明と共通しているのは漢字を使うことくらいである。 政治・社会・制度・精神、どれを取っても日本と中国とは似ても似つかぬ別の文明である。
20日 一衣帯水の嘘 日本と中国の間には200キロの朝鮮海峡と900キロの東シナ海が横たわっている。日常的には越えられない海である。古代から遣隋使、遣唐使が派遣されたが、遣唐使は16回の内完全往復できたのは8回、残りは海中の藻屑となった。 日中を隔てる海は日常的交流を妨げる海で、とても一衣帯水と言える関係ではない。遣唐使派遣は宇多天皇の894年に中止、その後明治初め日清修好条約(1871年)の締結まで約1000年間、中国との正式な国交関係は絶えたままであった。
21日 同文同種の嘘 漢字を共に用いるだけである。両民族の思想・言語・政治・社会・生活のどれ一つとっても雲泥の違いがある。1000年の交流の空白が更にこの差を増大した。 論語・孟子などの四書五経の沢山の漢籍が輸入されたから中国を歴史の古い文化の高い尊敬すべき国と誤解したが、誤りである。この幻想を抜けなくてはならぬ。
22日 中国文化の実態 四書五経の書かれていることと実際はまるで大違いなのである。漢籍に書かれていないことのほうが実は中国理解に役立つ。 中国人には独自の行動原理がある。日本人とは極端に違う。明治以降多くの中国の実態に失望し幻滅して帰国したか。信義・礼に篤い中国人には出会えない、油断も隙もならない中国人ばかりである。騙しと裏切りは4000年の歴史を持っている中国である。
23日 かくも違う日中文化 我々日本人は、戦前から四書五経で中国は「仁義礼智信」の篤い民族だと思わされているが、現実は全く逆である。だからこそ、中国では、これを声高に教えなくてはならなかったのだ。 これは、西洋人が、やたらに自由・平等・人権を叫ぶのと同様で彼らこそ黄色人種を人間と思わず、そうした概念が無かった。大東亜戦争は人種差別から勃発した。日本人は大昔から既に、仁義礼や自由・平等を具えていたために取り立てて叫ばないだけである。
24日 文法の違い 日本語は漢字を借用して独自の漢字仮名まじりの表記法を完成させた。文字の発音も違うし、主語・述語・目的語の配列も違う。同文同種ではない。 台湾の某女性は日本語も中国語も自在に話せるが。中国語で話している時は自然と攻撃的な人間になつている。大声で話し、ジェスチャーも大袈裟、両手を振り回し、口角泡を飛ばす。さもないと相手に負けるからと思うらしい。然しも日本語で喋る時は違う。声も自然と穏やかに小さくなるし、身振りも控えめになると言う。
25日 中国4千年の嘘はナゼ 中国4千年は日本人に中国を過大評価させている。近年、中国から作為的に言いふらされたものである。 これは全く虚構である。日本は皇統2千数百年の国だが、明治以降、日本に留学していた中国学生が帰国し、日本の向うを張って作り上げたのが中国4千年である。中国は半分の2千年である。
26日 日本語の
「支那」

英語のチャイナは「秦」がインドに入り「チーナ」となり、これをポルトガル人が西洋に伝えたことに由来する。

日本語の「支那」も江戸時代、新井白石がイタリア語の「チーナ」に当てた音訳である。
27日 日本と違い、統一政権のない古代中国 秦の始皇帝による統一以前の中国には、戦国時代(前5世紀―前3世紀)と春秋時代(前8世紀―前5世紀)を通じて、黄河と長江の流域で多くの都市が覇権を争っていただけで統一政権は一度もない。 殷や周は黄河流域の一都市にすぎない。中国最初の歴史書「史記」では、黄帝を初めとする「五帝」が人類最古の君主だったことになつている。だが五帝の物語は神話そのもので人間の歴史ではない。日本との違いの認識を要す。
28日 日本と大違い中国1. 始皇帝から中国が始まると言っても、それから二千年間同じ中国人が続いていたのではない。始皇帝自身も漢人でなく、西方の遊牧民の出身。 その治世も僅か14年で、次の漢人の漢王朝に滅ぼされている。連続性のない中国、革命ばかりの国であり覇権で国が成立している。
29日 日本と大違い中国2. 中国中心部の二大河川の流域は肥沃で、この中原の覇権を漢人と周辺諸民族が争ったのが、中国に千年の歴史である。 この間、漢民族と漢民族以外の王朝が、交互に登場している。統一王朝が倒れた後、常に小国群立の時期が続く。真性なる漢人の王朝は漢・宋・明だけで約千年、中国の歴史に特出する「隋」「唐」「元」「清」も漢民族以外の民族が作ったものである。
30日 日本と大違い中国3.

秦の後の前漢、後漢が421年続く、それ以降中国人を漢人と呼ぶ。黄巾の乱で漢人の人口が5600万から400万人台に激減。人手を補う為、草原から強制移住させられた遊牧民が華北に多く独立国を建てた。生き残った漢人は、長江の南の未開地に逃げ、南朝という亡命政権を建てた。

これも「鮮卑」という遊牧民の「隋朝」に征服された。隋から唐まで300年間の皇帝は、すべて鮮卑族で漢人の大臣も将軍みいなかった。その後、五代十国を経て、漢人が統一を果たしたのは、北宋、南宋の約300年と明の約300年で、約150年の元帝国は蒙古人、300年続いた清帝国も満州人の立てた国である。

31日 日本と大違い中国4..

皇帝の多くは非漢人
中国は漢人により一貫して支配された国ではない。皇帝ばかりでなく、建国以来約2千年の間に、中国人の血統もすっから入れ替わっている。

中国文化は繰り返し征服者が持ち込んだ外来文化に同化されてしまい、13世紀から14世紀のモンゴル時代後、中国に持ち込まれた外来文化である。秦の始皇帝以来変わっていないのは漢字を使用していることだけである。