孫子 2
平成17年12月

 1日

兵法は、一に曰く(たく)、二に曰く量、三に曰く数、四に曰く称、五に曰く勝。

一は距離をはかること(度)、二は物量をはかること(量)、三は兵士の数を数えること(数)、四は,彼我のそれを比較すること(称)、五は、それにより勝算を得ること(勝)。
 2日

勝者の民を戦わしむるや、積水を千仭の渓に決するがごとくなるは形なり。

勝者は、深い谷に満々とたたえた水を落とすような勢いで人々を戦わせる。体制はそれを可能にするものでなくてはならぬ。形が勢いに転化する。
 3日

衆を闘わしむめこと、寡を闘わしむるがことくなるは、形名これなり。

多数の人間を戦わせる時、少人数を指揮するように整然と動かす為には、合図の旗とか鳴り物を使用することだ。旗印が明快で情報伝達がはっきりすることか。

 4日

衆を治むること、寡を治むるがごとくなるは、分数これなり。

多数の人間を管理する時、少人数を管理するように手際よくやるには、人間を幾つかの集団に区分し編成することである。さもなくば烏合の衆となる。
 5日

兵の加うるところ、()もって卵に投ずるがごとくするは、虚実これなり。

孫子は用心深い、うんざりするように、然し、イザとなれば疾風のようになる。攻めるからには石を卵に投げるように楽々と勝つがよい。それには自己の力を充実して相手の隙を狙うことである。
 6日

およそ戦いは、正をもって合い、奇をもって勝つ。

戦いというものは、正攻法を原則として、更に状況に応じた奇策を用いるものだ。老子によると政治が正であり、戦いは奇なのだと。
 7日

よく奇を出す者は、窮まりなきこと天地のごとく、()きざること江河のごとし。

相手の様子により自在に変化して変わって行くのか奇(戦術)である。変幻自在に幾らでも戦術は出てくる。天地のように際限もなく長江や黄河のように尽きない。
 8日

色は五に過ぎざるも、五色の変は()げて観るべからず。味は五に過ぎざるも、五味の変は勝げて嘗むべからず。

色の基本は、黄・赤・青・白・黒だが、組み合わせると無限に変った色が出せる。味は苦・甘・酸・辛(ひりがらい)・鹹(しおからい)の五だが、組み合わせで無限に味がだせる。チームワークで思いもつかぬ力が出る

 9日

戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからず。

戦い方は、大別すれば正攻法と奇手の二つだけだが、組み合わせで無数の戦い方が出でくる。正の実現には時に奇が必要、奇は正があって初めて力を発揮する。
10日

激水の疾くして石を(ただよ)わすに至るは、勢いなり。

重い石を流すのは勢いがあるからだ。破竹の勢いとは猛烈な勢いのことである。
11日

鵞鳥の撃ちて毀折に至るは、節なり。

猛禽は獲物に襲いかかり、一撃で骨を砕き羽を折る。それは一瞬に力を集中するからである。緊張は力の源泉である。
12日

よく戦う者は、その勢いは険にし、その節は短にす。勢いは弩をはるがごとく、節は機を発するがごとし。

動く時は激しい勢いに乗り、攻める時は集中して攻め立てるのが戦上手。引き絞った弓を放つように猛烈で、攻撃力を必要な時と場所に集中する。
13日

紛々紜々として闘い乱れて、乱すべからず。渾渾沌沌として形円にして、敗るべからず。

雑然として入り混じるが乱すことはない。始めも終わりもなくつながっていて捉えどころもなく、破ることができない。敵には正体が分からない。
14日

乱は治に生じ、怯は勇に生じ、弱は強に生ず。

太平の中に混乱の種子が潜み、勇気と臆病は紙一重であり、強いものはそれなりに弱さも持っている。二元論、天地、昼夜、男女、善悪、表裏、美醜、禍福、陰陽、これらは対立しながら相互に影響しあい、転化しあう。
15日

よく戦う者は、これを勢いに求めて人に(もと)めず。

戦上手は一人の能力より全体の勢いを重視する。何かしようとするなら流れを作り出すことだ。

16日

人を選んで勢いに任ぜしむ。

適任者を選ぶのが勢いを創る最初の方法、それにより機運の醸成をする。

17日

勢いに任ずる者、その人を戦わしむるや、木石を転がすがごとし。木石の性は、安ければ静かに、危うければ動き、方なれば止まり、円ければ行く。

戦上手は、木石を転がすのに似ている。木石は置かれた場所が安定していると静止したまま、不安定だと動きだす、形が角ばっているものはじつとしており、円いものは転がる。だから円い石を山頂から転げ落とすように勢いをつけて巻き込むのが部下を戦わせるコツである。
18日

先に戦地に処りて敵を待つ者は(いつ)し、後れて戦地に処りて戦いに(おもむ)く者は労す。

先に戦場に到着して待つ者は余裕があり、後についたほうは苦戦となる。心理的、物理的な常識である。
19日

よく戦う者は、人を致して人に致されず。

要するに戦上手は、どんな場合にも主導権を握る。相手に引き回されることはない。老子は、牝は常に静をもつて牡に勝つ、とある。相手の力、欲望、心理などの遠隔操作、これを「示形の術」という。
20日

敵、(いつ)すればよくこれを労し、飽けばよくこれを飢えしめ、安んずればよくこれを動かす。

敵が楽々としていたら疲れさせ、満腹していたら飢えさせる、じつとしていたら、何とかして動かせるのがよい。敵が進んでくれば我々は退き、敵が止まれば我々は悩ませ、敵が疲れたら襲い退けば追いかける。
21日

その必ず趨くところに出で、その(おも)わざるところに趨き、千里を行きて労せざるは、無人の地を行けばなり。

敵が必ずやってくる所に待ち伏せする、そうかと思うと敵の思いがけない所に撃ってでる。義経の鵯越の奇襲である。他人のやらないことをする。
22日

攻めて必ず取る者はその守らざるところを攻ればなり。守りて必ず固き者は、その攻めざるところを守ればなり。

無理をしないのも孫子の法、必勝は敵の守りのない所を攻めること。
23日

よく攻める者は、敵、その守るところを知らず、よく守る者は、敵、その攻むるところを知らず。

攻め方が巧いと敵はどこを守ればよいか分からない。守り方が巧いと敵はどこを攻めたらよいか迷う。こちらの意図や急所を相手に知られないこと。
24日

微なるかな微なるかな、無形に至る。(しん)なるかな神なるかな、無声に至る。ゆえによく敵の()(めい)をなす。

こちらの意図や急所を敵に知られない、これが生易しいものではない、その隠し方の話、兵法の本質である。微とは微かなこと、その極限は形がないとこまで到達せよという。神は、人間の知恵では計り知れない、即ち言葉ではとても表現できない、無声である。だから敵の運命すら支配―司命―が可能という。無になれば相手は手のつけようがない。
25日

進みて(ふせ)ぐべからざるは、その虚を衝けばなり。

攻める時は相手の虚を衝くことである。相手はとても防ぎきれるものではない。相手を動揺させて先手を取る、心の虚をつく兵法は色々ある。
26日

退きて追うべからざるは、速やかにして及ぶべからざる。

逃げるとなったら、素早く逃げること。相手も追いつけない。三十六計は逃ぐるに如かずである。
27日

われ戦わんと欲すれば、敵、塁を高くし溝を深くすと雖も、われと戦わざるを得ざるは、その必ず救うところを攻むればなり。

相手がどうしても救わなければならぬ所を攻めのがよい。相手の急所の発見である。
28日

われ戦いを欲せざれば、地を画してこれを守るも、敵、われと戦うことを得ざるは、その之くところに(そむ)けばなり。

敵のこないとこに居れば敵は攻めてこない。敵に肩透かしをくらわせる。次元を変えて相手をそらす。
29日

われ専らにして、一となり、敵は分かれて十とならば、これ十をもって一を攻むるなり。すなわち、われは(おお)くして、敵は寡なし。

こちらは集中して一つとなり、敵は十に分散したとすれば、こちらは十の力で敵の一の力に当たる。味方は集中し分散した敵に勝つ。
30日

前に備うれば後寡なく、後に備うれば前寡なく。左に備うれば右寡なく、右に備うれば左寡し。備えざるところなければ寡なからざるところなし。寡なきは人に備うるものなり。衆きは人をして己れに備えしむるものなり。

力を分散した場合の弊害を説いている。力だけでなく余りに四方八方に気を配りすぎるのも事を成就させない。
31日

戦いの地を知り戦いの日を知れば、千里にして会戦すべし。戦いの地を知らず戦いの日を知らざれば、左は右を救うことあたわず、右は左を救うことあたわず、前は後を救うことあたわず、後は前を救うことあたわず。

事前調査と段取りの重要性である。作戦でも仕事でも、これの緻密なる企画は成功を左右する。