仏典は「生ける者の哲学書」であらねばならぬ                        

父母恩重経                                          平成174年1月 

 1日

私はお経は生きている人間へのものでなくてはならない、お経は「生ける者の哲学書」であらねばならぬと、心から強く信じている。

もとより菩提を弔うことは当然であり、私は毎朝の読経は欠かさない。然し、死者の菩提を弔うだけでなんの益かあらん。生ある者が、死と日々対峙する媒体が仏典であらねばならぬと思っている。

 2日

鎌倉時代の教祖はもとより尊敬するが、本来お釈迦様の言われた事と異なっている要素が今日跋扈し習慣化している。

鎌倉時代の教祖達は、妻帯せず、自ら苦悩し、汗を流し率先して艱難に会い、難行苦行し、命懸けで真に民衆の生きる範となったからこそ大衆は宗祖を信じたのである。

 3日 現代の僧侶は妻帯し、お布施で安穏に生きて少しも、汗を流さない、大衆の範となっていない。生きる上で苦難・苦悩の練磨に欠け衆生の見本となっていないのではないか。住職の本質を洞察するには、自分の寺の清掃を隅々まで、自らが一つの修行として朝晩行っているか、だと喝破した滋賀県の僧侶がおられる。

将に同感、脚下照顧である。仏典の学識、解説と読経、葬儀法要だけでは、大衆救済にならない、説得力に欠ける。国難に立ち上がったあの鎌倉の宗祖達の気迫・実践こそ、荒廃した現代社会に於ける宗教者の最大のテーマでなくてはならぬ。

 4日

僧侶たちよ、青少年の危機が現前している現今こそ修羅の世界である、街頭に率先して進出し、身を挺して説法されよ、泥んことなられよ。

汗して大衆を教導されよ、宗祖達に思いを馳せられよ。それこそ真の宗教者と云わん!
 5日

父母恩重経ぶもおんじゅうきょう

これは父母が先ず学ぶべき経典であると思われる。経典とは死者に対しては遅すぎるのである。生きている煩悩多い生者へのものでなくてなるまい。

如是我聞−にょぜがもんーとは、「このように私は釈尊の教えを聞いております」の意である。

 6日

かくの如く我れ聞けり。ある時、仏、王舎城の耆闍掘山中―ぎしゃくつせんちゅうーに菩薩、声聞―しょうもんーの衆と倶―ともーにましましければ、

私はこのように聞いております。菩薩―在家の修行者―・声聞―釈尊の声を聞いて悟った人達・縁覚―因縁の教えや,折ふしの縁で悟った弟子達・比丘―男性の出家―・比丘尼―女性の出家―等が法を聞こうとして集まった。
 7日

比丘−びくー、比丘尼―びくにー、優婆塞―うばそくー、優婆夷―うばいー、一切諸天の人民―にんみんー及び龍鬼神など法を聞かんとて来たり集まり、一心に宝座を囲繞―いにょうーして、瞬−またたきーもせで尊顔を仰ぎみたりき。

みんな一心に座を囲んで、瞬く間もなく時間を惜しんで目を輝かして釈尊のお顔を凝視し聞法する。

 8日

この時、仏、すなわち法を説いて宣−のたまーわく、一切の善男子―ぜんなんしー、善女人、父に慈恩あり、母に悲恩あり、のゆえは、人のこの世に生まるるは、宿業―しゅくごうーを因として、父母を縁とせり。

おん身ら、よく聞くがよい。一切の善男子・善女人、父に慈恩あり。母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生るるは、宿業を因とし、父母を縁とする。気を父の胤に受け、形を母の胎―はらーに託す。
 9日

父にあらざれば生ぜず、母にあらざれば育せず。ここを以て気を父の胤−たねーにうけて、形を母の胎に託す。この因縁を以ての故に、悲母の子を念−おもーうこと、世間に比―たぐーいあること無く、その恩未形―みぎょうーに及べり。

父にあらざれば生ぜず、母にあらざれば育たず。この故に父に慈恩、母に悲恩あり。悲母の子をおもうこと世にたぐいはなく、その恩は胎中の形無き時から始っている。
10日

始め胎に受けしより十月を経−ふーるの間、行住坐臥ともに、もろもろの苦悩を受く。苦悩休−やーむ時なきが故に、常に好める飲食―おんじきー衣服―えぶくーを得るも愛欲の念を生ぜず。唯だ一心に安く生産―しょうさんーせんことを念−おもーう。

はじめに胎に受けて十月を経るの間、行住坐臥ともに諸々の苦悩を受ける。苦悩の休まる時がないから、好きな飲食や衣服を着ても愛欲の思いも生れない。ただ一心に安らかなお産をと念ずる。
11日

月満ち日足りて生産の時至れば業風―ごつぷうー吹きてこれを促−うなーがし、骨節ことごとく痛み、汗膏―あせあぶらーともに流れてその苦しみ堪えがたし。父も心身戦―おののーき懼れて母と子とを憂念し、諸親、眷属皆な悉く苦悩す。

月が満ち日も足りて産まれる時が来れば陣痛が生じて出産を促進し、骨も節もあらゆるものが痛み、その苦痛は堪えがたい。父も、身も心も、懼れ慄く思いで母子を憂い,親族も共に苦悩する。
12日

既に生れて草上に堕−おーつれば、父母の喜び限りなきこと、猶お貧女の如意珠―にょいじゅーを得たるがごとし。その子声を発すれば、母も初めてこの世に生まれでたるが如し。

父母の喜びは限りなく、貧女が如意の珠を得たような思いである。子の声を聞けば、母も己がこの世に初めて生れた思いとなる。
13日

爾来―それよりー、母の懐を寝処―ねどこーとなし、母の膝を遊場となし、母の乳を食物となし、母の情を性命―いのちーとなす。飢える時、食を需−もとーめるに母にあらざれば哺−くらーわず、

渇く時、飲−のみものーを索−もとーむるに母にあらざれば咽−のーまず、寒き時、服―きものー加うるに、母にあらざれば着ず、暑き時、衣−きものー−きーるに、母にあらざれば脱―ぬーがず。

14日 母の懐を住まいとする。母の着物と胸の間の懐は、物を入れる「袋」に通ずる。 母親を意味する「おふくろ」と物入れの「袋」は同意語である。
15日

母飢に中−あたーる時も、哺−ふくーめるを吐きて子に啗―くらーわせしめ、母寒さに苦しむ時も、着たるを脱ぎて子に被−こうぶーらす。母にあらざれば養われず、母にあらざれば育てられず、

その蘭車を離るるに及べば、十指の甲中―つめのなかーに子の不浄を食−くらーう。
(蘭車は手すりのついた乳母車。幼児はこの中に時に排泄をする。母はそれを手掴みにすること屡を言う。)

16日

計るに、人々母の乳を飲むこと一百八十斛となす。父母の恩重きこと天の極まり無きが如し。

斛は升目の「石」と同じ一斗の10倍、約百八十リットル、その百八十倍である。母の愛情の深さを示すものだ

17日

母、東西の隣里−りんりーに傭われて,或は水汲み、或は、火焼−ひたーき、或は碓−うすーつき、或は磨−うすーひき、種々の中―ことーに服従して、家に還るの時未―いまーだ至らざるに、今や吾が児吾が家に啼―いさーちて、吾れを恋し慕わん

と思い起せば、胸悸−むねさわーぎ心驚き、両乳流れ出でて、忍び堪うることを能わず、乃−すなわーち去りて家に還る。
(赤ちゃんがお腹をすかす、すかさず母親の乳がはってくる、この自然こそ尊いと思われる。)

18日

児遥―はるかーに母の来−きたーるを見て蘭車の中に在れば則わち頭―かしらーを揺―うごーかし脳―なずきーを弄し、外−ほかーに在れば、則ち匍匐―はらばいーして出で来り、嗚呼―そらなきーして母に向う。

幼児は母の愛により生きる、母は子に慕われて生き甲斐を感じる。

19日

母は子の為に足を早め身を曲げ、長く両手をのべて塵土を払い、吾が口を子の口に接−つーけつつ、乳を出してこれを飲ましむ。この時母は児を見て喜び、両情一致、恩愛のあまねきこと、またこれに過ぐる者なし。

母親の帰りを待ちわび、待ち焦がれる、母は飛ぶようにして帰る。
20日

二歳、懐を離れて始めて行く。父に非ざれば、火の身を焼くことを知らず。母に非ざれば、刀―はものーの指を堕−おとーすことを知らず。

二歳とは、体験もなく怖いもの知らず。ナイフで指でも切り落としかねないのを教えてくれるのが父母。
21日

三歳、乳を離れて始めて食−くらーう。父に非ざれば、毒の命を堕すことを知らず。母に非ざれば、薬の病を救うことを知らず。

危険や幸福も父母の細やかな情で教えられる。
22日

父母外に出でて他の座席に往き、美味、珍羞―ちんしゅうーを得ること有れば、みずからこれを喫−くらーうに忍びず、懐に収めて持ち帰り、喚び来たりて子に与う。十たび還れば九たびまで得、

得れば即ち常に歓喜して、かつ笑いかつくらう。もし過まりて一たび得ざれば、則ち矯−いつわりーり啼き佯−いつわーり哭−いさーめて、父を責め母に逼−せーまる。
ーー山上億良の「瓜食めば子供思ほゆ・・」の母親の情、然し子供に敢えて与えない深い愛情もある。
23日

やや成長して朋友と相い交わるに至れば、父は衣を索−もとーめ帯を需−もとーめ、母は髪に梳―くしけずーり髻―もとどりーを摩−なーで、己が美好の衣服は皆な子に与えて着せしめ、己は則ち古き衣、弊―やぶーれたる服−きものーを纏う。

現代は心の花で装うことが特に必要か。昔から日本には「おれに似ろ、おれに似るなと子を思い」がある。
24日

既に婦妻を索めて、他の女子を娶れば、父母をば転−うたーた疎遠して、夫婦は特に親近し、私房の中に於て妻と共に語らい楽しむ。

老夫婦の若夫婦への僻みが高まらず醜い嫉妬を避けたいものである。
25日

父母年高けて、気老い力衰えぬれば、寄る所の者は唯だ子のみ、頼む所の者は唯だ婦−よめーのみ。

然るに夫婦共に朝―あしたーより暮に至るまで未だ肯て一度―ひとたびーも来り問わず。
ーー老いへの思いやりを説いている。
26日

事ありて、子を呼べば、目を瞋−いかーらして怒り罵る。婦―よめーも児もこれを見て、共に罵り共に辱−はずかーしめば、頭―こうべーを垂れて笑いを含む。婦もまた不孝、児もまた不順。夫婦和合して五逆罪を造る。或はまた、急に事を弁ずることありて疾く呼びて命ぜむとすれば、十たび喚びて九たび違い、遂に来たりて給仕せず。

−かえーりて怒り罵りていわく、老い耄−ぼーれて世に残るよりは早く死なむには如かずと。

ーー五逆罪とは、主人・父・母・祖父・祖母を殺す、無視、無関心。老人の三苦とは、貧乏・病気・孤独。
27日

事ありて、子を呼べば、目を瞋−いかーらして怒り罵る。婦―よめーも児もこれを見て、共に罵り共に辱−はずかーしめば、頭―こうべーを垂れて笑いを含む。婦もまた不孝、児もまた不順。夫婦和合して五逆罪を造る。或はまた、急に事を弁ずることありて、疾く呼びて命ぜむとすれば、

十たび喚びて九たび違い、遂に来たりて給仕せず。却−かえーりて怒り罵りていわく、老い耄−ぼーれて世に残るよりは、早く死なむには如かずと。

―五逆罪とは主人・父・母・祖父・祖母を殺す、無視、無関心。老人の三苦とは、貧乏・病気・孤独。

28日

父母これを聞いて、怨念胸に塞−ふさーがり、涕涙―ているいー瞼を衝きて、目眩−くらーみ、心惑い、悲み叫びて曰く、ああ汝幼少の時、吾れに非ざれば養われざりき、吾れに非ざれば育てられざりき、而して今に至れば即ち却りてかくの如し。ああ吾れ汝を生みしは、本より無きに如かざりけりと。

自らが生みし子を嘆きつつこの日ごろ心和―しらーえず日を過ごしおり
(今井邦子)
29日

もし子あり、父母をしてかくの如き言―ことばーを発せしむれば、子は即ちその言と共に、堕ちて地獄、餓鬼、畜生の中に在り。一切の如来、金剛天、五通仙も、これを救い護ること能わず、父母の恩重きこと、天の極まり無きが如し。

父母恩重経はこのように父母の恩を説いている。これを次ぎの十種の恩徳として分類している。
30日

善男子―ぜんなんし、善女人―ぜんにょにんー、別けてこれを説けば、父母に十種の恩徳あり、何をか十種となす。

一には懐胎守護の恩、二には臨生受苦の恩
三には生子忘憂の恩、四には乳哺養育の恩
五には廻乾就湿の恩、六には洗灌不浄の恩、
七には嚥苦吐甘の恩、八には為造悪業の恩、
九には遠行憶念の恩、十には究竟憐愍の恩、

父母の恩、重きこと天に極まり無きが如し。
善男子、善女人、かくの如きの恩徳、いかにして報ずべき。

31日

仏、すなわち偈−げーを以て讃して宣わく。慈母、子を胎―はらーめば、十月の間に血を分け肉を頒−わかーちて、身、重病を感ず、子の身体これに由りて成就す。月満ち時到れば業風―ごっぷうー催促して、偏身疼痛し、骨節解体して、神心脳乱し、忽然―こつねんーとして身を亡ぼす。

十種の恩徳、「懐胎守護の恩」「臨生受苦の恩」「生子忘憂の恩」である。
自分の身体は父母の遺体。
「うつしみる鏡に親のなつかしき わが影ながら形見とおもへば」