中国、あれやこれや1.
                          
――本当の中国―

平成17年1月

1日

はじめに

戦前派の人々や戦中派に中国崇拝者がいる。私は戦前派の在日華僑と仕事上の交際もあり、彼等から信頼を得ていたと確信もあった。その方々は、大人―たいじんーという感じの方々であり、当時の私は、

欧米人より中国人が好きで、矢張り東洋人は違うなと思っていたのは40年前の頃である。戦前派の人々は、儒教とかシナの文物に傾注し中国信者となっていたし、日本との2千年の交流から考えて、それはそれで決して悪いことではなかった。
2日

然し、その戦前の中国人と、現在の中国人は大きく変貌している事を忘れていては、日本人も日本国も大きく誤ることとなる。

彼等は、共産主義国で、反日教育で育ち、言論・出版の自由の全く無い監視体制に生きている事をユメユメ忘れてはなるまい。
3日

中国と日本は、一衣帯水とか、漢字が共通だから同文同種とか言う人があるが、とんでもない間違いである。

中国とは文法からして違う。漢字は古代日本が借用して日本語の表象したに過ぎない。900キロ海を隔てており古代から朝鮮半島のように政治的動乱の影響は受けていないのである。
4日

日本あれや・これやを、連載中であるが、私は、その中国の認識に関して大いなる誤り

があると思うので、中国あれやこれや、として色々と中国の裏面にも挑戦する。
5日

古代日本が中国を憧憬したのは事実であり、中国を範とした。反面、巨大な陰の部分があり、それを知らない人々が多いと思う。それは、異民族に対する侵略・国内では大虐

殺など血塗られた裏面史があり、これを確りと見据えておかなくてはならぬ。誤った中国観を抱いてはならぬ、バランスのとれた中国観が必要である。何故ならば、世界的巨大覇権国家として野心満々の国だからである。
6日 中国古来の伝統

人肉食、それは中国人の残忍性、中国文化の非人間性を示すものである。

魯迅という中国人作家の著書「狂人日記」にそれを強烈に痛烈に風刺している。

7日

4千年の歴史

中華意識を持ち、常に周辺異民族を見下し、服属、朝貢、従わぬ者には容赦なく侵略、殺戮、略奪を欲しい儘にし絶滅した民族は枚挙に遑が無い。戦後でも、意向に従わぬベトナムに、

懲罰とし称して軍事侵入したことがある。現在も、蒙古、チベットなどがそうである。古代から、匈奴に代表されるように、南の民族を南蛮、北は北荻、東の日本は倭と侮り、卑弥呼などは蔑称である。

8日

日本

このような中国、漢民族の優越感を大いに傷つけたのが日本である。

朝貢国として見下していた日本に一時的にせよ、漢民族が支配され、馬鹿にした表現で呼び捨てられていたのだから彼等にすれば許し難く、白人に支配される以上に屈辱感があつたと思われる。
9日

毅然としない日本は何故か

古来から文化面で中国を範とした時代が長かったために、中国の「明」の部分だけ眼が奪われ、理想の国のように思う、歪んだ見解が根強く残っているからであろう。

又、戦後、共産主義国として中国人が大きく変貌しているのに、古来の中国観で見ているという誤りに気付かないからである。

10日

4千年間、中国はアジアで何をしたか

異民族に対する侵略、殺戮、国内では王朝の交替毎に繰り返された何千万単位の大虐殺で非人間的なものである。

戦後では、文化大革命で2千万人以上が殺されたという。

11日

インド人の対中国観

インド人は、中国人は極めて悪賢く、油断のならない国民で、猜疑心の固まりのような民族と警戒している。 漢民族は4千年間にわたり、我々こそが最も優秀で、周辺異民族は常に漢民族に頭を下げてくるべきものという意識が骨の髄まで染み込んでいると言われる。
12日

インドと中国

中国はインドの主要都市90に核ミサイルを照準している。

また、インドのライバル、パキスタンに核やミサイル技術を輸出してインドに圧力をかけている。
13日

日本の卑屈

中国は日本に対してもミサイルを照準しているのに日本はインドの核開発を批判した。中国に断固とした態度を示せない。

先の戦争に対する贖罪意識と戦後60年に渡る自虐史観教育の浸透である。日本は侵略国家、悪者であると、特に大学、政治家、官僚、マスメディアの深層心理が無知故に根付いている。

14日

中国の奇妙な性癖

昨年の日本領海侵犯に謝罪をしないし尖閣列島での油田開発も知らぬ顔である。

中国は相手が自分の気に食わぬ事をするのは断じて許さぬという奇妙な性癖があると言われる。

15日

日本人のトラウマ

日本人の中国へのイメージの殆どが、「史記」「三国志」「十八史略」などの古代歴史書や、「論語」「四書五経」「唐詩選」「西遊記」「水滸伝」で中国は文化的に洗練されていると思い込みがある。

これらは中国の持つ「陽」の部分であり、ほんの僅かに過ぎないことを知らなくてはならぬ。

16日

中国の歴史批判とは

中国が過去、数千年間、いかに侵略、支配、略奪、虐殺、抹殺、差別、虐待を繰り返してきたか知るべきである。

台湾の高名な柏揚氏は、「中国史はまさに迫害の歴史であり、中国文化は人間に対する尊厳と包容力に全く欠けている」と分析している。自国民にこれらの事は教えないし害者として全く反省もない。

17日

中国の三つのキーワード

「黄帝」「黄河」「黄土」である。

黄帝は伝説上の帝王である。即位紀元前2698年とあるが根拠はない。
18日

黄帝陵参詣の心得

「漢民族の始祖である黄帝は、わが国56民族、12億人民の共通の祖先である。女真族の金朝、蒙古族の元朝、漢族の明朝、満族の清族はいずれもこれを誇りとして年々祭典を執り行い保護してきた。この伝統を継承し厳粛に拝礼すべし」とある。

この記述は漢民族以外は誰も信じていない。言うことと、することの確実に異なるこの国の代表的言辞であろう。
周辺諸国の異民族を過去と同様な圧迫を加えている。現代風に言えば人権問題であり、世界的認識がある。
19日

中国の「赤色」はなぜ?

黄河は中国文明の母である。中国第二の長流で、全長5464キロ、流域一体に黄土層が沈殿している。

黄土は肥沃で農耕最適、黄土には多量の酸化鉄が含まれている。焼けば紅色となる。周時代から赤色の朱を使い神聖視してきた。
20日

漢民族の出現は

考古学的にも漢民族がどこから出現したかは曖昧模糊としており正答はないという。少なくとも華北地方に居住中に「漢字」を発明した民族である。

その後漢民族は中国に拡大するが、本格的に辺境地まで進出したのは20世紀に入り中華人民共和国が1949年に建国した以降である。
21日

漢民族とは

現在の中国正州―本土―に居住する黄色民族で、中国語を話し漢字を使用する民族である。

漢民族が元々中国本土で発生し次第に発展拡大したかというとそうではない。
22日

実在、
最古の王朝

「殷―いんー」である。紀元前1600年頃から紀元前1100年前後まで黄河中流域で栄えた。

それまで、どのような民族や部族がいたかは全く不明と言われる。
23日

現代中国人の祖型

モンゴロイドを主流として、ツングース系、蒙古系、チベット系、トルコ系、イラン系などの遊牧・狩猟民族が融合され形成されていったの考えられるという。

現在の朝鮮民族は、ツングース系である。
24日

殷の祭祀は欧米・中東と酷似

殷帝国では、各種の祭りに必ず「動物」を祭壇前に犠牲の供物を捧げていた。当初は羊・牛・豚から時代が下ると、敵となった羌族―きょうぞくーの人間を捕えて犠牲の材料としていた。

根本的な処で日本人と違い欧米・中東の生贄に通じている習慣のある中国である。血を好む狩猟民族にルーツが潜む。

25日

大量の首なし遺体

殷は約5百年続いた。殷は羌族の圧迫で恨みは深く、羊の代用に羌族の首を供えたと言われる。

殷墟の西北部に「祭祀坑」と呼ばれる墓が250発見されたが、一つの坑に810体の人骨が重なっている上に、大部分は首が切断されており総数2000体あったと言われる。この民族の残忍性を示す。
26日

中国と支那の呼称1.

現在、中華人民共和国を略して中国と呼んでいる。明治・大正の人々は支那とも呼んでいた。

中国人が自称する中国とは、周辺の夷狄−いてきーに対立する概念である。自らを、優れた文化・文明の花咲く中央の国の意で、周辺を蔑視した概念である。
27日 中国と支那の呼称2.

支那と言うのは、主として外国人が中国を呼ぶ時に使用したもので、由来は、始皇帝が建国した「泰―シン」にある。これが周辺国から欧州に伝わり、チン、シナ、シーヌ、チャイナなどとなった。

現在でも殆どの国が中国と呼ばず、シンを語源とする呼称を用いている事実を日本人は知っておくべきである。
28日

三跪九叩頭

さんききゅうこうとうーと読む。三度跪−ひざずーき、九回地面に頭をつけてお辞儀する事である。

中国は、4000年間、周辺の外国、即ち夷狄にはこの三跪九叩頭の朝貢関係のみを要求した。

29日

周辺諸国につけた名前

匈奴・東胡・鳥垣−うがんー・靺鞨−まつかつー・鮮卑―せんぴー・拓跋―たくばつー・高句麗・新羅・高麗・渤海・突蕨―とつけつー・吐蕃―とばんー・倭奴−わどー・穢貊―わいばくー等である。

いずれも動物や昆虫の名をつけて馬鹿かにして呼んだ名称。蒙古とは無知で愚鈍の意。匈奴とは不吉な下郎、鳥孫は鳥の末裔穢貊は汚いイタチ、突蕨はサソリのような奴である。
30日

倭奴−わど

日本の蔑称である。江戸時代に博多湾の志賀島で発見された金印に「漢委奴国王」とあるように、日本のことを「委の奴の国王」―わのなのこくおうーと呼んでいた。

日本のことを、コビトのような奴隷と見ていたと考えられる。卑弥呼など卑しいを使用している蔑称である。だから、韓国人が日本人を貶す時は「倭奴―ウエノム」と呼ぶ。

31日

朝鮮の命名者は中国

夷狄の中には中華帝国におもねり自国の国家名さえ中国につけて貰う国もあった。朝鮮半島で高麗を倒し新たに建国した李成桂、1335年は、13921129日使者を宗主国である「明」に派遣した。

自国の国号を「朝鮮」とすべきか、「和寧」とすべきか選択して貰い、その結果「朝鮮」が選ばれた。現在の首都ソウルは中国風に「漢城」と書くが、これは「中国の城」の意である。