美しい日本歌 1月 昭和天皇の大御歌

昭和天皇は、文字通り激動波乱の昭和のみ代を、終始国民と苦楽をともにされたと言ってよい。国民はもとより、山川草木にも深いものを、そのご仁慈、誠実そのもののご性格、職務のご精励、質素な日常生活、高潔で尊いご生涯は、国内外の人々の畏敬の的であられた。「一切の責任は私にある」、この無私と崇高なお言葉であのマッカーサーを驚かせた。偉大なる昭和天皇の大御歌を通じてその御徳を偲びたい。平成17年元旦

平成17年1月

 1日 山色連天御年25

立山にて

たて山の空に聳えるををしさにならへとぞ思ふみよのすがたも

 2日 海辺巌
御年
30

磯崎

いそ崎にたゆまずよするあら波を凌ぐいはほの力をぞ思ふ

 3日 朝雪
御年
49

庭のおもにつもるゆきみてさむからむ人をいとどもおもふけさかな
 4日
御年
60

治世

さしのぼる朝日の光へだてなく世を照らさむぞ我がねがひなる

 5日 戦災地視察 生業 国をおこすもといとみえてなりはひにいそしむ民の姿たのもし
 6日 勤労奉仕

お慕い

戦いにやぶれし後も今もなほ民のよりきてここに草とる

 7日 帝室林野移管 宮内庁管理林野移管

うつくしく森をたもちてわざはひの民におよぶをさけよとぞおもふ

 8日 東北視察御年52

豊年

豊年―とよとしーのしるしを見せてうちわたす田の面はるばるつづく稲づか

 9日
御年
45

母宮より信濃路の野なる草をたまはりければ、

わが庭に草木をうえてはるかなる信濃路にすむ母をしのばむ
10日 かた白草とはハンゲショウの別名。

池のべのかた白草を見るごとに母の心の思ひいでらる

11日

帝王にしてこの思い、この日常の日本らしさ。

母宮のめでましし薯畑ことしの夏はいかにあるらむ

12日 心うたれる、この思い、素直さ。

冬すぎて菊桜さく春になれど母の姿の見えぬかなしさ

13日 伊勢参拝

米国訪問を無事に終えてのご帰国報告。

たからかに鶏のなく声ききにつつ豊受の宮を今日しをろがむ

14日 明治神宮鎮座六十年

明治天皇の御製に外国人も賛嘆したものがある。

外国―とつくにーの人もたたふるおほみうたいまさらにおもふむそぢの祭に

15日 軽井沢

ゆふすげはキスゲ。ご一家ご団欒の55才。

ゆふすげの花をながめつつ楽しくも親子語らふ高原の宿

16日 鏡山 鏡山は虹の松原の近くの山、松浦山ともいう。

はるかなる壱岐は霞みて見えねども渚美しこの松浦潟―まつらがたー

17日 翁島の宿 ご成婚当時、天鏡閣で過ごされたご追懐か。

なつかしき猪苗代湖を眺めつつ若き日を思ふ秋のまひるに

18日 飛行機の旅 御年66才、格調高くおおらかな将に大御歌かな。

晴れわたる大海原ははてもなし八丈島も遠―をちーにうかびて

19日 苫小牧 生き生きとした情感が漂うようだ。

斧入らぬ林をゆきて驚きぬしらねあふひは群れ咲きにほふ

20日 皇居の春 むらさきけまん、ケシ科、淡紫色。

わが庭にむらさきけまんの花あまたむらがりさけりのどかなる春

21日 科学万博 はるとらのを、早春に白い花を穂状につける。

はるとらのをま白き花の穂にいでておもしろきかな筑波山の道

22日 上海事件の収拾をと 戦後初公開御歌、白川大将は天皇の意を体して停戦を命じ暴徒により落命。遺族への御製である。

をとめらの雛まつる日に戦をばとどめしいさを思ひ出でにけり

23日 奈良にて 奈良町時代を思いおこされたのであろう。

大き寺ちまたに立ちていにしへの奈良の都のにほひふかしも

24日 生物愛護

乱獲防止を戒められたもの。明治天皇「よきをとりあしきをすてて外国におとらぬ国となすよしもがな」

−みづうみーにつりするひとも法―のりーを守−もーるゆかしきこころ学びてしがな

25日 相撲 陛下の限りないお喜びが溢れて、ご満足のご様子を思い出す

ひさしくも見ざりし相撲―すまひーひとびとと手をたたきつつ見るがたのしさ

26日 経済成長 昭和30年代である。陛下のご心中が拝される。

なりはひに春はきにけりさきにほふ花になりゆく世こそ待たるれ

27日 漁火
御年
86
陛下のこのご慈愛あふれるお気持

伊豆の海あまたかがやくいさり火に海人らのさちをこひねがふなり

28日 国事の代行 ご手術の為に国事を皇太子に代行された。「からだやすめけるかな」の結句に感慨無量。

秋なかば国のつとめを東宮にゆづりてからだやすめけるかな

29日

最後の新年一般参賀

昭和6312日も国民の前にお元気なお姿で立たれ「心配してくれてありがとう」と仰せられた。

国民―くにたみーに外国人―とつくにびとーも加わりて見舞をよせてくれたるうれし

30日

くすし

くすしは医者、いたつきは労苦。おねぎらいである。

くすしらの進みしわざにわれの身はおちつきにけりいたつきを思ふ

31日 ご発病 昭和63年、最後のご闘病、誠心誠意のご看護。

去年―こぞーのやまひに伏したるときもこのたびも看護婦らよくわれをみとりぬ