日本海新聞 潮流寄稿 平成17年 2月 1日

   

興亡盛衰

@人類の歴史を見れば、古くはローマ帝国は言うに及ばず、わが国も、また中世から近世にかけて見る欧米諸国の興亡盛衰も、所詮は人間精神の弛緩に起因する。
現代の世界的覇権国は米国である。5百年前、コロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、西洋人は競って世界に乗り出して覇権を争い世界各地を植民地化した。
16世紀から覇権国はポルトガル、スペイン、オランダと移動し、19世紀は英国、そして20世紀はアメリカとなっている。歴史に見る国家・社会の栄枯盛衰・治乱興亡は全て人間精神の弛緩に起因することは歴然、将に盛者必衰である。
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世紀、米国と覇権を争った、大国ソ連は共産主義という人間性を無視した70年に亘る大実験が失敗し歴史の彼方に消えうせた。

Aさて、
20世紀の覇権国・米国は、歴史の常道通り、果たして覇権を失うのか。軍事力を除く同国の諸指標は限界に到着していると云われる。然しながら、国家戦略と指導性には凄まじいものがあり、直近未来の崩壊はありえまい。現代は過去のような大戦による覇権争奪戦が有り得るか。民主が広く世界に浸透した現今、武器による大戦は無いやに見える。理性が優位の平和時には有り得ないと思われるが、果たしてそうか。動物の世界を見ると、生死の極限状態では、間違いなく死闘がある。人口激増による食糧的極限は国家間の大生存闘争に至ると私は見る。その事態が差し迫っているとの認識も既に存在する。

B近世歴史の通則に従えば、冷戦後、世界の金融資産の三分の一を占めた日本が、戦前の如き政治・外交力、且つ意思を持たば円覇権大国たり得た。国家戦略も無く、真の独立国に非らざる日本は、その気概も意欲もなく、ただマネーを保有するだけの町人国家に過ぎず、その可能性は皆無。それでは、領土・人口大国の中国が有資格かといえば、かの国は共産主義国であり、民治・法治の道徳律に欠けている上に民度未熟、故に世界の信任を得られない。徒らに軍事覇権を希求し続けており、将来に亘り予断を許さぬ危険なものを孕んでいる。

C現代は、戦前と大きく異なり、大衆がもてはやされ、大マスメディアが大衆を煽り、誘導する。昨年
11月に行われた米国大統領選挙は、東部のマスメディアが挙って反ブッシュを煽り、世界的に煽動した為に、ブッシュ敗退の国際予測すらあったが、結果は大違い。国家の安定基盤層である保守層がしっかりしていた。この様に、余ほど、透徹した眼を持たないと判断を間違えてしまう時代となっている。

D
現代文明論の先駆者、スペインのオルテガは、著書「大衆の反逆」の中で次のように述べている。「現代は大衆の世界だと言われ、大衆がもてはやされておるが、大衆というものは大事なものではあるけれど、大衆が時代を創るということは出来るものではない」。

Eさて、樹木でも枝葉が繁茂し過ぎると枯れ死にする。それを防ぐには、常に剪定し、風通しをよくし、日照りに注意し根固めが必要である。これは、どうやら人類の歴史、文明社会の原則でもあるらしい。どの文明もある程度栄えて繁茂が過ぎると、必ず風通し・日当たりが悪化し虫がつき、やがて伸びが止まるばかりか、遂には根腐れして衰亡している。日本の現状を見れば自明である。これにどう対処するか、オルテガは「文明をいかにして簡素化して根源に復帰するかということが、文明の盛衰の岐路である」と言っている。

Fわが国も、伝統の断絶が発生しており、このままであれば、伝統も、日本も必ず衰微する。既に日本の社会に於いては歴然と亡国現象が顕現化しつつある。それを防ぐには、簡素化、根源の歴史に帰る、自己に帰る、伝来の日本に帰る、ということではないか。それには、樹木の剪定と同様に、人間精神・生活態度を簡素化することではないか。戦後の日本人は、長くこの風土に相応しく生き抜いてきた先祖の生活態様と大違いとなり、矛盾が生じている。戦後の欧米化の度が過ぎたということに尽きると思われる。

鳥取木鶏クラブ代表世話人徳永圀典