美しい日本の歌 12月 万葉集B  地域別
平成17年12月

 1日 なつみの川

吉野る 夏実(なつみ)の 淀に くなる 山げにして

湯原(ゆばらの) (おうきみ) 巻3375
吉野町の菜摘、湯原王は天智天皇の子の志貴皇子の子、「な」の同音の響きはセセラギ、「か」の律動は鴨の声に似ているようである。清艶優美の新風を開いた歌人。
 2日 竹田の庄

うち渡す 竹田の原に 鳴く(たづ)の 間無く時無し わが恋ふらくは

大伴(おおともの)坂上(さかのうえの)郎女(いらつめ) 巻4760
耳成山の東北の竹田の村、絶え間ない鶴の声に嫁した娘への思慕を詠んだ。
 3日 三宅の原

うち日さつ 三宅の原ゆ 直土(ひたつち)に 足踏み貫き 夏草を 腰になづみ 如何なるや 人の子ゆえぞ 通はすも吾子(あご) (うべ)な諾な 母は知らじ 諾な諾な 父は知らじ (みな)(わた) か黒き髪に 真木綿(まゆふ)もち あざさ結ひ垂れ 大和の 黄楊(つげ)の小櫛を 抑へ挿す 刺細(さすたへ)の子は それぞわが妻

作者未詳 巻133295

磯城郡。三宅の原を通り、じべたに足踏み込んで、夏草を腰でかき分けして、どういう娘さんだから通っているのかね。それはそうさ、お母っかさん、お父っつぁん、なんか知るまい。その人はね、真っ黒な髪に真木綿で、あざさ型に結び大和産の黄楊の櫛おさえしている素晴らしい私の妻だよ。青年の心の弾むように歌。

 4日 曽我川 真菅(ますが)よし 宗我(そが)の河原に 鳴く千鳥 間無しわが背子 わが恋ふらくは 作者未詳 巻123087
千鳥の声の絶え間のないように私はあの男を恋いこがれている。曽我の河原に水清く川千鳥が沢山いたのであろう。畝傍山に近い。
 5日 雲俤(うなて)の社 真鳥住む ()名手(なて)神社(もり)の 菅の根を (きぬ)にかきつけ 着せむ子もがも 作者未詳
鬱蒼たる
.雲俤(うなて)の社、深い畏怖を感じて、菅の根に衣をすりつける等して森の神威にかけた恋情か。
 6日 百済野 百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りし鶯 鳴きにけむかも

山部赤人 巻81431
北葛城郡広陵町の百済の村、朝鮮からの帰化人定住地。

 7日

城上(きのへ)

・・(こと)さへく 百済の原ゆ (かみ)(はふ)りいまして

あさもよし 城上の宮を 常宮(とこみや)と 高くしまつりて

神ながら 鎮まりましぬ 然れども わが大王(おほきみ)の 万代(よろづよ)と 思ほしめて 作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや・・・

柿本人麻呂 巻2-199

天武天皇の皇子、武市皇子の亡くなった時の長歌。万葉集中の最長歌。
 8日 平城(なら) 立ちかはり 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり 田辺福麻呂 巻6-1048
恭仁京遷都の跡の荒廃を歌った嘆き、天平12年、740年。
 9日 平城(なら) 春の野に 心伸べむと 思ふどち 来し今日の日は 暮れずもあらぬか 作者未詳 巻10-1882
稀に見る文明開化の奈良の帝都
官人の歌。
10日 平城 今日もかも 都なりせば 見まく()り 西の御厩(みまや)の 外に立てらまし 中臣宅守 巻15-3776
女官、狭野茅上娘子との恋愛事件により越前に流罪となつた中臣の在京の日の切ない慕情の歌。
11日 平城(ならの)(みやこ) あをによし 奈良の大路は行きよけど この山道は 行き悪しかりけり 中臣宅守 巻15-3728
狭野茅上娘子の歌「君が行く道の
長路(ながて)を繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも」巻15-3724、情熱的な恋愛であったようだ。
12日 東の市

(ひむかし)の 市の植木の 木垂(こた)るまで 逢はず久しみ うべ恋ひにけり

門部王 巻3-310
緑陰は群集のよき憩いの場であったろう。長いこと逢わない人に恋がつのる思いが街路樹が悩ましい程、緑濃くもっくり茂る。
13日

春日山

秋されば 春日の山の 黄葉見る 寧楽(なら)の都の 荒るらく惜しも 大原真人今城 巻8-1604
奈良の東方に老杉の蒼黒く茂った春日山、春日山は万葉集では抒情の源泉。
14日 春日野 春日野に (けぶり)立つ見ゆ をとめらし 春野のうはぎ 採みて煮らしも 作者未詳 巻10-1879
奈良公園となつている場所、春日神社の前身の社もあった。野にあがる煙りはのどかな春の喜び。おおどかな風情がある。
15日 よしき川 吾妹子(わぎもこ)に (ころも)春日(かすが)の 宣寸(よしき)川 よしもあらぬか 妹が目を見む 作者未詳 巻12-3011
東大寺南大門の手前の小橋の下を流れるのが宣寸川、今は吉城川と書く。手掛かりが無いのかな、あの人に会いたいものだ。いとしい人に衣を貸すと春日とかけた。
16日 春日野の率川(いざかわ) はねかずら 今する妹を うら若み いざ率川の 音のさやけき 作者未詳 巻7-1112
猿沢池・率川神社の南を流れ佐保川に注ぐ。はねかずらをつけた恋人がうら若いので、いざと誘いたくなる。その率川の音のさやかなことよ。清新に聞こえてくる。
17日 三笠山 大君の 三笠の山の 黄葉は 今日の時雨に 散りか過ぎなむ

大伴家持 巻8-1554
この歌は家持の父、旅人の腹違いの弟、大伴稲公の歌の返歌である。「時雨の雨 間無くし降れば 三笠山 
木末(こぬれ)あまねく 色づきにけり」

18日 能登川 能登川の 水底さへに 照るまでに 三笠の山は 咲きにけるかも

作者未詳 巻10-1861
白毫寺、志貴皇子の春日宮跡といわれる。桜花散りて流らう風情。

19日 高円(たかまど) 高円の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば 大伴家持 巻20-4506
高円山は春日山の南の地獄谷を挟んで続く山、海抜
462米。家持は離宮の風趣を好み「宮人の 袖つけ衣 秋萩に にほひよろしき 高円の宮」の作者でもある。立たしし君とは、聖武天皇。
20日 田原の西陵 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人無しに 笠金村 巻2-231志貴皇子の墓がある。東陵は志貴皇子の子、光仁天皇の墓は田原の東陵。
21日 佐保川 うちのぼる 佐保の川原の 青柳は 今は春べと なりにけるかも 大伴(おおとも)坂上(さかのうえの)郎女(いらつめ) 巻8-1433
大伴家持の叔母の歌。奈良市北郊に佐保がある、佐保の内は当時の顕官の住宅地。「佐保川の清き川原に鳴く千鳥 蛙と二つ 忘れかねつも 巻
7-1123 作者不詳」
22日 佐保山 さす竹の 大宮人の 家と住む 佐保の山をば 思ふやも君 石川足人 巻6-955
筑紫に赴任した足人が長官の大伴旅人に送った歌。この歌に対して、旅人は「やすみしし わが大君の 
()す国は 大和もここも 同じとぞ思ふ 
6-956
23日 佐紀山 春日なる 三笠の山に 月も出でぬかも 佐紀山に 咲ける桜の 花の見ゆべく

作者未詳 巻10-1887
佐保山に続いて西に起伏する丘陵。山際には古墳が多い、三笠山に月が出ると一帯が明るく夜桜が見られる。

24日 磐姫陵 かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根(いわね)()きて 死なましものを (いわの)(ひめの)皇后(おほきさき) 巻2-86
仁徳天皇の皇后、武内宿弥の子の葛城襲津彦の娘。こんなにも恋いこがれていないで、高い山の磐を枕として死にましょうものよ。
25日 奈良山 君に恋ひ (いた)術無(すべな)み 奈良山の小松が下に 立ち嘆くかも 笠女郎 巻4-593
平城京の北方に連なる佐紀山・佐保山の丘陵地が奈良山、笠女郎は大伴家持を巡る女性の一人。家持に
29の歌を贈ったという、その嘆きであろう。
26日 歌姫越 佐保過ぎて 寧楽(なら)の手向に 置く(ぬさ)は 妹を目()れず 相見しめとぞ 長屋王(ながやのおおきみ) 巻3-300
奈良山を越えて山城方面に行く古道の一つ。長屋王は高市皇子の子、天武天皇の孫、光明皇后の立后にからみ
(長屋王の変)藤原氏に謀られ自尽させられた人。妻への祈りという。
27日 菅原の里 大き海の 水底深く 思ひつつ裳引(もび)きならしし 菅原の里

石川郎女 巻20-4491
西大寺の南に菅原の里、愛薄らぎ離別させられ、悲しび恨んで、作った歌という。

28日

勝間田の池

勝間田の 池はわれ知る 蓮無し 然言う君が 髯無き如し 婦人(をみなめ) 巻16-3835天武天皇の皇子、新田部皇子の旧宅は現、唐招提寺、皇子はこの池に感動し「水影濤濤として蓮花杓杓たり、可怜断腸、言うことを得べからず」と手放しで絶賛したのでこの歌を皮肉にお返ししたのは寵愛の婦人であろう。
29日 生駒山 夕されば ひぐらし来鳴く 生駒山 越えてぞ吾が来る 妹が目を欲り 秦間満(はだのはしまろ) 巻15-3589
神さぶる
生駒(いこま)高嶺(たかね)であった、今は暗峠しか残らない。妻に逢いたい遣唐使の一人。
30日 (くらがり) 妹許(いもぶり)と 馬に鞍置きて 生駒山 うち越え来れば 紅葉散りつつ 作者未詳 巻10-2201
暗峠は海抜
455米、生駒山の南の鞍部、古代から大和への重要な交通路。いとしい人のもとへ馬に鞍つけて山越えして行くと、おりから紅葉が散り旅情旅愁は身にしみたのであろう。
31日 龍田山 夕されば 雁の越えゆく 龍田山 時雨に(きほ)ひ 色づきにけり 作者未詳 巻10-2214
三郷町の立野付近、大和・河内をつなぐ重要な峠の山。秋の雁・時雨・もみじにつけ、また春の桜につけ、旅人の感懐もここで出てくるのであろう。