徳永の世界史 その71 5年131

アメリカの独立

イギリスの宗教弾圧に耐えかねたビリグラムファーザーの一団がメイフラワー号に乗り北米大陸に上陸したのは有名、想像外の気候と餓えと寒さに耐えつつ、先住民の温かい支援に助けられて植民地の第一歩を踏みだしたのは有名である。以後百年、イギリスから植民者が次々と移住しインディアンの土地を奪いバージニアから13番目のジョージア州か成立したのだ。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その78 5年28

ここらで私が観察したアメリカの手法を示したい。アメリカが侵略戦争を仕掛ける時には常套手段があるようだ。アメリカは建国後は戦争ばかりのヨーロッパに巻き込まれぬようにしている。だからフランス革命にも中立であった。これがモンロー主義となる!その分西部開拓と言う侵略に傾注している。

西部開拓の目途が立ったら中南米へ、介入侵略を始めた。先ず、メキシコから独立したテキサスを併合した。それによりニューメキシコ、アリゾナ、カリフォルニアなどを併合し領土を一気に増やした。自国のアラモ砦を囮、おとりにして、相手を挑発し、わざとメキシコ軍に先制攻撃させ自軍に相当な被害を出させた上でリメンバーアラモと称して戦争を正当化した。これがアメリカが戦争するときの常套手段となった。リメンバーバールハーバーと同じである。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その79 5年29

アメリカの痛烈な戦争開始前は真珠湾攻撃と同様な事例を挙げてみよう!1898年、アメリカはハバナ訪問中の戦艦メーン号を自沈させ、2060人の乗務員を犠牲にし、これを敵がやったことにして国民を戦争に駆り立て有無を言わせずスペインに宣戦布告した。この米西戦争はキューバ独立を支援する名目であったが、結局キューバを自国の保護領土化した。子供じみた手段で自己正当化する。これでお分かりであろう!真珠湾岸のリメンバーバールハーバーは開戦の口実だある、日本はしてやられ、日本人まで信じ込まされている!戦争を起こしたルースベルト長女の娘婿、カーチス、ドール氏が、ルーズベルトの言葉、私は決して宣戦しない、私は戦争を造るのだ、これが全てを物語っている!

スタバにて書き流し徳永の世界史 その80 5年210

スペインはローマ法皇からのお墨付けで西周り、フィリピンを抑えていた。アメリカが東海岸から西へ乗り出す、即ち太平洋進出すれば何れはスペインと衝突する。それは1898年の米西戦争だ。極東でアメリカはスペインを抑えフィリピンをものにした。

フィリピンのマニラ湾でスペイン極東艦隊を撃破した。フィリピンのスペインからの独立運動家アギナルドは協力したが結局、騙されて独立出来ずアメリカの属領となる!フィリピンの初代軍政長官は日本敗戦時のダグラスマッカーサー総司令官の父親、アーサーマッカーサー少将であった。

スタバにて書き流し徳永の世界史 その81 5年211

太平洋にスペイン以外のアメリカ白人が進出してきた。アメリカはハワイ、グアム、サモア群島を奪取した。ハワイのカメハメハ大王は明治天皇にハワイを日本にして欲しいと嘆願した。日本は力が無く見殺しにするしかなかった。アメリカはハワイの女王を騙してアメリカに編入された。