安岡正篤先生 日本海新聞潮流寄稿 平成18年11月1日  

一日として安岡先生の風貌が思い出されない日は無い,先生の書物に触れない日もない。先生との邂逅は無上の幸運であり、珠玉の言葉、多逢聖因(たほうしょういん)縁尋機妙(えんじんのきみょう)実証するものであった。師友会・関西師友会の講義、伊勢神宮の「一灯照隅・萬灯照国」(ぎょう)

先生との初対面は四人での宴席であった、泰然、そして慈愛に満ちた温顔と容姿。その風貌は将に菩薩の如く、威厳と親和の(かも)す巨大なお方であった。斗酒なおの先生、宴たけなわの頃、女将に色紙と筆を運ばせて私の為に揮毫され色紙を賜った。
爾来、住銀支店長室、住友本店人事部の私の部屋、今は書斎で朝夕見上げる私の宝物「修徳永善是圀典」である。

神宮では官房長官をされた藤波氏と隣席、講義では隣に私が私淑し兄事する病院理事長片岡菊雄氏の従兄弟・塩川正十郎氏もおられた。

開講時、厳粛に威儀を正して直立し「聞学(もんがく)起請文(きしょうもん)」の朗読で始まる師友会。

当時、先生は出版をされなかったが、愛弟子の片岡氏から非売品「偉大なる対話」(
水雲問答)を拝借、毎朝、支店長室で大学ノートに筆写し2年かかりで完成した。住銀支店長に対する連続講義が書物となった東洋思想十講。支店長交際費から著書「百朝集」を心ある方々に進呈、延べ百冊を越えた。

亡き先生の思い出を師友会誌に寄稿した。先生の紹介状を持ち片岡氏と私が台湾に公賓として入国、税関フリーパスで歴史的人物・何応欽将軍を訪問、方治全人代議長や周外務次官と懇談。蒋介石御廟の特別参拝、蒋介石の右腕・王新衡氏と対談、墨痕鮮やかな色紙を頂いた事などなど思い出が尽きない。

この安岡先生を若い人はどう思うのか、私のHPを閲覧した下記のような立派なお方もおられ感動した。ご披露を赦されよ。

鳥取市在住25歳の社会人。出身は関東、大学卒業後来鳥。安岡先生の「東洋倫理概論」「知命と立命」「いかに人物を練るか」等、本当にむさぼるように読んでいます。トイレの中では語録集「照心語録」を何度も何度も読んでいます。

しかし、知人に安岡先生を知る人は少なく、同年代に到っては皆無に近い。学生時代から読書が生活の一部のように過ごしてきましたが、社会人になって自由な時間が少ない分本当に読み応えのある本しか求めなくなっていきました。

致知出版から西晋一郎語録が出版され、鳥取にこんな偉大な人間がいたなんてと喜んでいた処に関西師友協会のHPに徳永先生のHPを発見し、鳥取市出身ということで嬉しくて思いつくままにメールしました。
仕事上、鳥取木鶏研究会に参加出来ません、「言志四録」の輪読に参加できないことが残念です。

自分がなぜこんなにも、東洋思想に飛びつき出したのかはっきりとした理由はまだ見つかっていませんが、心の奥底が求めていたものなのだと思います。
心の飢えを潤して頂きました。死して朽ちず、永遠の精神を説かれ、現代を生きる自分に大きな勇気と生きる力を与えてくれています。安岡先生の薫陶を受けられたことを大変羨ましく思います。浅学勉強中の身、安岡先生の著書を通じて真の学問が分かりかけてきた気がします。木鶏研究会に参加出来ることを願っています」。

先生の著作は
東京紀伊国屋書店でも旭屋書店でもベストセラーを続けている。先生の活学は、混迷する時代を超越したものがあり、人間の営為・国家社会等々、いかなる時代でも通用する含蓄と真理が潜んでいる。
             平成18年11月 1日
                   徳永日本学研究所 代表 徳永圀典