格言・箴言 安岡正篤先生語録H 百朝集 2.
平成18年2月

 1日 七養

時令に順うて以て元気を養ふ。思慮を少うして以て心気を養ふ。言語を省いて以て神気を養ふ。肉欲を寡うして以て腎気を養ふ。(しん)()を戒めて以て肝気を養ふ。滋味を薄うして以て胃気を養ふ。多く史を読みて以て膽気を養ふ。
(格言連壁)
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時令は季節・時候の意。元気は心身一如の原始的創造力。心気は、その内奥の心理的な力。その更に奥深い霊的なものが神気である。腎気とか胆気とかいうものは内臓諸器管みな夫々特殊機構を持って放電していることを思うと味解できる。

 2日 七養

その二

春には春の、秋には秋の生活様式がある。同様に寒帯には寒帯の、熱帯には熱帯の飲食起臥の方向がある。夏は夏らしく、冬は冬らしいというように暮らしておれば、生命力は健康である。

夏むやみに冷やしたり、冬やたらに暖めたり、熱帯の果物を取り寄せたり、寒国の肉類を選んだりして、時ならぬ異味を、とんだ処で珍玩するなどは生命の理に反して元気を傷める。
 3日 七養その三 心気は同時に心臓の気である、活力である。思慮を少なくして安らかにすることが養心の秘訣である。必要もないのにベラベラ喋るようなことはその人間を最も浅薄にする。黙養という言葉があるとおり、神気を養うには、下らぬお喋りはせぬことだ。飲食女色は腎を弱め、瞋怒(いかり)は肝を弱め、脂っこいような植物は胃に悪い。 古今の治乱興亡に通じることは、膽気を養い度胸を造る。一時一処の成敗得失くらいに転倒せぬからである。唐の杜牧は悲劇の英雄項羽を弔い詠じた。「勝敗は兵家も期すべからず。羞を包み恥を忍ぶ是れ男児。江東の子弟、才俊多し。捲土重来せば未だ知るべからじ。
 4日 八休

消し難きの味は食するを()めよ。得難きの物は蓄ふるを休めよ。酬い難きの恩は受くるを休めよ。久しくし難きの友は交わるを休めよ。守り難きの財は積むを休めよ。(そそ)ぎ難きの謗は弁ずるを休めよ。釈き難きの怒は(あらそ)ふを休めよ。再びし難きの時は失ふを休めよ。

これだけ休め得たならば、我々は如何に自由を得ることであろう。政治上経済上、その他一切の社会的自由の内面に又根本にこういう自由の追求があってこそ、始めて真の人格の世界が開けるのである。
 5日 (よう)

花を()えて以て蝶を(むか)ふべし。石を累ねて以て雲を邀ふべし。柳を植えて以て蝉を邀ふべし。水を貯へて以て(うきくさ)を邀ふべし。台をを築いて以て月を邀ふべし。(ばしょう)()えて以て雨を邀ふべし。書を蔵して以て友を邀ふべし。徳を積みて以て天を邀ふべし。

こういうことが、生活の芸術化であり、宗教・道徳・芸術の生活化である。平和にこういう生活が許されるようにならねば何が文明であるか。
 6日

十反

貴人十反あり。(出世した人物に十の逆さまごとがある。)夜、当に臥すべきに而も飲宴す。早く当に起くべくに而も酔臥す。心、当に逸すべきに而も労す。身、当に労すべきに而も逸す。束脩を吝んで、師に請うて子弟を教ふることをせず、而も大銭を以て声妓を願聘す。

薬餌、病無きに而も服し、病有るも肯て服せず。果蔬、新を尚んで、熟するを待たず。食物、細しきを取り、正味を失ふ。山水、真境を喜ばずして而て図画を喜ぶ。器用、金銭を貴ばずして而て銅磁を貴ぶ。
 7日 うつせみ うつせみは数なき身なり山河のさやけき見つつ道を尋ねな
(大伴家持)
うつせみの世を卒るまで富士の嶺に向へる時の心ともがな(大西祝)
 8日 うつせみ 世の中はただ何となく住むぞ善き心一つをすなほにして(佐藤雪渓)
そっとせよ人の心と井戸の水かきまはしてはすべて泥水(後藤三右衛門所引道歌)
天地のいみじきながめに逢ふ時しわが持つ命かなしかりけり(若山牧水)
 9日 見在の身1.

湿をさけ寒をさけて門を出でず
(避湿違寒不出門)
一冬未だ冠巾を正すを省みず
(一冬未省正冠巾)
月、雪後より皆奇夜なり
(月従雪後皆奇夜)
天、梅のほとりにおいて別春を開く
(天向梅辺開別春)

燭をとって登臨し空しく旧を語り
(秉燭登臨空語旧)

炉を擁して情味・新をおもふなし
(擁炉情味莫懐新)

栄華勢利は人にまけ慣れて
(栄華勢利輸人慣)

かちえたり樽前見在の身
(贏得樽前見在身)

10日 見在の身(前日の解説)2. 何という美しく清く深い味のある詩であろう。石湖は南宋の進士で勝れた田園詩人、
湿気や寒さが厭さに門を出ない。一冬中冠頭巾をきちんとつけるような事をせずにのん気に暮らしている。見慣れた月であるが、雪が積もってからは、来る夜も来る夜も皆奇景だ。梅花咲く処また別趣の春を覚える。手燭を取り二階に登り何にもならぬ昔話を繰り返し、炬燵にあたりながら、その情味というものは、今更何の新奇を求めようか。
栄華だの勢利だのとそんなものは人には敵はない、いつも負けてをるのが習慣だ。もうけた物は酒に対する現在この身である。樽前見在の身、ああ誰かこの現在のわが身をしつかり儲けてをるか。財だ名だ位だと熱中して、皆現在の身を失ってをる者ばかりではないか、うつせみは数なき身なり山河のさやけき見つつ道を尋ねな(家持)
11日 茶の湯の道 うつはものは垢つかざるやう日々きよむべし。よその道具の批判せず持伝へしを手入れすべし。掃除は日々たるべし。さはらざらん蜘のゐなど取尽すべからず。釜の湯一ひさしくまば一ひさし半をさすべし。 客に対するも茶をたつるも法にはなれず、またなづまず、ほどをうるを第一とすべし。あしきと思ふ道具のよき所を見、よきとおもふうちにあしき所を見るべし。(うつはものに限らぬ。我という器物もこの通りである。)
12日 窮民 淵源無所養
(
淵源養ふところなく) 
涸渇精興神
(精と神を涸渇す)何必餓道路
(何ぞ必しも道路に飢えて)
然後曰窮民
(然る後窮民といはん)
大正の奇骨ある学者であった石田東陵作、毎日無数の人間が忙しく立ち働いているが、人間の真の淵源を何ら養ふことなく、精神の涸渇した窮民、心窮者の群が何と多いことであろう。
13日

朝の心1.

朝顔に恥ぢて起きけり 日の匂ひ (雲魚)
朝徹して而る後能く見獨す(荘子)
黎明即起、醒めて後霑恋するなかれ(曾国藩)
14日 朝の心2. 朝に道を聞く、夕に死する可なり(論語) 古人は朝聞夕改を貴ぶ(晋書)
15日

朝の心3.

万事要する所唯朝のみ。朝こそすべて(英国格言) 明日は、明日は、まあ今日だけは!といつも怠け者はいう(ワイセ18世紀ドイツ作家)
16日

人心の正否1.

群夷競ひ来る。国家の大事とはいへども、深憂とするに足らず。深憂とすべきは人心の正しからざるなり。苟も人心だに正しければ、百死以て国を守る。 其の間勝敗利鈍ありといへども、未だ遽かに国家を失ふに至らず。苟も人心先ず不正ならば、一戦を待たずして国を挙げて夷に従ふに至るべし。然れば今日最も憂ふべきものは、人心の不正なるに非ずや。(講孟余話・吉田松陰)
17日 人心の正否2. 総じて策士俗人の目のつきやすい処は形の上のことである。然し真の志士先覚者はその精神如何を見る。機械兵制は末であり、人心が本である。本立たずして、どうして末の全きものがあろうか。根本たる人心が不正のままにいたならば、如何に法を厳にし制度を整え、為政者が声を涸らして叱呼するも、効果の見るべきものはなかろう。おそるべき憂ふべきは外敵ではない。

ただ我等人々の心の正しからざるこそ深き憂であるのだ。されば松蔭も「獄舎問答」中に「今の務むべきものは、民生を厚うし、民心を正しうし、民をして生を養ひ死に喪して憾みなく、上を親しみ長に死して背くことなからしめんより先なるはないし。是れを務めずして砲と言ひ艦と言ふ。砲艦未だ成らずして、疲弊之に隋ひ、民心是に背く。策是れより失なるはなし」という所以である。

18日 天下の大防1. 天下の大防五あり。一も毫潰すべからざるなり。一たび潰ゆれば、則ち決裂収拾すべからず。
宇内の大防は、上下の名分是のみ。(即ち何を貴び何を抑えるか)、境外の大防は、夷夏の
出入是のみ。
一家の大防は男女の嫌微是のみ。一身の大防は理欲の消長是のみ。万世の大防は、道脈の純雑是のみ。―夷は野蛮国、夏は文明国道義国家のこと。嫌微はどうかなとの怪しみ。
19日 天下の大防2. 国という国の大なる防衛問題は秩序の正しく立つことである。対外関係は野蛮勢力が勝つか、道義文明が勝つかである。一家の持つ持たぬは男女関係に悩みのないことである。わが身のことは良心が克つか、情欲に負けるかである。

永遠の平和を決するのは道理がどれほど能く把持されるか否かである。しかし此処に目をつける火は稀である。天下の命脈は一に道脈の純雑に懸ると知れば。如何なる乱世と雖も、焦躁するを要せぬ。ただ道脈の純粋を保つべく努力すれば宜しいのである。

20日 革命と政治の要訣
法三章
1
沛公諸県の父老豪傑を召して曰く、父老・秦の苛法に苦しむこと久し。誹謗する者は族せられ偶語する者は棄市せらる。 吾諸侯と約す、先ず関に入る者は之に王たらんと。吾当に関中に王たるべし。父老と約す、法三章のみ。人を殺す者は死し、人を傷け、及び盗せば罪に抵さん。余は悉く秦の法を除去せん。
21日

諸吏人皆案堵すること故の如くせよ。凡そ吾来る所以は父老の為に害を除き、侵暴する所有るに非ず。恐るることなかれ。且つ吾軍を覇上に還す所以は、諸侯の至るを待って約束を定めんとするのみと。

乃ち人をして秦の吏と県の郷邑に行きて之を告諭せしむ。秦人大に喜び、争うて牛羊酒食を持ちて軍士に献饗す。沛公又譲りて受けずして曰く、倉粟多く、乏しきに非ず。人に費すを欲せずと。人又益々喜び、唯沛公の秦王とならざるを恐る。
22日 革命と政治の要訣
法三章
2.
革命と政治の要訣はこの一文に尽きると思う。これのわからぬ者は政治を語る資格の無い者である。政治は如何に民情をつかみ簡易化するかである。 注釈。@族は三族の意、父の一族、母の一族、妻の一族、族せらるとは三族残らず罪せられること。A偶語は二人ひそひそ話。B棄は死罪の意、その死骸を市中に棄ててさらす故に棄死という。C案堵は安堵、即ち安心。D献饗、献は献納、饗は饗応。
23日 東洋兵法とソ連1. 兵は詐を以て立ち、利を以て動き、分合を以て変を為す者なり。故に其の疾きこと風の如く、其の徐なること林の如く、侵拐すること火の如く、動かざること山の如く、知り

難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。(孫子)上兵は謀を伐つ。其の次ぎは交を伐つ。其の次ぎは兵を伐つ。其の下は城を攻む。(孫子)

24日

東洋兵法とソ連2.

敵に勝つ者は無形に勝つ。上戦は(とも)に戦うことなし。(六韜・龍の巻) 戦はずして人の兵を屈する者は上なり。百戦百勝する者は中なり。溝を深くし塁を高くして以て自ら守る者は下なり。(唐の太宗・李衛公)
25日 東洋兵法とソ連3 朕・千章万句を観るに、多方以て誤らしむの一句を出でざるのみ。(唐の太宗・李衛公) これは元東洋兵学の根本的原理に当たるものであるが、いかにもこれをそのまま新しく活用しているのがソ連の兵法であると思う。
26日 東洋兵法とソ連4. 六韜(りくとう)の武の巻には又、。「文伐」ということを説いて、つまり武力によらず平和的手段で相手国を伐つこと、平和攻略であるが、それを完全にやつてのけて後に武事をなすと教えている。 これもソ連のお得意である。東洋兵法はソ連に行はれ、日本人はその兵法を解しない、危いかな。
(既に日本はその火中にある、中国もしている、気づかぬ平和呆け)
27日 多数と公論1. 晋・楚の難に晋の将皆戦はんと欲す。三卿之を不可とす。総帥・(らん)武子これに従ふ。或る人曰く、子(なん)
衆に従はざる。子は大政たり。将に民に()まんとする者なり。
子の佐十一人、その戦を欲せざる者は三人のみ。戦はんと欲する者(おほ)しと()うべし。武子曰く、善ひとしければ衆に従う。それ善は衆の主なり。三卿は主なり。衆しと謂うべし。之に従ふ、亦可ならずや。
(左伝)
28日 多数と公論2. 多数決といふことを多くの人は一律に考えているが、こういう考え方もあるのである。シナ春秋時代、北方の大国たる晋と、南方の勢力たる楚国との関係が悪化した時、諸将は皆主戦論であったが、三人の要人が之に反対した。総帥は後者の意見に賛同した。或る人が、あなたはどうして多数に従わないのですか。あなたは国家の総統であり、多数の意見を斟酌すべしものです。あなたの補佐役十一人、その中戦争反対は三人に過ぎません。主戦派の方が多いでは ありませんかと詰問した。 すると彼は、意見ま善さが同等なれば多い方に従う。意見の善いということが多数というものの主である。多数をよく活かすものである。悪ければその多数が誤られてしまう。三人の意見は善い。これこそ真の多数である。これに従うのが可いではないか。衆愚ということがある。寄って集って皆を台無しにしてしまうものである。それは皆をゼロにしてしまうものである。表面は少数でも、善者は真の多数である。これが分からぬところに民主主義の愚劣と悲劇がある。