万葉集 地域別C

平成18年2月

 1日

龍田彦

わが行は 七日は過ぎじ 龍田彦 ゆめ此の花を 風にな散らし

高橋虫麻呂 巻9-1748
三郷町立野の滝田本宮、私の旅は七日とかかるまい、龍田の神よ決してこの花を風に散らさないで下さい。

 2日 小鞍の嶺 白雲の 龍田の山の 滝の上の 小鞍の嶺に 咲きををる 桜の花は 山高み 風し止まねば 春雨の 継ぎてと降れば ()つ枝は 散り過ぎにけり 下枝に 残れる花は 須叟(しましく)は 散りな乱れそ 草枕 旅行く君が 還り来るまで 高橋虫麻呂 巻9-1747

峠付近は桃林が多い、小鞍の嶺は大崩壊が昭和
6年にあったという。山風・春雨に秀つ枝・下枝のこまかな変化を描いている。
 3日 額田王 鏡王の子というだけで、出生は不明、斉明朝から天智朝、さらに壬申の乱にかけて激動する政治情勢に中で、中心人物の天智天皇と大海人皇子(天武天皇)の兄弟愛恋に身をゆだねる悲劇的な運命の人、万葉貴族和歌の先駆者。 大海人皇子との間に十市皇女を産む。やがて天智天皇の後宮に入る。激しい、情熱的、律動的な歌をものしている。
 4日 柿本人麻呂

生没や閲歴の不明な人、島根県の石見で没。量、質とも優れた歌人。

類稀な浪漫的情熱が奔流のように歌われた。万葉集の代表歌人。
 5日 高市黒人 閲歴も不明の人、旅の歌が多い。清澄孤愁の心情、律動美が見られるという。 人麻呂と同様、藤原京期に宮廷に仕えた人。
 6日 草香の直越

直越の この道にして おしてるや 難波の海と 名づけけらしも

神社(かみこその)(おゆ)麻呂(まろ) 巻6-977
万葉時代の生駒山越えは険しい山路、草香山は生駒山の西一帯、平岡市。おしてるは、やは感動、成る程押し照るとはよく言ったものである。遠く光る難波の海を望見した感動。
 7日 河内(かふち)の大橋 河内(かふち)の大橋を独り()娘子(をとめ)を見る歌
(しな)照る 片足羽川(かたしはがわ)の さ丹塗(にぬり)の 大橋の上ゆ 紅の 赤裳裾引き 山藍もち 摺れる(きぬ)着て ただ人独り い渡らす()は 若草の (つま)があるらむ 橿の実の 独りか寝らむ 問はまくの 欲しき我妹(わぎも)が 家の知らなく

反歌
大橋の 
(つめ)に家あらば うらがなしく 独り行く児に 宿貸さましを

高橋虫麻呂 巻9-17429-1743

うれいありげな魅力ある女人にしたてあげて、大橋のたもとに家があれば貸そうものと、耽美と陶酔。
 8日

河内の飛鳥川

明日香川 黄葉(もみぢば)流る 葛城(かづらぎ)の 山の木の葉は 今し散るらし 作者未詳 巻10-2210
大和の飛鳥でなく河内の飛鳥である。二上山一帯で、
(ちかつ)飛鳥(あすか)と記紀にあり、羽曳野飛鳥の名が残る。二上山は葛城の二上山(ふたかみやま)と言われる。
 9日 住吉の大神 天平五年、入唐使に贈る歌

そらみつ 大和の国 あをによし 平城(なら)の都ゆ 押し照る難波に下り 住吉(すみのえ)御津(みつ)に 船乗り (ただ)(わた) り 日の入る国に 遣はさる わが背の君を 懸けまくの ゆゆしき畏き 住吉の わが大御神 船の()に (うしは)(いま)し 船艫(ふなども)に ()立いまして さし寄らむ 磯の崎崎 漕ぎ()てむ (とまり)(とまり)に 荒き風 波に遇はせず 平けく ()て帰りませ (もと)国家(みかど)

作者未詳 巻19-4245

住吉は当時、スミノエと呼ばれた。古来より海上を支配する神、祭神は三海神と神功皇后。御津は湊。

祈りは命を懸けての航海、切実感がみなぎり、緊張感は現代にも伝わる。
10日 あられ松原 あられ打つ 安良礼(あられ)松原 住吉の 弟日娘(おとひをとめ)と 見れど飽かぬかも 長皇子(ながのみこ) 巻1-65
疎々
(あらあら)
松原が地名化した、松原にあられのばしばしとと降る壮観を、愛する人女人と共に見る賛歌と陶酔の心が同音の繰り返しで一層強められた。
11日 高師の浜 大伴の 高師の浜の 松が根を 枕き()れど 家し偲はゆ 置始東人(おきそめのあづまひと) 巻1-66
若い時の高師浜
(浜寺公園)は大阪では珍しい白砂青松の海浜、この地帯は大伴の所領、旅愁、望郷の風情。
12日

取石(とろし)の池

妹が手を 取石の池の 浪の間ゆ 鳥が音異(ねけ)に鳴く 秋過ぎぬらし

作者未詳 巻10-2166
信太の近く、戦時中に埋め立てられた。大池だから水鳥も多く、小波の荒涼とした日、鳥の音のいつもと違っているのに気づき季節の推移を感じる心情。

13日 吹飯(ふけひ)の浜 時つ風 吹飯の浜に 出で居つつ (あか)ふ命は妹が為こそ 作者未詳 巻12-3201
()日浦(けうら)
は、大阪府泉南郡岬町、贖うは、浜辺でみそぎをして長命を祈った、それはすべてあなたの為だと訴える。
14日 まつちの山川 白栲(しろたえ)に にほふ信士(まつち)の 山川に わが馬なづむ 家恋ふらしも 作者未詳 巻7-1192
紀和国境の峠の山としての「まつち山」、国境なればこそ、別離、望郷、妻恋の抒情の契機が生れる。古老の言う、神代の昔からの渡り場、馬の行き悩む最中に家人を思うのであろう。
15日 妹の山・背の山 吾妹子(わぎもこ)に わが恋ひ行けば (とも)しくも 並び()るかも 妹と背の山 作者未詳 巻7-1210
葛城町の背の山、西渋田の妹の山、妹背の二つの山は旅人の目安山。旅人の旅愁をそそる仲良く並ぶ山、羨ましくなるのであろう。
16日 玉津島・わかの浦 やすみしし わが大君(おおきみ)の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雑賀野(さひかの)ゆ 背向(そがひ)に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白浪騒ぎ 潮()れば 玉藻刈りつつ 神代より (しか)(とふと)き 玉津島山 神亀元年甲子冬十月五日、紀伊国(きのくに)(いでま)しし時に、山部の宿弥(すくね)赤人の作る歌  巻6-917

旧和歌の浦、入り江を見下ろして紀三井寺のある名草山も望見、好風に吐息も出る風景であったろう。わが大君の永遠の御所としてと帝威の賛美、自然賛美、行幸に随行した赤人の心情。
17日 玉津島・わかの浦

反歌二首
沖つ島 荒磯(ありそ)の玉藻 潮干満ちて 隠ろひゆかば  思ほえむかも 

わかの浦に 潮満ち来れば (かた)を無み 葦辺をさして (たづ)鳴き渡る

6-918

海潮は吹く風と白波に送られて湾内に行き渡り満潮時の様相、時に鶴の鳴き渡る点景を見る。絵のような歌。
18日 黒牛潟 黒牛潟(くろうしがた) 潮干の浦を 紅の 玉藻裾引き 行くは()が妻 作者未詳 巻9-1672
黒江湾の称が浅瀬の黒牛潟、黒牛の幽暗な感じの浜の潮干に、宮廷婦人たちの眼が覚めるような紅の裳裾であろうか。
19日 藤白のみ坂 藤白の み坂を越ゆと 白栲(しろたえ)の わが衣手は 濡れにけるかも 作者未詳 巻9-1675
熊野古道の藤白王子、海南市、有間皇子が絞殺された藤白坂。悲しい終焉の地に近く黒江湾から和歌浦にかけて絶景が見られる峠道。
20日 大崎 大崎の 神の小浜は (せば)けども 百船人(ももふなびと)も 過ぐといはなくに

石上(いそのかみ)乙麻呂(おとまろ) 巻6-1023
下津湾口、神のいます小浜というに相応しい、リアス式海湾、宮中の恋愛事件で土佐に流され、ここで船出した。

21日 絲鹿の山 足代(あて)過ぎて 絲鹿の山の 桜花 散らずあらなむ 還り来るまで 作者未詳 巻7-1212
糸我町、糸我神社の横から峠道、有田郡は元々足代と言われた。山を越えると湯浅湾。
22日 由良の崎 妹がため 玉を拾ふと 紀の国の 由良のみ崎に この日暮しつ 藤原(まへつきみ) 巻7-1220湯浅から熊野古道は鹿が瀬峠の難路、白馬山脈を越え御坊市に出る。海沿いの湾口の蟻島や海の色も紀北と違う。自生の浜木綿も見られる、美しい貝や石を拾う都人か。
23日 白崎 白崎は (さき)く在り待て 大船に 真楫繁(まかぢしじ)()き またかへり見む 作者未詳 巻9-1668
白亜の岬に「幸く在り得て」いつまでも変わらずに待っていてくれ、と呼びかけ、大船に艪を一杯つけて又来て見るから
!と驚異であろう。
24日 日の岬三穂の浦 風早の 三穂の浦廻(うらみ)を 漕ぐ舟の 船人さわく 浪立つらしも

作者未詳 巻7-1228
美浜町三尾の海浜、西風の強い所、海の荒れを感じて立ち騒ぐ船人の様子、律動の中の不安感。

25日 三穂の石堂 はだ(すすき) 久米の若子(わくご)が いましける 三穂の石堂(いはや)は 見れど飽かぬかも 博通法師 巻3-307
美浜町の崖際の小さな社、後磯と言う岩石の浜に久米の穴が三穂の石堂である。
26日 野島 わが()りし 野島は見せつ 底深き 阿胡根(あごね)の浦の 珠ぞ拾はぬ 中皇子(なかつすめらみこと) 巻1-12
御坊市野島、海蝕崖に隆起した岩礁に白波が砕け、紺碧のの曲浦。見たいと思っていた野島は見せて下さったけど、底深い阿胡根の浦の珠はまだ拾っていませんよ。女帝斉明天皇作といわれる。
27日

磐代(いはしろ)

有間皇子、自ら傷みて松が枝を結ぶ歌二首
磐代の 浜松が
()を 引き結び 真幸(まさき)くあらば また(かへ)り見む

家にあれば ()に盛る(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

有間皇子 巻2-141142

捕われの身てこの地を過ぎる有間皇子、「真幸くあらば」もし無事であるならばと、切実な響き、悲劇に厳粛な心魂を感じる。
28日 結び松の碑 山上(やまのうえの)臣憶良(おみおくら)、追ひて(こた)ふる歌一首

鳥翔成(つばさなす) あり(がよ)ひつつ 見らめども 人こそ知らね 松は知るらむ

山上憶良 巻2-145

有間皇子の亡魂は空を飛んでいつも通い続けてこの松を見ているであろうけど、それは人には分からなくても松はよく知っているであろう。深い追慕の心。