人間学事典「十八史略」@
中国の神話時代から南宋―13世紀までの歴史の概説書である。名言、名場面を多数取り入れ大きく流れが得られる。江戸時代以来、人間学事典として広く読まれてきた。編者は13―14世紀の曾先之である。中国王朝の概観を知らねば理解が得られぬ。平成17年2月1日 徳永圀典
1日 |
王朝のあらまし |
西暦紀元前20−前16世紀 |
治水の聖人、禹−うーが創始、 |
2日 | 殷(商)―いん | 西暦紀元前16−前11世紀 |
湯王から淫虐の暴君まで31代五百年、考古学的に立証された中国最古の王朝。数百の氏族の連合体盟主。 |
3日 | 西周 | 西暦紀元前11世紀―前771年 |
武王から幽王の12代三百年、西からの異民族侵入で王は殺され都を洛陽に移した。 |
4日 | 東周 |
西暦紀元前770年―前256年 |
平王から25代、秦に滅されるまで続くが、諸侯の力が強く周には統制力が無く春秋時代、戦国時代と呼称される。 |
5日 | 春秋時代 | 前770年―前475年 |
百数十の諸侯国が対立抗争続ける。魯国の年代記「春秋」から取った呼称。 |
6日 | 戦国時代 | 前476年―前222年 |
鉄器の発達により農業が発展、諸侯の兼任、合併が進み7つの強国が生き残る。 |
7日 | 秦―しん | 前221年―前207年 |
始皇帝が天下統一に成功、郡県制による大帝国を作り上げる。だが死後忽ち崩壊した。 |
8日 | 前漢―ぜんかん | 前206年―8年 |
高祖から12代2百年余り続く。武帝は強力な体制で南北に大遠征し大帝国を築く。 |
9日 | 新 |
西暦9年―23年 |
外戚の王莽が位を奪い、革新政策を強行するがあえ無く滅亡。 |
10日 | 後漢(東漢) |
西暦25年―220年 |
光武帝が東遷し復活した漢帝国は13代2百年続く。末期は宦官・外戚の抗争に明け暮れ農民蜂起が発生。 |
11日 | 三国時代 | 西暦220年―263年 |
後漢末の混乱で群雄が割拠し、魏、蜀、呉の三国の鼎立が始る。やがて魏が蜀を滅ぼすが、その魏は重臣に乗っ取られて西晋となる。 |
12日 | 西晋 | 西暦265年―316年 |
4代半世紀続くが匈奴に滅ぼされる。 |
13日 | 東晋 | 西暦317年―420年 |
11代、百年続く。北部ではトルコ族、チベット族、ツングース族など16の国々が興亡を繰り返し、やがて北魏に統一された。 |
14日 | 南北朝時代 | 南朝は420年―589年。 |
宋、斉、梁、陳の短命政権の興亡があった。北朝は386年―581年。北魏が150年続いた後、東魏―北斉、西魏―北周に分かれた。 |
15日 | 隋 | 581年―618年 |
300年近い分裂を終わらせて天下を統一、内外に活発な動きをしたが短命。 |
16日 | 唐 | 618年―907年 |
高祖、李淵から哀宗まで20代、途中、則天武后が奪権して「周」を樹立する中断があったが、通算して300年続は、首都長安は世界的文化都市となる。 |
17日 | 五代十国 |
五代は907年から960年、十国は902年から979年。 |
唐による統一の後、再び分裂時代となる。中央では五代にわたる短命政権が興亡を繰り返し、周辺では、十国が割拠した。 |
18日 | 北宋 | 960年―1127年 |
太祖から9代167年、北方の「金」に滅ぼされた。 |
19日 | 南宋 | 1127年―1279年。 |
九代、152年、江南に栄えたが「元」に滅ぼされた。 |
20日 | 三皇五帝 理想の指導者像? |
無為にして化す。 |
作為をもてあそばず自然のうちに人びとを変化させる。強制しない、心から進んで動くようにする。無理に教化しない、自然に感化させる。作り事ではない、あるがままの姿が感動を呼ぶ。 |
21日 |
三皇五帝2. |
その仁は天の如く、その知は神の如く、これに就けば日の如くこれを望めば雲の如し。 |
偏らない愛情、正しく判断する知能、接する者には暖かさ、離れている者にも雨雲のような恵みを与える。 |
22日 | 三皇五帝3. |
男子多ければ懼れ多し。富めば事多し。寿なれば辱−はじー多し。 |
堯帝の言葉、荘子にもある。幸不幸は心がけ次第か。 |
23日 |
夏 |
家門を過ぎて入らず。(夏王―禹) |
公私混同を戒め、仕事に専念する事を称揚した言葉。 |
24日 | 夏王―禹 | 後世必ず酒をもって国を亡ぼす者あらん。 |
夏王朝は実証されていない。酒の美味さに驚いた言葉。 |
25日 |
殷 |
政、節あらざるか。民、職を失えるか。宮室崇−たかーきか。女謁−じょえつー盛んなるか。苞苴―ほうしょー昌んなるか。 |
正しい政治か、働き場を人々に与えたか、自分の住まいだけ贅沢ではないか、後宮の女の言いなりではないか、賄賂が横行していないか、讒言で不当な人事をしていないか。 |
26日 | 殷 殷王・太戊 |
妖は徳に勝たず。君、それ徳を修めよ。 |
妖怪や祟りより、指導者の人格こそ重要。 |
27日 | 周 周・文王 |
吾が争うところは周人の恥ずるところなり。 |
政治の如何により人心は良くも悪くもなるという事を強調した名言。周の治世の良さに隣国は恥じた。 |
28日 | 周 創業の功労者・周公旦 |
それ政簡ならず易ならずんば、民近づくこと能わず。平易にして民を近づくれば、民必ずこれを帰せん。 |
政治は簡単明瞭なのがよい。 |