人間学事典「十八史略」C
平成17年5月

 1日

漢方薬の祖―神農

赭鞭―しゃべんーをもって草木を鞭ち、百草を嘗めて始めて医薬あり。

赤い鞭で草木を叩いてはその汁をなめ、病いをなおす薬を創始した。

 2日

鼓腹撃壌

こふくげきじょう

天下泰平のことを言う。

最高の善政とは支配を感じさせない支配、政治を意識させない政治を表す寓話から出た。

 3日

禅譲

禅譲の始まりは堯帝からであり、出来の悪い自分の子でなく舜に譲った。

帝位継承には、禅譲、世襲、放伐がある。

 4日

肉山脯林
にくざんほりん

−ほーは干し肉、肉を山のように積み上げ帝王・桀の遊興である。

酒池肉林と並ぶ背徳的酒宴。
 5日

酒池肉林・長夜の飲

酒をもって池となし、肉を懸けて林となし、長夜の飲をなす。

帝王・紂王は暴虐淫行の君主。
 6日

炮烙−ほうらくーの刑

太い銅の柱に油塗り、真っ赤におこした炭火の上に横たえる。罪人にその上を歩かせ足を滑らせて火中に落ち、もがきながら焼け死ぬのを待ち見物した。

紂王と姐己の考案した“娯楽”
 7日 鳴かず飛ばず

際立った言動や成果もなく、目立たない存在のこと。

雌伏して満を持して機会を待つ春秋戦国時代の楚に出典ある。
 8日

太公望―たいこうぼう

大公が久しく待望していた人物の意。

中国では、真っ直ぐな釣り針を下ろして自分を認めてくれる人物を待っていたのだと「大公釣魚 願者上鉤」と大公が進んでやるのを待つの意である。

 9日

臥薪嘗胆―がしんしょうたんー

呉王が戦闘中、傷がもとで死亡した。子の夫差は、薪の上で寝起きー臥薪―しその痛みにつけても復讐心を燃やし、父君が越王に殺されたことをお忘れかと言わせた。

夫差は越軍を破り勾践を臣従させた。勾践は自分の寝床に獣の干し胆をつるして嘗めー嘗胆―負けた恥を忘れない。20年後、越は呉を滅ぼし夫差は自決して終わる。目的の為に耐え忍び艱難辛苦することを言う。

10日

孟母三遷

幼にして慈母三遷の教えを被る。

孟子の母が孟子の成長と学問の為に環境をよくしようと転々と転居した話。

11日 宗襄の仁
そうじょうのじん

君子は人を阨−やくーに困しめず。

かけなくてもいい情けを相手にかけ酷い眼にあうことを言う。

12日

菅鮑−かんぽうーの交わり

われを生む者は父母、われを知る者は鮑子なり。

心から理解しあっている交友関係を言う。

13日

刎頚―ふんけいーの交わり

−はーこれを聞き、肉袒して荊―けいーを負い、門に詣−いたりーて罪を謝し、ついに刎頚の交わりをなす。

生死を共にして頸を刎ねられても変わることのない交友関係のこと。
14日

完璧

蘭相如、璧を奉じて往かんと願う。「城入らずんば臣請う、璧を完うして帰らん。

完全無欠のことを完璧というのはこの故事による。

15日 合従連衡

戦国時代の外交政策から出た言葉。複数の勢力が犇めきあっている場合に有効とされる。

合従は従は縦と同じで北から南の国々が結びついた。連衡の衡は横の意味で東西の諸国が結合した。

16日

遠交近攻

遠く交わりて近くを攻む。

遠くの国と同盟して近くの国を攻撃する政策。

17日 雌伏 鳴かず飛ばず。

際立った言動や成果もなく、目立たない存在のこと。雌伏して満を持して機会を待つ、春秋戦国時代の楚に出典ある。

18日 まず隗より始めよ

いま、王必ずや士を致さんと欲せば、まず隗より始めよ。いわんや隗より賢なる者、あに千里を遠しとせんや。

まず自分からやりなさいである。燕の国に出典あり。

19日

皇帝の由来

皇帝という言葉は2200年前の秦の始皇帝が発明した言葉と言われる。始皇帝は「わしの徳は三皇をあわせたものに等しく、功績は五帝にもまさるものだ。これを総合して皇帝としよう」と言った。

太古の伝説ある聖王で、天皇、地皇、人皇を三皇と言い、その後の黄帝、ぎょく帝、帝こく、尭帝、舜帝を五帝という。この皇と帝を合成した言葉。

20日

焚書坑儒

始皇帝が天下統一後8年、宰相李斯が過去を引き合いにさせない為に秦の記録・書物一切を焼却させた。これが焚書である。

翌年、始皇帝は妖言の罪で学者を調べたが他人を非難するばかりで始皇帝は立腹し有罪464人ほ生き埋めの刑に処した、これが坑儒である。

21日

韓信の股くぐり

韓信は劉邦の武将として項羽を倒した最大の功労者、不遇の若い時、無頼の者が、偉そうに剣をブラブラしているが、やれるんなら刺してみろ、できなければ股を潜れという。

韓信は睨んでいたが、やがい這い蹲り股を潜った。後、侮辱したこの無頼者を中尉に取り立てて、こいつの御蔭で今日があると言った。

22日

国士無双

諸将は得やすきのみ。信は国士無双なり。

韓信にまつわる話。韓信こそ、国を背負う人士であり、ふたりとない人材―国士無双です。劉邦に進言し大将軍に任命した。

23日

背水の陣

万人をしてまず水を背にして陣せしむ。

逃げ道のない状態に身を置き死にもの狂いで頑張ること。韓信の作戦から有名になった言葉。

24日 四面楚歌

項羽、夜、漢の軍四面みな楚歌するを聞き、大いに驚きて曰く「漢みなすでに楚を得たるか。なんぞ楚人の多きや」

回りから非難を浴び孤立している状態であるが悲運の英雄のつぶやきである。

25日

曲学阿世

公孫子、正学を努めてもって言え。学を曲げ、もって世に阿―おもーねるなかれ。

時流に媚びて真理を歪曲することである。こうした人物を「曲学阿世の徒」という。

26日

長生きの秘訣

天下あに仙人あらんや、ことごとく妖妄のみ。食を節し薬を服せばやや病を少なくすべきのみ。

この世に仙人などいるものか、みな出鱈目だった。暴飲暴食を慎み、病気になったら薬を飲む。そうすれば、幾らか長生きできるというだけのことだろう。武帝の言葉である。

27日 矍鑠―かくしゃく 矍鑠たるかな、この翁や。

−かくーは驚いて見まわすこと。鑠―しゃくーは強い火で金属を溶かすこと。後漢の将軍馬援の故事による。

28日

糟糠の妻

貧賎の交わりは忘るべからず。糟糠の妻は堂より下さず。

糟はカス、糠はヌカで、苦労を共にした妻の意。後漢、光武帝の時の故事。

29日 虎子 虎穴に入らずんば虎子−こしーを得ず。

虎児とも言う。後漢時代に、匈奴の使者を襲撃し成功した。

30日

水魚の交わり

孤の孔明あるは、なお魚の水あるがごとし。

―孤−が孔明を得たのは魚が水を得たようなものなのだ。諸君も理解して欲しい。劉備と孔明の親密な関係。

31日

破竹の勢い

兵威すでに振るう。例えば竹を破るがごとし。数節の後は、刃を迎えて解く。また手を著くる処なし。

猛烈な勢いのこと。最初の一節か二節を割れば刃を当てるまでもなく自然に割れるさま。