安岡正篤先生「易と人生哲学」平成20年2月 N最終講
平成20年2月
1日 | 結び |
昨年末を以て本講「易と人生哲学」の切りをつけたいと思っておりましたが年を越すこととなりました。今日は結論と申しますか結語と申しますかとにかく結びをつける予定でございます。少し時間が欲しいのでありますが、あやにく別に同人の有志が集まって |
「話を聞きたい」という申し出がありました、ゆっくり皆さんに結論をお話し申しあげる余裕がなくなり不本意ながら一応取りまとめて結びとしなければならなくなりました。 甚だ物足りないのでありますが、さようなことで、一応従来講じて参りました易と人生哲学の結びをつけたいと思います。 |
2日 | 運命という言葉 |
これを要するに易学というものは、結局我々人間の性命とは何であるか、運命とは何か、立命とは何かということの正解であります。この運命という言葉くらいよく普及し、そしてこれ位よく使用せられて、私達の思想と生活に溶け込んでおる理論や概念は他に類がありません。 |
処が、そういう通俗に普及のため、人間というものは、結局運命から逃れることが出来ないのだというような俗論が多くて、割合に運命ということを正しく理解しておる人が少なく、とんでもない誤解や、曲解や、浅解があるということを講義の中で時折指摘しておきました。 |
3日 | 易学は思想学問 |
今日は短時間でありますので、結局易学、その易学も自然易学と人間易学とがあるわけですが、人間易学というものは、人間の運命に関する一番決定的、代表的な思想学問でありまして、この運命というものほど人間に普及してお |
る言葉、概念は類がないのであります。 それが先程触れましたように、思いのほかはっきりしていない、或は混乱し、誤っておる。中でも一番間違い易いのが宿命というものであります。 |
4日 | 宿命観 |
大体運命というと皆が宿命的に考える。何と考えてもどうにもならない必然的な作用、これが運命であるという宿命論。 |
運命観の中の宿命観に囚われたり、空しく堕しておる者が非常に多いのであります。それでは運命ではありません。 |
5日 | 立命と義命 |
運は動くという文字であり、めぐるという文字でありますから、宿命観では運命にならない。運命はどこまでも自ら立てていく、自然の法則に従って自ら造っていく、つまり立命でなければなりません。運命観を宿命観に陥れないで、よく運命の中に含まれておる思想的、実践的な意義即ちこれが義命で |
これが義命でありますが、この義命を明らかにして、常に自分が主体となって運命を打開していく。これが本当の立命というもので、運命観というものは、宿命観を脱して義命を明らかにし、常に新しく立命していく、これが本当の意義であります。それが案外理解されず、兎角運命観は、宿命観になってしまい、運命、運命と言いながら、本当の運命を分からない人が多いのであります。 |
6日 | 運命と立命 |
そういう「運命を立命」にする一番典型的な原理、原則が易学でありますから易学を修めるということは、要するに人間が自分の運命を知って、常に新しく立命していく、言いかえれば改命していく、 |
自分の運命を創造―クリエート createしていく、自然の造化に対していうならば、レクリエート recreate していく、人間がこれを継承して維新開発していく、これが本当の易学であります。 |
7日 | 維新・日新の学問 |
つまり易学とは、運命に関する宿命観を打破して、常に新たな立命観に立って、これを行じていくということが、骨子でありまして、これを誤るととんでもない俗易になったり、或は危険な偽易になるわけであります。 |
易学とは常に新たに自分の運命を造っていく、或は開発していく学問であるということを、徹底して身につける、これが一番大事なことでありまして、宿命観というものではないのであり、その宿命観のどこが悪いのか、その点を改めて常に日新、あるいは維新する自覚と努力、これを身につけて実践していくのが易学であります。 |
8日 | 易の根本精神 |
六十四卦の一番根本である乾の卦の大象に「天行健なり、君子自彊して息まず」とありますが、これが一言にして最もよく言い尽くしておる易の結論であります。 |
倦怠に陥ったり、否定的になったり、停頓したりというのは、これは易学ではなく、常に新たに、実践、研究、解明して、自然が春夏秋冬滞りなく造化を営むように我々はその生涯を常に新たに創造していく、これが易学の根本精神であります。 |
9日 | 本当の易 |
従って、人生の色んな艱難辛苦に遭えば遭う程、これに捉えられたり、負けたりせず、常にこれを転化して自然が四季折々の風光をつくっていくように、私達人生を常に新しく展開していくということでなければなりません。これが本当の易であります。 そこでこの本質を原則的に申しますと、世の中に広く行われておる宿命というものを |
打破し、あるいは打成して、維新の精神、維新の努力によって人生をつくっていくのが易学でありますから、決して宿命を尋ねる学問ではありません。従って易を学ぶということは、窮するところ、極まるところのない、日進月歩の生活を打開していくことでありますから、人間世界にこれ程、意義の深い且つ楽しいものはないというのが一番大切な易を学ぶ意義の骨子であります。 |
10日 | トインビー |
心ある人々がよく知っております実例の一つは、既に序説の冒頭に触れましたが、トインビーという人は、「歴史の研究」という著書で世界的に有名になりました。 |
この書物は日本でも翻訳されておりますが、これによりますと、世界の歴史というものは二十幾つもの文明が興っては滅び、興っては滅び、同じ轍を繰り返して現在に及んでをる。 |
11日 | 文明の滅亡 |
どうして、大変栄えた文明がはかなく滅んでいったのか、今後自分達のヨーロッパ文明というものも、過去の歴史の轍をふんで、滅ぶのであろうか。 |
もしそうだとすれば、人生も文明も余りにもはかない、何とか従来の歴史の法則を打破した、或は解脱した本当の文明、永遠の文明というものはつくれないものだろうかと、非常に煩悶してあの大著をつくったのであります。 |
12日 | シュペングラーの西洋の没落 |
このトインビーと対比された人に、前大戦に当ってシュペングラーという人が現われ「西洋の没落」という名高い書を著し、ヨーロッパ文明に暮鐘夕暮れの鐘をついたと言われております。 |
この人についても冒頭に触れましたが、やはり文明というものを色々探求した結果、どの文明も滅んでおる。今、我々が誇っておるヨーロッパ近代文明も要するに暮鐘であると、「沈みゆく黄昏の国―西洋の没落」とい著を出して世界を風靡しました。 |
13日 | 易学がトインビーの活眼を開く |
この書がトインビーを感奮させたのであります。彼は「そうではないのだ、文明は自覚と努力によって救われるのだ」ということを明らかにしたいという願い、 |
文字通り悲願を立てて「歴史の研究」という大著を著しました。この時、トインビーの活眼を開かせ、希望と信念を与えたのが、この東洋の易学でありました。 |
14日 | トインビーと易学 |
易を知るに及んで、トインビーは、人類の歴史は過去二十幾つの文明の没落史であるという、暮鐘の悲哀から解脱したというのであります。 |
易の説くところは、人生と自然にゆきづまりというものはなく、永遠の創造―クリエーションであるということであります。 |
15日 | 易学をまなぶとは |
易学を学ぶということは、我々の存在、生活、そして人生を日々新たにしていく、即ち維新してゆくということでありまして、よくこれを学べば、我々は精神的にゆき詰るということはありません。 |
そして興味津々と申しますか、学べば学ぶ程楽しいものはありますが、入門が大変難しい。つまり正しく入り進んでいくということが案外難しく、兎角通俗易学になる。どうすれば吉だ、凶だというようなことから始まって俗易というものに出しやすい。 |
16日 | 卜占と本当の易学 |
俗間に普及しておる色々の思想学問の中で、最も民衆に普及し、親しまれておるものは易であります。また暦というものと易は、占いというものと結んでおりまして、この卜占、 |
易占というものが昔から普及しておりますのは要するに本当に自覚と信念を持って生きておる人々が意外に少なく、みんな自分の人生、自分の存在というものをはっきりしない実にあやふやである。 |
17日 | 本当の易学 |
日常生活に追われて、うかうか暮らしておる間はまだよいが、何かに直面して「はて」と考えるようになると、分からなくなり、心もとなくなる。そこから色々と思想的に混迷し生活が混乱するものですから病気になったり、甚だしきに至っては自決、自殺したりするような結果になる。 |
或は世俗の生活がいやになって、一切の俗縁を捨てて出家遁世する等、色々のことが昔から行われてきたわけでありまして、正しく易を学べば非常に大きな広い視野をもって日新の生活と、人格を作り上げていくことができる。それが本当の易学でありますが、これが中々難しい。 |
18日 | 易は無限の学問 |
そこで易を学ぶということは我々の人生に徹することであり自分というものに徹することであります。人生とは造化の一部分でありますから、自然と人生の本当の意義を把握して、自分の存在、自分の |
生活を維新のものにしていくことである。真実の易学が分かるようになれば、それこそ、これ位楽しい学問、これ位無限の学問は他にないと申して宜しいのであります。 |
19日 | 易は究極的なもの |
古来、易学が人間の究極的なものと言われる所以は、そこにあるわけであります。 |
それだけに難しい、民間に普及しておるような安易な、或は低級なものから食いつきますと、中々無視できず、兎角迷信だとか、とんでもない思想に支配される。 |
20日 | 正しい意味の易学を |
そこで正しい意味の易学入門は、まず易経をよく読まなければなりません。正しく読まなければなりません。 |
その手ほどきとして、これまで回を重ねて易を講じてきたのであります。そしてその結論を改めてと言いますか、重ねてと申しますか、特に力説しておきたいと思うのであります。 |
21日 | 迷信に惑わされない |
易を学んで宿命観に陥り「俺はこういう月日のもとに生まれて、こういう悪い星を持っておるからどうにもならん」というような観念、思想を持 |
つことは、これはもう易ではなく、とんでもない迷信であります。このように易の名のもとに迷信を抱いておる人間が実に多い。 |
22日 | 丙午 |
既に触れましたが、例えば丙午の年に生まれた男女、ことに女は結婚に恵まれない。そこで丙午の年に女が生まれると、戸籍を誤魔化すということが案外広く行われてきた。 |
これなど、とんでもないことでありまして、丙午の年に生まれたからと云って別段運命に決定的関係はない。 |
23日 | 女子の丙午 |
強いて申しますと、丙午の日に生まれた男女、特に女子は配偶、即ち結婚に際して故障があり易い。 |
それも絶対的ではなく、統計的にそういう傾向がある。 |
24日 |
易の誤解・俗解 |
それが暦が普及すると共に、世俗に伝わって、面白いと言っては語弊がありますが、男女関係、結婚問題でありますから人の注意をひきやすく、生日がいつの間にか生年に応用され、丙午の日が、丙午の |
年に生まれた男女に変えられたもので、特に丙午の年に生まれた女は大変迷惑なことであります。このようにことが案外広く行われております。誤解・俗解というものは困ったものであります。 |
25日 | 深遠な学問 |
易というものは、あらゆる学問の中でこれ位人間的、実践的、社会的に面白く、且つ深遠であるという学問は一寸他に例が無いのでありますが |
それだけに、これを浅薄に解釈したり、誤って解釈したりして、世に普及し、弊害を多く出しておる学問も又一寸類がない。 |
26日 | 大事な易学精義 |
そこで易の解釈、易学の知識というものは、余程積みまぜんと非常に弊害の多いものであります。易学を正しく解する易学精義というものは非常に大切で、これを正しく学 |
びますと世間の色んな思想や理論或は哲学等の到底企て及ぶことの出来ない人生に実践的な思想・信念、それから決意・行動といったようなものの力になり、これ程有益・有効なものはありません。 |
27日 | 正しい易学で義命を知る |
正しい易学をやりますと、正しい義命がわかれますから、それに従って日進月歩の立命をしていくことがてでき、 |
運命というものを正しく発達させていくことができるのであります。それには易の根本義を正しく理解しなければなりません。 |
28日 | 終わりに |
そういう意味において、易の一番大切と思われる骨子と常識、即ち基本知識をお話して参りました。これで始めにお約束した通り十回を終わります。 |
いずれ一冊の書物として上梓される予定と承っておりますので、改めて皆さんがそれを将来座右におかれ勉強されますと、易学はやればやる程、興味が深くなり、大変有益でありますから、長く皆さんのお役に立つことと存じます。 |
29日 | 予告 | 昨年一月から、毎日欠かさず本講を続けてきた。これにて一応、その時の安岡正篤先生の講義は完了する。 | 私の「人生」にただならぬものを与えた講義だけに毎日が新鮮であった。味わい深いものがある。 3月からは「易の根本思想」という更に深いものに挑戦する。 |