佐藤一斎「言志晩録」その五 岫雲斎補注 

       平成25年2月1日--281日

2月1日 101.          
覇者と王者
「努めて英雄の心を()る」とは、覇者之を(もち)う。
「天下の従う所を以て、親戚の(そむ)く所を攻む」とは、王者之を(もち)う。
 

岫雲斎
「可能な限り英雄豪傑の心を持つ」とは、武力を以て天下を治めんとする者の心得である。「天下万民の従う所を基とし、親戚の者でもこれに背けば攻める」とは、徳を以て治めようとする者の活用することである。 

2日 102.          
武王の心事
前徒(ほこ)(さかしま)にし、後を攻めて以て()
武王の心、此の時果して何如(いかん)。以て怪と為すか。
蓋し亦(そく)(ぜん)として痛み、或は()ずる有らん。
 

岫雲斎
周の武王が殷の紂王を伐った時、紂王は迎撃せんとしたが、紂軍の前軍は、戈を倒にして味方を撃ってきた為に紂軍は敗北した。この時、武王の気持ちはどうであったか。快哉を叫んだか。思うに、これを痛ましく慨嘆しまたは紂王の臣をして、これに叛かしめた事を恥ずかしく思わなかったのか思ったであろう。 

3日 103.          
彼を知るは易く、己を知るは難し
彼を知り己を知れば、百戦百勝す。彼を知るは、難きに似て易く、己を知るは、易きに似て難し。 

岫雲斎
孫子の言葉「敵情を知り、味方の情勢をよく知れば百戦百勝す。敵情を知ることは難しそうで難しくない。だが味方の情勢は容易なようで実は困難である。

4日 104.          
兵家の虚と実
敵、背後に在るは、兵家の忌む所、実を避けて虚を撃つは、兵家の好む所、地利の得失、防御の形勢、宜しく此れを以って察を致すべし。 

岫雲斎
背後に敵がいることは戦う者にとり嫌なことである。敵の準備の充実している場所を避け、備えの無い所を突くのは兵家の好むものである。地の利の良し悪し、防御の形勢など色々の考察が必要である。

5日 105.          
人心を頼むべし
器械を頼むこと勿れ。当に人心を頼むべし。
衆寡(しゅうか)を問うこと勿れ。当に師律を問うべし。
 

岫雲斎
戦いには武器を頼りとするな、人心の和こそ頼りとせよ。軍勢の多さを気にせず、軍律の維持こそ注意しなくてはならぬ。

6日 106.          
江戸の火消し

都城(とじょう)には十隊八方の防火を置く、極めて深慮有り。
蓋し専ら撲滅に在らずして、而も指揮操縦の熟するに在り。
侯家(こうけ)も亦宜しく其の意を体し、騎将(きしょう)をして徒らに其の服を華麗にし、以て観の美を競わしむる(なか)るべし。得たりと為す。
 

岫雲斎
火事の都の江戸には十隊の(じょう)消しを八方に配置しているが、これには深い考えがあるのだ。それは、火事を防御するというだけでなく、戦時に於いて指揮操縦の熟達を狙っているものである。諸大名は、その意のある所を承知して火消しの指揮操縦の服装を徒らに華美にしてその美を競争させないようにすれば誠に結構なことである。

7日 107.          
国初の武士と今の武士
(こく)(しょ)の武士は、上下皆泅泳(しゅうえい)を能くし、調騎(ちょうき)相若(あいひと)し。今は則ち或は(なら)わず。恐らくは欠事たらん。軍馬は宜しく野産を用うべし。古来駿馬は多く野産なり。余は少時好みて野産を馭したりしが、今は則ち老いたり。鞍に拠りて顧眄(こべん)する能わず。歎ず可し。 

岫雲斎
江戸初期の武士は、上下ともみな泳ぎが巧かった。乗馬も同様であった。現今の武士は、水泳は習わないのは欠点である。軍馬は野生の馬がよい。昔から優れた軍馬はみな野生のものである。自分は幼少時代、好んって、馬に乗り、鞍に拠りかかって後を振り向いて威勢を示すことが出来ない、嘆かわしいことである。 

8日 108.          
昔の弓
我が(くに)は、古より弓箭(きゅうせん)に長じ、然も古に於ては、皆(ぼく)(きゅう)にて、即ち謂わゆる(あずさ)(ゆみ)なりき。或は謂う、木弓は騎上(きじょう)最も便なりと。須らく査すべし。 

岫雲斎

わが国は昔から弓術に長じていた。しかも、昔はみな木で作った梓弓である。或る人いう、「木弓は馬上で最も便利だ」と。十分に調べる必要がある。

9日 109.
攻法あれば守法あり

功法有れば、必ず守法有り。大砲を(ふせ)ぐには、聞く、西蛮(せいばん)(たん)牛革(ぎゅうかく)を用い、形、(おく)(だい)なりし。須らく査すべし。 

岫雲斎
攻める方法があれば必ず守る方法もある。西洋では大砲を防ぐのに鍛えた牛の皮を用いるといい、その形は一つの家屋の大きさだという。調べる必要がある。

10日 110.          
江戸期の常備品考
什器中、宜しく(しゅく)遠鏡(えんきょう)を置き、又大小壷盧(ころ)(もたら)すべし。並に有用の物たり。欠く可からず。 

岫雲斎
戦争用の器具では、望遠鏡と、大小のひさご(瓢箪)の準備が必要で、共に欠くべからざるものた。

11日 111.           地道と天道 地道の秘を(ぬす)む者は、以て覇を語る可く、天道の(うん)を極むる者は、以て王を言う可し。 

岫雲斎
人間界の秘密を知る者は覇道を語ることができ、天の道の奥義を知る者は王道を語ることができる。

12日 112.          
事物必ず対あり
天地間の事物必ず対有り。相待って固し。嘉ぐう(かぐう)怨ぐう(えんぐう)を問わず、資益(しえき)(そう)()す。此の理(すべか)らく商思(しょうし)すべし。 

岫雲斎
天地の間のものは必ず相対的なものである。両々相まって物事を堅固に組成している。良い相手も悪い相手もあるが、互いに助け合って相互に益している。この原理をよく考えなくてはならぬ。

13日 113.          
備えあれば患なし
英傑は非常の人物にして、()不世出(ふせいしゅつ)たり。然れども下位に屈して志を得ざれば、則ち其の能を(ほしいまま)にする能わず。幸に地位を()れば、則ち或は遠略を図ること、古今往々に之れ有り。
知らず、当今諸蛮(しょばん)(くん)(ちょう)の人物果して何如(いかん)を。
蓋し(そなえ)有れば(うれい)無し。我れは()だ当に(いましめ)を無事の日に致すべきのみ。
 

岫雲斎
英雄豪傑は非凡の人物で滅多に現れるものではない。然し、このような人物でも低位にいてその志を表せないでいると其の才能を存分に発揮できない。幸いにして立派な地位を得ると、遠大に経略を企図して偉大な業績を成すものである。その事は古今にしばしば見られる。現在、諸外国の君長たちは果してどんな人物か知らぬが、思うに彼等が如何なる人物であろうとも、平素、自己に備えがあれば何らの懸念はいらない。わが国に於いては、ただ無事泰平の時に警戒を怠るべからずである。

14日 114.          
民心を結び金城湯池とせよ
海警(かいけい)は予め(そなえ)ざる可からず。然れども環海(かんかい)の広き、其れ以て尽く防禦を為す()けんや。固く民心を結び以て金城湯池と為すに若くは()し。沿海皆能く是くの如くば、外冦(がいこう)()と為すに足らじ。然らずんば数万の巨熕(きょこう)を設くと雖も、亦以て(こう)(じゅ)に資するに足らん。益無きなり。 

岫雲斎
海辺の警備は予めよく備えをしておかなければならぬ。然し、わが国を取り巻く海は極めて広く、全てに渡り防禦するわけには参らぬ。だから、国民の心を固く結び、国全体を金城鉄壁とするに勝るものはない。沿岸地方が皆そうすれば、外敵は少しも恐れる必要はない。さもなければ、例え数万の大砲を海岸に据えつけても、敵を助けるだけで何の役にも立たぬ。 

15日 115.          
士気を振起(しんき)するの率先のみ
士気振わざれば、則ち防禦固からず。
防禦固からざれば、則ち民心も亦固きこと能わず。
然れども、其の士気を振起するは人主の自ら奮いて以て率先を為すに在り。
復た別法の設く可き無し。
 

岫雲斎
国民の士気が振わなければ国家の防禦を堅固にはできない。防禦が堅固でなくては国民の団結心も堅固にならない。その士気を振い起すのは人の上に立つ君たる人が自ら振起し国民の先頭に立って見本を示すことである。それ以外にの方法は無い。

16日 116.          
海防は民和が先
海防の任に(あた)る者は、民和を得るを以て先と為し、器械は之れに次ぐ。又須らく彼此(ひし)の長短を(くら)べて、以て趨避(すうひ)を為すべし。尤も釁端(きょたん)(ひら)きて以て後患(こうかん)(のこ)すみと()きを要す。

岫雲斎
海岸防備の任に当たる人は、民心の一致和合を先努として防備器械は第二の問題である。敵味方の長短を比較吟味して取捨選択が肝要である。
大切なことは、不和の端緒を作り後顧の憂いを残さぬことである。

17日 117.          
鎖国時代の考え

我が(くに)独立して、異域に仰がざるは、海外の人皆之れを知れり。旧法を確守するの善たるに()かず。功利の人は、事を好む。(みだ)りに聴く可からず。 

岫雲斎
わが国は独立国家で何物も海外に求めないことは外国も知っている。だから昔通りの古い掟を確実に守って行くのは良いことである。功利に走る人は事を好み開国と通商を唱えているが濫りに耳を傾けてはいけない。

18日 118.          
長崎での話
余は往年、()に遊び、崎人(きじん)の話を聞けり。
曰く「漢土には不逞の徒有りて、多く満州に出奔し、満より再び蛮舶(ばんぱく)に投ず。
故に蛮舶中往々漢人有りて、之が耳目たり。
憎む可きの甚だしきなり。今は漢、満一家関門(かんもん)厳ならず。奈何(いかん)ともす可からず」と。
 

岫雲斎
先年長崎に行き長崎人から聞いた話である。「漢の国では悪い者は満州に逃げ出し、満州から西洋の船に乗る。だから西洋の船には時々中国人がいて、西洋人は彼らを水先案内や土地の事情を聞く役に使っている。甚だ憎むべきものだ。今は漢と満州は一家となり、その間の関所が厳重でなく自由に出入できるから、どうすることも出来ない」。聞き捨てならぬ話である。

19日 119.          
勝って驕らず、負けて挫けず

戦伐の道、始に勝つ者は、将卒必ず驕る。
驕る者は怠る。怠る者は或は(つい)(じく)す。
始に忸する者は、将卒必ず憤る。憤る者は励む。
励む者は遂に終に勝つ。
故に主将たる者は、必ずしも一時の勝敗を論ぜずして、只だ能く士気を振励(しんれい)し、義勇を鼓舞し、之をして勝って驕らず、忸して挫けざらしむ。是れを要と為すのみ。

岫雲斎
戦争の常道は、初めに勝った者は大将も兵卒も必ず慢心する。慢心すれば怠ける、怠ける者は終わりには敗北する。反対に初めに負けた者は、大将、兵卒も必ず発憤する。発憤するものは奮励する。奮励すれば遂に最後には勝利を得る。だから一軍を統率する大将は、一時の勝敗にとらわれず、よく士卒の元気を督励し、義に勇む気概を鼓舞し、全軍をして勝っても慢心を起こさず、負けても挫けないように努めなくてはならぬ。これが戦争の要訣である。

20日 120.          
人主の心得べき事項

人主は宜しく敵国外患を以て薬石と為し、法家払士(ほうかひつし)を以て良医と為すべし。
則ち国は治むるに足らず。
 

岫雲斎
人君は外敵の侵入を薬石と思い、法律を守って国を守る臣下と側近の賢臣を良い医者とするのがよい。そうでなくては国は治めることが出来ぬ。

21日 121.          
政治における乗数と除数
賢才を挙ぐれば百僚振い、不能を(あわれ)めば衆人(はげ)むは、乗数なり。
大臣を(そね)めば(ざん)(とく)(おこ)り、親戚を(うと)んずれば物情(そむ)くは、除数なり。
須らく能く機先を慎みて以て来後(らいこう)(おもんばか)るべし。
 

岫雲斎
賢才ある者を重用すれば多くの役人は奮い立ってと努力する。才能無き者を憐憫すれば多くの人々は善行を進んでするようになる。これらは社会を良くする乗数と言える。反対に、大臣を疑い嫉むようなことをすれば、人々を讒言する悪い人間が現れ。親戚の者を疎外すると世間の人々は自分に背くようになる。これらは社会悪化を招く除数と言える。だから上に立つ者は、常に事前対策的に慎重な態度が必要になる。機先を制ししなくてはならない。 

22日 122.          
終りを考えて仕事を始めよ
凡そ、事は功有るに似て功無きこと有り。幣有るに似て幣無きこと有り。(いわ)んや数年を経て効を見るの事に於てをや。宜しく先ず其の終始を熟図して而して()し起すべし。然らずんば、功必ず(まった)からず。或は中ごろに廃して、償う可からざるに至らん。 

岫雲斎
世の中の事は全て、良い成果があると思われても実はそうではないものがある。反対に弊害があるように見えてその実なんらの弊害の無いものもある。まして、数年経過して効果の現れぬものに於いては尚更のことである。だから、事を開始するに当っては、その結末がどうなるかを充分に考えてから着手しなくてはならぬ。さもなくば、その事案は必ず完全に成し遂げられないであろう。どうかすると中途で中止しなくてはならぬ事となり償い得ない損害を招くことらなろう。

23日 123.          
和の一字、治乱を一串す
三軍(さんぐん)和せずんば、以て戦を言い難し。百官和せずんば、以て()を言い難し。書に言う「(つつしみ)を同じゅうし、(うやうや)しきを(かな)えて、和衷(わちゅう)せん(かな)」と。唯だ和の一字、治乱を一串(いっかん)す。 

岫雲斎
全軍が和合しなければ戦争は出来ない。役人全体が和合しなくては良い政治はできない。書経に「同僚が互いに心を合わて協力し、衷心から誠意を以て接し合おう」とある。ただ和の一字が平和の時も国の乱れを直す時にも一貫して大切なのである。

24日 124.          
王安石の失敗に思う
(おう)(けい)(こう)の本意は、其の君を堯舜にするに在り。而れども其の為す所皆功利に在れば、則ち(ぐん)(しょう)()(ねが)い、競うて利を以て進み、遂に一敗して終を保つ能わず。(つい)に亦自ら取る。惜しむ()し。後の輔相(ほしょう)たる者宜しく(かんが)みるべき所なり。 

岫雲斎
王安石の本心は、その君主を堯や舜のような立派な君子にしようとするにあった。然し、その為す所は全て功名利欲にあったので、群小の徒は彼の趣旨を迎えて利得一点張りで進み遂に失敗し終わりをまっとうできなかった。そして遂に自に窮することとなった。実に惜しいことであった。 

25日 125.          
才より量をとる

才有りて量無ければ、物を容るる能わず。量有りて才無ければ、亦事を済さず。両者兼ぬることを得可(うべ)からずんば、寧ろ才を()てて量を取らん。 

岫雲斎
人間は才能があっさても、度量が無ければ、人を包容することができない。度量があっても才能が無ければ、事の成就は期待できない。この才と度量の二つを兼備できないとしたら、いっそ才能を捨てて度量ある人物をとなる。

26日 126
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人の上に立つ人の心得

(しょう)()に居る者は、最も宜しく明通公溥(めいつうこうふ)なるべし。(めい)(つう)ならざれば則ち偏狭(へんきょう)なり。公溥(こうふ)ならざれば則ち執拗なり。 

岫雲斎
大臣の位に居る者は最も天下の事情に精通し、又、事を処するに公明正大でなければならない。明通でなければ一方に偏して狭くなる。公明正大でなければ剛情になる。

27日 127.          
常と変
気運には(じょう)(へん)有り。(じょう)は是れ変の(ぜん)にして痕迹を見ず。故に之を(じょう)と謂う。変は是れ漸の極にして、痕迹を見る。故に之を変と謂う。春秋の如きは是れ常、夏冬は是れ変。其の漸と極とを以てなり。人事の常変も亦気運の常変に係れり。故に変革の時に当れば、天人(ひと)しく変ず。大賢の世に出ずる有れば、必ず又大奸の世に出ずる有り。其の変を以てなり。常漸(じょうぜん)の時は、則ち人に於ても亦大賢奸無し  

岫雲斎
運気には常と変とがある。常は少しづつの変化であるから痕跡を見ない。それで常という。変は少しづつの変化が極に達したもので痕跡があり、それでこれを変という。例えば、春と秋は徐々に変化するので常、夏と冬は変化が極に達するものであり変である。人事に関しても、この気運の常変は同じである。だから大きな変化のある時には天も人も共に変化する。大賢人が世に出ることがあり、また大悪人が出現することもある。これは即ち変である。いつとは無く変化して行く時には、人の世にも大賢も大奸も現れない。

28日 128.          
創業と守成

創業、守成の称は、開国、継世を泛言(はんげん)するのみ。
其の実は則ち創業の中に守成有り、守成の中に創業有り。唯だ能く守成す、是を以て創業す。
唯だ能く創業す。
是を以て守成す。(せい)(とう)()の旧服を継ぎ、(ここ)()(てん)(したが)い、武王の商の(まつりごと)に反し、政、旧に由りしが如きは、是れ創業の守成なり。

成王の政を立て事を立て、畢公(ひつこう)の道に升降(しょうこう)有り、政、俗に由りて(あらた)めしが如きは、則ち之を守成の創業と謂うも可なり。

但だ気運に常変有り。故に人と物と亦之に従う。

岫雲斎
創業と守成とは一般的に開国と世を継ぐことである。その実際を見ると、創業の中に守成あり、守成の中に創業があるのだ。ただよく守成する者がよく創業する。よく創業する者がよく守成すると言えるのである。殷の湯王が夏の桀王を破り、商という王朝を建て、夏のもとの()王の旧領域を継いだが、その制度文物は旧を守り、また周の武王が商の政治に反対して建ちながら制度などは旧に由ったが如きは創業というよりも守成である。これらとは反対に、周の成王は二代目であるが文物制度を改革した、三代目の康王は畢公に命じて洛邑を治せしめた道にも盛衰ありしが結局は民俗に従い政道を革新した如きは守成中の創業である。要するに、気運には常と変とがあるので、人と物は之に従うものである事を知るべきである。