佐藤一斎「言志録」その九 岫雲斎補注
平成24年2月1日から2月9日
1日 | 238.
経書を読む心得四則 その四 |
先儒経解の謬誤、訂正せざるを得ず。但だ須らく已むを得ざるに出ずべし。異を好むの念有る容からず。 |
岫雲斎 |
2日 | 239. 読書の法 |
読書の法は、当に孟子の三言を師とすべし。曰く、意を以て志を逆う。曰く、尽くは書を信ぜず。曰く、人を知り世を論ずと。 |
岫雲斎 |
3日 | 240. 講経の法 |
経を講ずるの法は、簡明なるを要して煩悉なるを要せず。平易なるを要して艱奥なるを要せず。只だ須らく聴者をして大意の分暁するを得しむれば可なり。深意の処に至りては、則ち畢竟口舌の能く尽くす所に非ず。但だ或は子弟の病を受くる処を察識して、間余意に及び、聖賢の口語に替りて、一二箴貶し其れをして省悟する所有らしむるも亦儘好し。夫の口舌を簸弄し縦横に弁博し聴者をして頤を解き疲を忘れしむるが若きは則ち経を講ずる本意に非ず。 |
岫雲斎 経書の講義は簡単明瞭がよい。 |
4日 | 241. 万物は不定にして定まる |
不定にして定まる、之を无妄と謂う。 |
岫雲斎 |
5日 | 242. 全て活き物 |
物固と活なり。事も亦活なり。生固と活なり。死も亦活なり。
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岫雲斎 |
6日 | 243. 人事と天命 三則その一 |
天定の数は、移動する能わず。故に人生往々其の期望する所に負いて、其の期望せざる所に趨く。吾人試に過去の履歴を反顧して知るべし。 |
岫雲斎 |
7日 | 244. 人事と天命 三則その二 |
世に君子有り小人有り。其の迭いに相消長する者は数なり。数の然らざるを得ざる所以の者は即ち理なり。理には測る可きの理有り。測る可からざるの理有り。之を要するに皆一理なり。人は当に測る可からざるの理に於て俟つべし。 |
岫雲斎 |
8日 | 245.
人事と天命 三則その三 |
凡そ事を作すには、当に人を尽くして天に聴すべし。人有り、平生放懶怠惰なり。輒ち人力もて徒らに労すとも益無からむ。数は天来にゆだぬと謂わば則ち事必ず成らじ。蓋し是の人、天之れが魄を奪いて然らしむ。畢竟亦数なり。人有り、平生敬慎勉力なり。乃ち人理は尽くさざる可からず数は天定に俟つ。 |
岫雲斎 凡そ、何事も人事を尽くして天に任すがよい。人あり横着の怠け者である。「幾ら働いても無駄、運命は天に拠る」と云っているのてば何事も成功すまい。天がこの人から魂を奪いそうしているのだ、これも運命と言える。また或人は平生慎み深く勤勉、「人間の務むべき道理は飽くまでも尽くさねばならぬが運命は天の定めを待つ」と云う。この人の仕事は必ず成功する。このような人間に対しては天が心を誘いそうさせているのだこれ亦運命である。 処が人事を尽くしても成功せぬ人がある。 だから、天運が来ると直ちに成功する。 反対に人事を尽くさないで偶然に成功する人もいる。これは道理上では成功しない筈であるが運命が来たのであり、終には失敗することになろう。 要するにみな運命である。成功とか失敗がその人に現れないで子孫に現われることもある。これは「積善の家に余慶あり、積不善の家に余殃あり」と云うことであり天運の然らしむものである。 |
9日 | 246 数理の秘 |
数は一に始まって十に成り、十復た一に帰る。大にして百千万億、小にして分厘毫糸、皆一と十との分合して、以て無窮に至るなり。易は太極よりして起り、四象に至りて数略ぼ具る。其の一二三四の積始めて十を成すを以てなり。十中に就きて、老陽位の一を除けば、則ち九を余す。故に九を老陽の数と為す。十中に就きて小陰位の二を除けば、則ち八を余す。故に八を小陰の数と為す。十中に就きて小陽位の三を除けば、則ち七を余す。故に七を小陽の数と為す。十中に就きて老陰位の四を除けば則ち六を余す。故に六を老陰と為す。又、一より十に至るの積は則ち五十五を成す。之を天地の数と謂う。今試に五指を屈伸して之を数えんに、先ず大指より屈して一と為し、食指を二と為し、中指を三と為し、無名指を四と為し、小指を五と為し、 |
卦位は六虚なり。五にては則ち一足らず。蓍は四十九を用う。五十にては一余り有り、並に未定なり。筮する時に方り、蓍は其の一を虚にす。蓋し其の余り有るを去りて、之を足らざるに帰す。是れ感応の機なり。乃ち蓍の数退きて四十九を成し、卦位進みて六虚を具え、以て六十四を待つ。数是に於て定る。蓍の徳は円にして而して神なり。故に其の七を七にす。卦の徳は方にして以て智なり。故に其の八を八にす。七を用い八を求め、九と六とを得て、以て吉凶悔吝の趨く所を推す。凡そ是れ数理の秘なり。独り易を然りと為すのみならず、万物の数も亦是れに越えず。 岫雲斎 これは易の理を解説し、その原理を掌中の指にて示したものである。易の理による万物化変の過程を「数理の秘」により解明した。これは、修養とか処世に関係は無いものであるが、人間の根底はこの理により動かされていると言う意味で一斎先生は記述されたものであろう。 (平成23年7月7日午前10時岫雲斎80歳3ヶ月) |
佐藤一斎「言志後録」 その一 岫雲斎補注 |
佐藤一斎「言志後録」 その一 岫雲斎補注 |
佐藤一斎「言志後録」 その一 岫雲斎補注 |
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10日 | 1. 学は一生の負担 |
此の学は吾人一生の負担なり。当に斃れて後已むべし。道は固と窮り無く、堯舜の上、善尽くること無し。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自ら其の進む所有るを覚え、孜々として自ら彊め、老の将に至らんとするを知らざりき。仮し其れをして耄を踰え期に至らしめば則ち其の神明不測なること、想うに当に何如なるべきぞ。凡そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。 |
岫雲斎 |
11日 | 2. 自彊不息二則 その一 |
自ら彊めて息まざるは天の道なり。君子の以す所なり。虞舜の孳孳として善を為し大禹の日に孜々せんことを思い、成湯の苟に日に新にする文王の遑暇あらざる周公の坐して以て旦を待てる孔子の憤を発して食を忘るるが如き、皆是れなり。彼の徒らに静養瞑坐を事とするのみなるは、則ち此の学脈と背馳す。 |
岫雲斎 |
12日 | 3. 自彊不息二則その二 |
自彊不息の時候、心地光光明明なり。何の妄念遊思有らん。何の嬰累かい想有らん。 |
岫雲斎 自ら懸命になり励んでいる時、心は光に満ちて明るく、何らの妄念も沸かない。また心に思い煩いも起きない。 |
13日 | 4 儒教の本領 |
孔子の学は、己を修めて以て敬することにより、百姓を安んずることに至るまで、只だ是れ実事実学なり。「四を以て教う、文行忠信」、「雅に言う所は、詩書執礼」にて、必ずしも?ら誦読を事とするのみならざるなり。故に当時の学者は、敏鈍の異なる有りと雖も、各々其の器を成せり。人は皆学ぶ可し。能と不能と無きなり。後世は則ち此の学墜ちて芸の一途に在り。博物にして多識、一過にして誦を成す。芸なり。詞藻縦横に、千言立どころに下る。尤も芸なり。其の芸に墜つるを以てや、故に能と不能と有り。而して学問始めて行儀と離る。人の言に曰く「某の人は学問余り有りて行儀足らず。某の人は行儀余り有りて学問足らず」と。敦れか学問余り有りて行儀足らざる者有らんや。繆言と謂いつ可し。 |
岫雲斎 |
14日 | 5. 内外の工夫 |
凡そ教は外よりして入り工夫は内よりして出づ。内よりして出づるは必ず諸れを外に験し外よりして入るは、当に諸れを内に原ぬべし。 |
岫雲斎 |
15日 | 6. 自重を知るべし |
吾人は須らく自ら重んずることを知るべし。我が性は天爵なり。最も当に貴重すべし。我が身は父母の遺体なり。重んぜざる可からず。威儀は人の観望する所、言語は人の信を取る所なり。亦自重せざるを得んや。 |
岫雲斎 |
16日 | 7. 聖人の態度 |
聖人は、清明躬に在りて気志神の如し。故に人の其の前に到るや竦然として敬を起し、敢て褻慢せず、敢て諂諛せず。信じて之に親み尽く其の情を輸すこと鬼神の前に到りて祈請するが如きと一般なり。人をして情を輸さしめること是の如くならば、天下は治むるに足らじ。 |
岫雲斎 |
17日 | 8. 過去を想起せよ |
人は当に往時に経歴せし事迹を追思すべし。「某の年為しし所、敦れか是れ当否なる、敦れか是れ生熟なる。某の年謀りし所、敦れか是れ穏妥なる、敦れか是れ過差なる」と。此れを以て将来の鑑戒と為さば可なり。然らずして徒爾に汲々営々として、前途を算え、来日を計るとも、亦何の益か之れ有らむ。又尤も当に幼稚の時の事を憶い起すべし。父母鞠育乳哺の恩、顧復懐抱の労、撫摩憫恤の厚き、訓戒督責の切なる、凡そ其の艱苦して我を長養する所以の者、悉く以て之を追思せざる無くんば、則ち今の自ら吾が身を愛し、肯えて自ら軽んぜる所以の者も、亦宜しく至らざる所無かるべし。 |
岫雲斎 人間は過去に経験した事柄を想起すべきである。 |
18日 | 9 心の霊光 |
人の世に処するには、多少の応酬、塵労、閙攘有り。膠々、擾々として起滅すること端無し。因て復た此の計較、揣摩、きん羨、慳吝など、無量の客感妄想を生じぬ。都て是れ習気之れを為すなり。之を魑魅、百怪の昏夜に横行するもの、太陽の一たび出ずるに及べば、則ち遁走して迹を潜むるに譬う。心の霊光は、太陽と明を並ぶ。能く其の霊光に達すれば、即ち習気消滅して、之れが嬰累を為すこと能わず。聖人之を一掃して曰く、「何をか思い何をか慮らん」と。而して其の思は邪無きに帰す。邪無きは即ち霊光の本体なり。 |
岫雲斎 |
19日 | 10 言葉を慎め |
天地の霊妙なるもの、人の言語に如く者莫し。禽獣の如きは徒に声音有りて、僅に意響を通ずるのみ。唯だ人は則ち言語有りて、分明に情意を宣達し、又抒べて以て文辞と為さば、則ち以て之を遠方に伝え、後世に詔ぐ可し。一に何ぞ霊なるや。惟だ是くの如く之れ霊なり。故に其の禍階を構え、釁端を造すも亦言語に在り。譬えば猶お利剣の善く身を護る者は、輒ち復た自ら傷つくるがごとし。慎まざる可けんや。 |
岫雲斎 |
20日 | 11. 人に背く勿れ |
「寧ろ人の我に負くとも、我は人に負く毋らん」とは、固に確言となす。余も亦謂う「人の我に負く時、我れは当に吾れの負くを致す所以を思いて以て自ら反りみ、且つ以て切磋、砥礪の地と為すべし」と。我に於て多少益有り。烏んぞ之を仇視すべけんや。 |
岫雲斎 「人が自分を背いても、自分は人に背かない」と云うことは至言である。自分も言う、「人が背いた時は、自分が背かれるに至った原因を反省して徳を磨く土台にすべきである」と。こうすれば自分にとり大きく得るものがある。だから仇敵視しないことだ。 |
21日 | 12. 教えにも術あり |
誘掖して之を導くは、教の常なり。警戒して之を喩すは、教の時なり。躬行して以て之を率いるは、教の本なり。言わずして之を化するは、教の神なり。抑えて之を揚げ、激して之を進むるは、教の権にして変なるなり。教も亦術多し。 |
岫雲斎 |
22日 | 13. 上役の心得 |
小吏有り。苟も能く心を職掌に尽くさば、長官たる者、宜しく勧奨して之を誘掖すべし。時に不当の見ありと雖も、而れども亦宜しく姑く之を容れて、徐々に諭説すべし。決して之を抑遏す可からず。抑遏せば則ち意阻み気撓みて、後来遂に其の心を尽さじ。 |
岫雲斎 |
23日 | 14. 公務にある者の心得 |
官に居るに好字面四有り。公の字、正の字、清の字、敬の字なり。能く此れを守らば、以て過無かるべし。不好の字面も亦四有り。私の字、邪の字、濁の字、傲の字なり。苟くも之を犯さば、皆禍を取るの道なり。 |
岫雲斎 |
24日 | 15. 急事を急がぬ錯慮 |
凡そ人の宜しく急に做すべき所の者は、急に做すことを肯ぜず、必ずしも急に做さざる可き者は、卻って急に做さんことを要む。皆錯慮なり。斯の学の如きは、即ち当下の事、即ち急務実用の事なり。「謂うこと勿れ、今日学ばずとも来日有り」と。讌を張り客を会し、山に登り湖に泛び、凡そ適意游観する事の如きは、則ち宜しく今日為さずとも猶お来日有りと謂う可くして可なり。 |
岫雲斎 |
25日 | 16 人は自ら累す |
人或は謂う、「外物累を為す」と。愚は則ち謂う、「万物は皆我と同体にして必ずしも累を為さず。蓋し我れ自ら累するなり」と。 |
岫雲斎 |
26日 | 17. 過は不敬に生ず |
過は不敬に生ず。能く敬すれば則ち過自ら寡し、儻し或は過たば則ち宜しく速に之を改むべし。速に之を改むるも亦敬なり。顔子の過を弐びせざる、子路の過を聞くを喜ぶが如きは、敬に非ざる莫きなり。 |
岫雲斎 |
27日 | 18. 一志を立てよ |
閑想客感は、志の立たざるに由る。一志既に立ちなば、百邪退聴せん。之を清泉湧出すれば、旁水の渾入するを得ざるに譬う。 |
岫雲斎 |
28日 |
19. |
心を霊と為す。其の条理の情識に動く。之を欲という。欲に公私有り。情識の条理に通ずるを公と為し、条理の情識に滞るを私と為す。自ら其の通滞を弁ずる者は、即便ち心の霊なり。 |
岫雲斎 |
29日 | 20. 宇宙はわが心 |
宇は是れ対待の易にして、宙は是れ流行の易なり。宇宙は我が心に外ならず。 |
岫雲斎 |