人つくり本義」その六 安岡正篤 講述 「人つくり本義」索引
人づくり入門 小学の読み直し
三樹 一年の計は穀を樹うるに如くはなし。
平成23年2月
2月 1日 | 礼 |
礼とは今日の言葉で言うならば、部分と部分、部分と全体との調和・秩序であります。人間は常に自己として在ると同時に、自己の集まってつくっておる分として、夫々みな秩序が立っておるのでありまして、これを分際と言うのであります。限界であります。これに対し自分の存在を自由という。 |
2月 2日 | 楽 |
人間は自由と同時に分際として存在する。これを統一して自分と言うのであります。従って、自己というものは、自律的統一と共に自律的全体であり、全体的な調和であります。これが礼と言うもので、あらゆる自己がそれぞれ分として、自分として、全体に奉仕してゆく、大和してゆく。それがダイナミックな状態を楽というのであります。 |
2月 3日 | 全体的調和 |
礼と楽とは儒教の最も大切なものの二つであります。全体的調和を維持してゆくには、どうしても各々が自分にならなければならない。自己になってはいけない。自己は私というものであります。 |
2月 4日 |
私という字は禾篇にムと書きますがムは曲がるで米を自分の方に曲げて取ることであります。それをみんなに分けてやるのが公であります。如何に自己を抑えて自分になるか。これが「己れに克って礼を復む」ということであります。 |
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2月 5日 | 非礼は視てはいけない |
顔回がそのことを孔子に尋ねた。すると孔子が言われるには、非礼は視てはいけない。非礼は聞いてはいけない。非礼は言ってはいけない。非礼はいってはいけないと。この四つは身の用である。 |
2月 6日 | 四つの警め |
そこで伊川先生は、この視・聴・言・動の四つを警めとして道の学問に精進したのであります。秉彜・秉はとる、彜はつね。 |
2月 7日 |
范益謙座右の戒に曰く、一に、朝廷の利害・辺報・差除を言はず。二に、州県官員の長短得失を言はず。三に、衆人作す所の過悪を言はず。四に、仕進官職、時に趨リ勢に附くことを言はず。五に、財利の多少、貧を厭い富を求むるを言はず。六に、淫?・戯慢・女色を評論するを言はず。七に、人の物を求覓し、酒食を干索することを言はず。 |
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2月 8日 |
又曰く、一に、人・書信を附すれば開拆沈滞すべからず。 二に、人と並び坐して人の私書を窺うべからず。三に、凡そ人の家に入りて人の文字を見るべからず。四に、凡て人の物を借りて損壊不還すべからず。五に、凡て飲食を喫するに揀択去取すべからず。六に、人と同じく処るに、自ら便利を択ぶべからず。七には、人の富貴を見て嘆羨詆毀すかべからず。凡そ此の数事、之を犯す者あれば、以て用意の不肖を見るに足る。心を存し身を修むるに於て大いに害する所あり。因って書して以て自ら警む |
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2月 9日 |
范益謙は朱子の弟子であります。その座右の戒に曰く、 |
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2月10日 | 抽象化は生の力を阻害する |
その意味に於いても男と女は違わなければならない。処が近頃は男が女のようになって区別がつかない。これは生物の世界から見ても退化現象であります。 |
2月11日 |
二に、地方官庁の官吏の長短や得失などを言わない。 |
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2月12日 |
また言う。 二に、人と並んで坐って、他人の私書を覗いてはいけない。 三に、他人の家に行って、人の書いたものを見てはいけない。 四に、人に物を借りて、損じたり、返さなかったりしてはいけない。これの代表的なものは書物であります。貸したら最後還って来ない。そこで昔から書物と花だけは泥棒してもよいという。 |
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2月13日 |
五に、すべて飲食に択り好みを言ってはいけない。何でも有難く食べるべきです。 六に、人と同じくおるのに、自分だけが都合の好いように択ぶことはいけない。都会におって電車に乗ると実際情けなくなります。 七に、人の富貴を見て羨んだり、貶したりしてはいけない。 およそ、この幾つかの事、これを犯すものは心掛けのいけないと云うことが分かる。修養するのに大いに害がある。そこで書して以て自ら警むるの戒としたのであると。 |
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2月14日 |
董仲舒曰く、仁人は其の誼を正うして其の利を謀らず。其の道を明らかにして其の功を計らずと。 |
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2月15日 |
董仲舒は漢の武帝の時代に於ける大官でありも碩学であります。誼とは、言葉の宜しきを得ることで、道義の義に通ずる語であります。本文は決して利というものを問題にしないとか、功というものを抹殺するとう意味ではない。正誼・明道と功利のどちらを主眼にするかということであります。 |
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2月16日 | 無欲の生活 |
呂正献公、少より学を講ずるに、即ち心を治め性を養うを以て本と為し、嗜慾を寡うし、滋味を薄うし、疾言遽色無く、窘歩無く、惰容無し。凡そ嬉笑・俚近の語、未だ嘗って諸を口より出さず。世利・紛華・声伎・游宴より以て博打・奇玩に至るまで淡然として好む所無し。 |
2月17日 | 精神生活 |
呂正献公・名は哲、後賢者たらんことを希うて希哲と改む。正献公は諡。疾言遽色・早口で物を言い、顔色を急に変えること。窘歩・窘はせかせか歩く意。 |
2月18日 |
私が学生の頃から忘年の交わりをした人に寒川鼠骨という人があります。松山の出身で子規門下の俳人でありますが、深く禅にも参じておった。実に淡然として好むところの無い人で、従って勿論貧乏であった。絵画に画商というものがある如く、俳句にも俳商というものがあって、虚子などもこれをうまく利用して有名になつた人でありますが、寒川先生は全くそういうことはやらなかった。或る時も丁度そういう俳商の一人が訪ねて来て、しきりに先生をおだてては短冊を書いて商売をさせろと言う。私は側でじっと聞いておったのですが、先生目を丸くして、うーん、○○はそんなにとっておるのかと言って感心している。暫くして先生が言うのです。そうなると金が出来るね。わしは永年貧乏と親友でね。今更金が出来ると困るんだ。そう言って俳商を追っ払ってしまった。 |
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2月19日 |
これは財ばかりではありません。地位でも名誉でもそうです。大学の時分に神奈川県の知事に○○という人がおりました。この親父さんが土佐の田舎で船頭をやっておった。息子の知事は気になって仕方がない。或る時、田舎に帰って、もういい加減にやめてくれと頼んだが、お前は知事かも知れぬが、わしはこれじゃと言って問題にしなかったと言う。こういう心境を持っておれば階級闘争などは起こらないのでありましょう。どうも今の人間は功利的にばかり執着して精神生活を持つことを知らない。その為に世の中が益々複雑になり苦しくなっている。そうしてみんなで悩んでおるのであります。 |
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2月20日 |
胡文定公曰く、人は須らく是れ一切の世味淡薄にして方に好かるべし。富貴の相あらんことを要せず。孟子謂う、堂の高さ数仞、食前方丈、侍妾数百人・吾れ志を得とも為さずと。学者須らく先ず此等を除去して常に自ら激昂すべし。便ち墜堕を得るに到らず。常に愛す、諸葛孔明、漢末に当って南陽に躬耕し、聞達を求めず。後来劉先主の聘に応じ、山河を宰割し、天下を三分し、身・将相に都り、手重兵を握る。亦何を求めてか得ざらん。 |
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2月21日 |
何を欲してか遂げざらんと雖も、乃ち後主に与えて言へらく。成都に桑八百株、薄田十五頃あり。子孫の衣食自ら余饒あり。臣が身は外に在って別に調度無し。別に生を治めて以て尺寸を長ぜず。死するの日の若き、廩に余栗あり、庫に余財有らしめて以て陛下に負かじと。卒するに及んで果して其の言の如し。此の如き輩の人、真に大丈夫と謂うべしと。 |
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2月22日 |
胡文定公が言うには、人間は世の中の味・物欲生活というものには淡白で丁度好いのである。別に富貴の相あるとを要しない。「堂の高さ数仞、食前方丈、侍妾数百人、吾れ志を得とも為さず」と孟子も言っておるが、学に志すものは是非共こういうものは除き去って、自らを高めるべきである。 |
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2月23日 | 真の大丈夫 |
こうして何を求めても得ざるなく、何を欲しても遂げざることなき有様であったけれども、後主に与えて言うには、成都には桑八百株、荒れた田地ではあるが十五頃(一頃は八畝)ある。子孫の衣食には余りがあります。自分の身は外にあって、別に調度もないし、財産を増やす必要もありません。私が死んだ時に家を調べたら、庫にどつさり食糧がつまっておったり、金も沢山あったというようなことをして、陛下に背くようなことは致しません。(若し、そういうことがあるとしたら、これは地位権力を利用して私を肥らせた事になる。胡文定公は南宋の烈士・春秋学の大家安国)。 |
2月24日 |
我々も子供の時分から、こんなことばかり教えられたので、妙に金などあると苦痛に感じる。だから私はいつも金を持たないことにしております。みんなそれを知っておるので、喜んで用を足してくれる。戦争中でも私は一度だつた代用食を食べませんでした。みんな持って来てくれた。処が世の中というものは面白いもので、今日のように物が豊かになると、誰も持ってくれる人がありません。世の中が不自由になると私は豊かになる。誰れか持って来てくれる。無は無限に通じると極めてのん気な生活をやっております。 |
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2月25日 | 学問や芸術は功利のためにやるのではない |
胡氏曰く、今の儒者文芸を学び、仕進を干むるの心を移して以て其の身を美くせば、即ち何ぞ古人に及ぶべからざらんや。父兄は文芸を以て其の子弟に令し、朋友は仕進を以て相招く。往いて而て返らざれば則ち心始めより荒んで而て治まらず。万事の成ること咸古先に逮ばず。 |
2月26日 |
胡氏は胡文定公の子供で、名は宏、号を五?と申します。本文はその著胡子知言にあります。 |
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2月27日 |
処が親達はそういう功利的手段に過ぎない知識・技術を以て、やれうまくなれという風に命令する。友達は名聞利達を以て派閥をつくって相招く。所謂コネをつくるというようなことをやる。そういうことばかりやっておって一向に反省しなければ心がはじめから荒んで治まらないから、万事成ることみな昔に及ばない。だんだん文明が逆に退化するというわけであります。これは千古変わらぬ原則であり、真理であります。 |
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2月28日 |
ある有名な学者・評論家に「どうして君はソ連や中共の提灯持ちをやるのだ」と訊いたところ、「その方が得だからね」と答えたということでありますが、これが実際の本音であろうと思う。そもそも日本の思想が混乱して来た原因は、勿論いろいろありますが、政策的・政治的に言って混乱の始まりは、前大戦直後の政友会内閣が党利党略をかねて旧制高校の増設をやったことであります。 |