吾、終に得たり 9.  岫雲斎圀典
              
--釈迦の言葉=法句経に挑む
多年に亘り、仏教に就いて大いなる疑問を抱き呻吟してきた私である。それは「仏教は生の哲学」でなくてはならぬと言う私の心からの悲痛な叫びから発したものであった。平成25年6月1日

平成26年2月

1日 238句

爾 おのれの灯となれ すみやかにいそしみて 賢き者となるべし けがれをはらい (まよい)をはなれて ふたたび 老死に 近づかざるべし

自分自身を灯となせ。そして努め励みて賢者となるべし。このうよにして穢れを払いのけ過失をしなければ再び生まれてからの痛ましい輪廻の世界に入ることはない。

2日 239句

()巧者(くみ)の (しろがね)のさびを 除くがごとく かしこき人は(おもむ)ろに 一つ一つ 刹那(せつな) 刹那に おのれのけがれを のぞくべし

鍛冶屋が銀の鍛錬をするように智慧ある者は、急ぐことなく順々に少しづつ少しづつ、瞬間、瞬間を絶えず自己練磨して己を磨くがいい。

3日 240句

(さび)は 鉄より生ずれども その鉄を きずつくるがごとく 不浄(けがれ)ある行者(ひと)は おのれの 業により 悪処(あしき)にみちびかれん

鉄に生じた錆は自分自身を食い破るように守るべき道徳を踏み越えた人は自らを不幸な道に誘導する。

4日 241句

(まじ)呪者(ないしゃ)のけがれは (じゅ)(そら)んぜざることなり 家屋(いえ)のけがれは 修理を怠ることなり 容色(すがた)のけがれは 懈怠(なおざり)より来たる 修行者のけがれは 放逸に在り

読誦しなくては祈祷の価値はない。手入れしなくては家屋の値打ちはない。怠っておれば美貌も落ちる。怠惰にしておれば修行にならぬ。

5日 242句

女性(にょしょう)のけがれは よからぬ行いに在り 施者(めぐみ)のけがれは (おしみ)なり 悪行こそ この世にも またかの世にも けがれなり

婦人の不義な行為はけがれである。むさぼりは慈悲深き人間は恥じる。まこと この世でも来世でもこのような行為は悪行である。

6日 243句

これらのけがれより さらに多きけがれあり 無明(まよい)こそは 最大のけがれなり

比丘(びく)()よ このけがれをすてて 無垢(むく)の人となるべし

これらのけがれよりも、更にけがれ多きものあり。盲目的本能こそは最大のけがれである。修業者よ、この最大のけがれを棄てけがれ無き人となれ。

7日 244句

(からす)の如く つゆ恥ずる思いなく たかぶりつよく つつしみ知らず そあらにふるまい かつ 心けがれたるもの かかる人の この世に生きんこと いと(やす)かん

恥知らずのカラスのように厚かましい、他人を陥れる、無礼で乱暴な言動、本能のままに生活する、このような人間はこの世は楽である。

8日 245句

はずる思いあり つねに(きよ)()を求め 執着(とらわれ)なく つつしみふかく 清浄(きよらか)の生活を いとなむもの かかる人の この迷いの世に 生きんは(かた)

恥を知り常に清白の生活を願い求め、何者にも支配せられで心高ぶることもなく清らかな生活をしている人にとってはこの世は生き難いものである。

9日 246句

ひと若し 生命あるものを害し また虚言をかたり この世にて 与えられざるを取り 他の婦女と交わり

命あるものを損ない、不真実を語り、この社会で無理なものを取り、他人の妻と交わり、

10日 247句

さらに又 スラー酒 メーラヤ酒 ふけりおぼれなば 彼はこの世にて おのれの 根を掘るものなり

それのみに止まらず飲酒に耽る人は、この世にいて既に自己の根を掘ることと同じ。

11日 248句

おお 汝よ かく知るべし つつしみなきは あしきことなり むさぼりと 不法(つみ)とをして ながく(なんじ)を くるしみに (おちい)らしむべし

おお もしお前が自ら節制することがなければ邪悪の生活となるのだと知りなさい。それは貪りと、不正で、それは絶えず苦痛を産むものだと心しなさい。

12日 249句

世の人は その信ずる所に随い その好む所によりて ほどこしをなす されば与えられし 飲食(おんじき)により こころ満たざるものは 昼も夜も 三(やすき)をえざらん

世間の人は自分の信ずる所に従い、或いは好む所に随い布施をするものである。他人から与えられた飲食に不満を抱く者があるなら昼夜を問わずその人は精神的な安らぎは有り得ない。

13日 250句

ひと()し ()かざる思いを断ち これを根だやし ことごとくつくさば 昼も夜も 彼は三昧(やすけき)をうべし

もし人間がこのような不満を断ち切り、根こそぎにして根絶すれば昼夜を問わず安息を得るであろう。

14日 251句

むさぼりにくらぶべき はげしき火もなく いかりにたとうべき 執着(まつわり)はなく おろかさにすぎたる (きずな)もなく 愛欲にまさる 暴流(かわ)あるなし

貪りほど激しい火はない、怒りより強い執念はない。愚かさより細やかな網はない。盲目的愛より恐ろしい河はない。

15日 252句

(ひと)過失(あやまち)は見やすく おのれのとがは見がたし (ひと)のあやまちをただすこと (ぬか)をひるがごとく おのれのとがは 詐りふかき賭者(かけし)の 不利のきいを かくすがごとく 自らおおいかくすなり

他人の過失は眼につきやすく自分の過失は目につかない。これは籾殻を扇いで吹き分けるように他人の過失は見分けられるが、自分のそれは分からない。誤魔化している賭博者が悪いさいころを隠すようなものだ。

16日 253句

ひと()し (ひと)(とが)をさがし求めて つねに怒りの 心を抱かば 彼の(まよい)は増すべし かくして漏尽(さとり)を去ること いよいよ 遠からん

他人の過失のみ探して常に腹を立てている人は盲目的本能は愈々増える。このような本能からの解脱は愈々難しくなって行く。

17日 254句

虚空(そら)には 道とすべきものはなく うつろなる外道(げどう)に 沙門(みちのひと)あるなし おろかなる世人は 戯論(げろん)をたのしめど 如来(ほとけ)にはかかる 戯論(たわむれ)あることなし

虚空に道はない。外的な生活を気にかけるのは修行者とはいえぬ。ただ多くの人々は虚ろなものに喜んでいるだけだ。真理に到達した人には最早や虚栄はあり得ない。

18日 255句

虚空(そら)には 道とすべきものはなく うつろなる外道(げどう)に 沙門(みちのひと)あるなし つくられたるものに 常住はなく 仏陀(さつれるもの)には 動乱(みだれ)はなし

表面のみの生活では修業者は生まれない。作られた全ての現象には恒久なるものはない。悟れる者には動揺するものはない。

19日

第十九品

住法(ただしき)

256句

こといそぎすぎて ものを処理するものは (ただしき)に住むあたわず 智あるものは (よし)とするものと 不義(よからず)とするものと 二つのことを 見きわむるなり

急ぎすぎ物事を処理すれば正しいというものではない。智者は正しい事、正しからざる事を見極めて行う。

20日 257句

暴力(ちから)を用うるなく 法により 心を等しゅうして (ひと)をみちびき 法に護らるる智者 彼こそ 法に住むものと いわれん

暴力でなく正義と公平により他人を導き、自分も正義を守りかつ智慧ある人こそ、法に立脚した人物である。

21日 258句

多く説きたてればと そのゆえに 彼は智者にあらず こころおだやかに 憎しみの思いなく おそれなきもの 彼こそは賢き人と よばれん

言葉を多くしたからとて賢者とはいえぬ。静安で、怨みなく、怖れなき人こそ賢者と言える。

22日 259句

多くを説けばとて そのことのかぎりにて 彼は法を持する者にあらず 法を聞くこと 少なくとも 身にこれを行わば 法をおろそかに せざるがゆえに 法を持する者と いわるべし

多くの教えを説いたから、それのみでは教えの体得者ではない。ほんの少しだけ教えを聞いたけれども我が身にその教えをつけ、なおざりにしない人こそ教えの体得者である。

23日 260句

(こうべ)白しとて このことによりてのみ 彼は長老(おさ)たらず 彼の(よわい) よし熟したりとも これ(むな)しく 老いたる人とのみ よばれん

ただ白髪になったからとてそれで長老というものではない。年齢が長けてただ年老いたというだけである。

24日 261句

誠に(あきらめ)あり (のり)不害(やわらぎ)と つつしみと 自調(ととのえ)とあり かかるこころの けがれを 除き去れる 賢者こそ 長老とよばるべし

人生の真実・真相を知りぬき、仏の教えを心得、慈愛と自制と謙虚を身につけた、自らの心の穢れの無い賢い人こそ長老と呼べる。

25句 262句

ただ言説(ことば)うるわしとて また容色(すがた)うつくしとて うちにねたみあり こころにおしみ ことば(ただし)からぬは 彼は(みめ)よき人にあらず

妬みが深く、貪欲で、他人をたぶらかすような人は言葉が多く巧く、容貌がいいからと言って真の「みめよき人」とは言わぬ。

26日 263句

ひと()し かかる心の とがを断ちきり 根たやしつくし すでにこのにくみを 越えたる智者 彼こそは (みめ)よき人といわれん

これらの悪を断ち切って根を絶やし、絶滅し、憎しみよを越えたる智者こそが真の「みめよき人」と称さされるべきである。

27日 264句

よし髪を剃るとも いましめなく 妄語(そらごと)をかたらば 彼は沙門(みちのひと)にあらず 欲望(ねがい) と むさぼりとをそえて いかでか 沙門たりえん

自制することなく虚言を語る人は、髪を剃るだけで修行者とは言えない。ましてその人が貪欲に束縛されているならばどうして道の人と言えようか。

28日 265句

ありとある 大き 小さき すべてのとごを 止めしひとは かかるとがを 止めしがゆえにこそ 沙門ととなえられる

大小を問わずありとある悪事を制御できればそれだけで道の人と言われてよい。