安岡正篤先生「一日一言」 そのD

平成25年2.月 

1日 国家・国旗

国歌・国旗を、これほど粗末にしたり、無視したり、難くせをつける者があると云う日本の現状は、世界において、現在でも歴史的にも、ちょっと不思議に思われるほど、面妖な事実です。外国人が聞いて理解しない事実です。戦に負けて何で国旗を憎む、何で国家を憎む。      (古今に学ぶ)

2日 手紙 手紙というものは何となく楽しいものである。郵便配達という仕事は、当人には辛い労働であろうとも郵便を待つ人々には嬉しいことで、辺鄙な土地に住む人ほどその感が強かろう。その来信の中に好い手紙があって、貪り読む嬉しさはまた格別である。由来、手紙というものは、事務的や悪意なものは論外として、感情や興味が本になって書かれるものであめから、とうしても生命があり、故意に巧まぬから真摯な妙味が出る。(手紙と人生)
3日 本当の自分を知ること 禅とか陽明学と言っても、何も珍しいことではない、ありふれたことなのです。それは本当の人間になることである。本当の人間を知ることである。と言うことは、本当の自分を知ることであり、本当の自分をつくることである。本当の自分を知り、本当の自分をつくれる人であって、初めて人を知ることができる、人をつくることができる。国を知り、国をつくることもできる。世界を知り、世界をつくることもできる。(活学第二編)
4日 個に徹する 人間も大きな力を出すためには、どうしても内に反り、己に徹し、個に徹しなければならない。然も、個に徹し核に徹するほど偉大な力が出て来るわけです。時代や天下・国家を動かすのも結局はそういう個に徹した偉大なる個人の力に待たなければなりません。(いたずら)にこれを大衆に求めても駄目であります。大衆は実用価値はあるけれども根源的・創造的価値はありません。  (活学第二編)
5日 一隅にオアシスを 要するに、人々が己一人が無力なもの、ごまめの歯ぎしりとは思わず、いかに自分の存在が些細なものであっても、それは悉く人々、社会に連関していることを体認して、先ず自らをよくし、また自己の周囲をよくし、荒涼たる世間の砂漠の一隅に緑のオアシスをつくることだ。家庭によい家風をつくり、職場によい空気をつくれないような人間どもが集まってどうして幸福を人類に実現など出きようか。 (安岡正篤に学ぶ人物学)
6日 信念の薄れた社会 この凄まじい機械化の時世、就中、人間まで老いも若きも、挙げて機械と化し、個性だとか風趣だとか、信念とかの薬にしたくも無くなることは、多情多恨な詩人に取って堪え難いことである。否、詩人ばかりではない。少しく人間らしい純真な生命を留めている者ならば、何人も今日の世風には悶々たらざるを得まい。教育あり、地位ある者ほどそれがひどいように思われる。
                  (童心残筆)
7日 俗物 もう子供の時から、学生時分から、何がしかの月給を貰って何かの地位につけばそれでいい、あとは女房でも貰って、スイートホームでも作ればいいと言うような青年や、学生では駄目であります。よく誰でも青年時代は相当の理想家であった者が、女房を持ち子供を持ち、社会的地位が出来るようになってくると、理想を失って、遂には相当いわゆる俗物になる。  (人物の条件)
8日 徳性 人間の精神の最高位のものは徳性であります。雨に濡れてぶるぶる震えている子供がいる。或は親にはぐれてしくしく泣いている子供がいる。そういうのを見て、あなたはどう思いますか。ああ、可哀そうにと不憫(ふびん)に思うでしょう。惻隠(そくいん)の心ですね。それは人間だけが持つ心なのです。そういう心が徳なのです。 (人物の条件)
9日 形而上学とは  我々の人生、生活、現実というものに真剣に取り組むと、我々の思想、感覚が非常に霊的になる。普段ぼんやりしていて気のつかぬことも、容易に気がつく。超現実的な直覚、これが正しい意味に於ける形而上学というものであります。やはり人間は精神を集中して、全身全霊をなにものかに打ち込まなければ精神も磨かれないし、本当の力も発揮出来ない。  (論語・老子・禅)
10日 後顧の憂い 我々は前進しようと思ったら、いつでも後顧の憂いをなくさなければならん。少なくとも後顧、後をよく吟味して、いかにして、かくあるか、ここまできたか、ということに安心がなければ前へ向かって堅実な歩みを進めることはできない。歴史というものは、いや未来というものは、過去の歴史によって作られるのである。前途、未来を照らす一番確かな鏡は過去であり、歴史であるということは、もはや常識になっている。  (続人間維新)
11日 元の字の意義 元の字は、自然と生物とを要約した文字であります。万物一元に帰すなどと申しまして、時間的に言えばはじめ(○○○)、立体的に言えばもと(○○)であります。それから部分的に対する全体的、従って小に対する大、万物を創造しこれを育成していく大きな力、これを元という字で表します。元気という言葉は、人間の分析分解を超越した総合、統一、全体的な活力、生育の力を言うわけであります。元気がなければ何もできません。               (易と人生哲学)
12日 教育の根本的な欠陥 人間は自己に夢中になるものを持って、他を顧みるに暇なきことが必要だ。そこには感激があり、感激のあるところ、凡て物を成すことが出来る。ただ高いとこに夢中になるほど尊いのだ。今日の学校教育の根本的な欠陥の一つは、やることが散漫で、一事に夢中になれぬところにある。人間はあるものにこると、一切を忘れると言う所がなければならぬ。     (瓠堂随聞記)
13日 友人 世の中に、もし友と言うものが無いならば、生き抜ける人は非常に少ないであろう。世に容れられず、多くの人々から無視されていても、幾人かの人々、あるいは一人でもよい、否、唯一人ならなおその感が強かろう。自分を認めてくれる友があったら、それほど嬉しいことはないであろう。寧ろ、人々から離れて却って友は得られるものかもしれない。       (活眼 活学)
14日 凡そ人間の精神は常に彼を慰め、彼を導くべき何者かの権威を要するものである。故に、精神的権威を求める心、換言すれば、師を求める心は我らの胃が食を求める如く、我々の人格のためには最も根本的な、最も大切な要求である。我々に食欲が絶えれば肉体は早晩餓死せねばならない。それと同様に師を求める心が空しくなれば、我らの人格はもはや向上しない。(東洋思想と人物)
15日 青少年 長所は常に短所である。純真であり、熱情的である青年は巧妙な宣伝に乗せられ易い。青少年は次代を負担すべき国民であるから、その時期に最も自己の内容を充実し修練することに重きを置かさねばならない。これを扇動し悪用することによって自己の野望に()そうとする謀略は最も憎むべきものである。                    (醒睡記)
16日 人生の佳興 春には春、夏には夏、秋には秋、冬には冬、それぞれ趣きがある。人間もそうだ。若いときには若いときに、年をとったら年をとったで、それぞれの佳興がなければならない。壮年には壮年の妙味がある。青年には青年の意義があり興味もある。老年またしかり、人は年をとることを淋しがり嫌がる。しかし本当に学べば、ちょうど秋冬には秋冬の佳興があるように、年をとったらとったで、若いときにはない意義があり佳興がある。 (人間維新)
17日 人物 いずれの国家も興亡は民族のエネルギー・活力、それを体現する人物の有無によって決まる。しからば、そういう新しい時代を創造するような人物はどうして生まれるかと言うと、これは知識の学問や技術の学問からは生まれない。やはり智慧の学問、徳の学問、そういう教育の中から出てくるのである。(知命と立命)
18日 万物の霊長 そもそも不思議な性質・性能をあらゆる物が持っている。(いわん)や、万物の霊長たる人間に於いてをやで、人と生まれた以上、本当に自分を究尽(きゅうじん)し、修練すれば、何十億も人間がおろうが人相が皆違っておるように、他人に無い性質と能力を必ず持っておる。それをうまく開発すれば、誰でもそれを発揮することができる。(東洋哲学講座)
19日 静以て、倹以て 静が元で、静から動が発する。静が根本的なものであり、我々は身を修めるのに静を以でする。そして濫費しないと云うこと、つまり統一・統括する、内に蓄えること、これを倹と言う。人間は余り欲望享楽をほしいままにしたら、生命のエネルギー、精神エネルギーが駄目になる。徳が損われる。これを敗徳、徳を敗るという。人間が修養するのには「静以て身を修め、倹以て徳を養う」ということが大事だ。       (人間維新)
20日

人物の基本条件

人物たることの基本条件の一つは、やはりこのヴァイタリティ(Vitality・活力・生命力)、メンタリティ(Mentality・精神性)と言うものに富んでいるということであります。これが無いと、知識や技術が少々あっても使えはするが、人間としてつまらぬ、と言って力が徒らに外に暴露しているような、いわゆる客気(きゃくき)暴力はいけない。(暁鐘)
21日 真の元気 真の元気というものは、通用語で言いますと「志気」と言います。今日の言葉なら理想精神であります。一体元気、即ち吾々の活力、気魄というものは創造力でありますから、生みの力、大和(やまと)(ことば)で言うならぱ「(むす)()の力」である。そこで常に何物かを生む力、為すある力、有為の力である、これは必ず理想を生んで来る。元気が旺盛になる時には必ず理想がある。(危機静話)
22日 信念と気概 いつの時代、どの国家で、純真な精神と真剣な学問信仰に生きた人々は、その時代と俗衆の頽廃や迫害に悩みながら、毅然としてその信念を深め、「天下これを信じて多しとなさず、一人これを信じて少なしと為さぬ」信念気概を以て、少数の同志者との切磋琢磨に(つと)めたものである。これこそあらゆる独創性の源泉であり、偉大な行動建設の出発点であった。(伝習録)
23日 真の志士 志士になるのは容易である。仁人(じんじん)には容易になれるものではない。そして真の志士は、やはり仁人でなければならぬ。同志を一人でも多く獲得などしようとせず、寧ろあくまで少なくしようとした大石内蔵助は、智者であるとともに仁人であった。独り自ら韓に使せんとした志士・西郷隆盛も仁人であった。仁なき志士は世を味気なくして、民衆を怨ませる。日本の同志よ、さらに同仁を心がけようではないか。 (経世)
24日 真の元気 真の元気と言うものは、通用語でいいますと志気と言います。今日の言葉なら理想精神であります。一体元気、即ち我々の活力、気魄というものは創造力でありますから、生みの力、大和(やまと)(ことば)でいうならば、()()の力である。そこで常に何物かを生む力、為すある力、有為の力である。これは必ず理想を生んで来る。元気が旺盛になる時には必ず理想がある。   (危機静話)
25日 結論は、誠と人材

神も仏もないものかと嘆息がよく人の口から洩れるが、さて長い目で見ると、やはり神も仏も(おごそか)として存する。結局正義は勝ちである。誠は(とお)る。()だそこまで観念し、そこまで辛抱が出来にくいだけのことである。歴史の証するところ、先賢の教ふるところ、結論は、誠と人材とである。お互い果してどこまで誠を養い人物を磨き合うているか。お互いにどれほど出来ているかと言うことが一番根本であることを今更に痛感する。   (童心残筆)

26日 発憤は人間の動力 発憤は言い換えれば、感激性というもので、これは人間にとって欠くことの出来ない大事なものである。ちょうど機械で言えば動力、エネルギーのようなものです。どんな優秀な設備・機械でも、動力がなければ、燃料がなければ動かない。発憤は人間の動力であり、エネルギーである。従って発憤のない、感激性のない人間は、いくら頭が良くても、才があっても、燃料のない機械・設備と同じことで、一向に役に立たない。   (論語の活学)
27日 任の意味 普通、任用と言うとただ使うだけのように思っておりますけれども、任という言葉に意味がある。賢者あってこれを用い、用いてこれを任すということが任用である。任さざれば任用じゃない。近代の人事行政は人を使用することはするが、任用はしない。官吏任用令にあらずして管理使用令になっている。もっと任さなければならぬ。任すためには賢者でなければならぬ。(人物・学問)
28日 気骨は根本的要素

骨に気を載せると「気骨」。気骨がない人は、どうにもならない。気骨のない人間と言うのは、平和で機械的なことをやらかすことは出来ますが、一朝事が起きて、誰か責任を以てやらなければならない非常時には、だらしなく役に立たないものです。骨力とか気骨は人間の根本的要素でも人格の第一次的要素であります。