日本古代史の謎 その九
日本国家成立の推定
平成24年2月度
1日 |
恐らく成務天皇の合巻の場合は、注記を持つ2天皇であるにもかかわらず、合巻となっている履中・反正・用明・崇峻の天皇の場合と同様、 |
伝承されていた旧辞が比較的少ないか、或は在位期間が数年足らずの短い天皇であつたことに起因する合巻であったと推定できます。 |
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2日 | (8帝紀・3帝紀合巻の場合) |
2紀1巻という合巻の原則にも合わない、8帝紀、3帝紀合巻の場合の天皇は全て注記のない天皇で、 |
しかも1紀1巻をなすに十分な旧辞伝承を持たない天皇ばかりです。 |
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3日 |
8帝紀合巻の天皇は神武天皇と崇神天皇という二人の初代天皇の間に挟まれた8天皇であり、3帝紀合巻の天皇は、みな注記がなく、旧辞伝承も少ない天皇です。 |
言うまでも無く、この8天皇は既に第四講で述べた通り、私が編集時に神武天皇とともに一括して加上されたとみる非実在の架空天皇たちです。 |
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4日 |
実在天皇か? 架空天皇か? 記紀の編纂方法の分析 |
さて、これらを分類・整理して「日本書紀」の編纂方法を分析しますと、まず「古事記」に崩年注記のある天皇は、原則として、「日本書紀」では、1紀1巻にされたと言えます。 |
過半数が1紀1巻であるだけでなく合巻になっているものは、それなりの理由があってのことだからです。そして逆に「古事記」に崩年注記のない天皇は原則として合巻にされたということがわかります。 |
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5日 |
と云うのも「古事記」に崩年干支の注記のない天皇で「日本書紀」の1紀1巻の原則に合致するのは、神武・垂仁・武烈・欽明天皇の4天皇紀の場合だけで、残る14天皇の場合は何れも合巻になっているのです。 |
しかも、1紀1巻の編成になっているこれら4天皇は、殊更に「記紀」の中で重要な役割を演じている天皇の場合であると言えます。 |
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6日 |
即ち、神武天皇は初代の天皇として、そして垂仁天皇は伊勢神宮の祭祀に関係があり武烈天皇は歴代天皇中、唯一の暴君としての所伝があり、欽明天皇は仏教や蘇我氏と特殊な関係にあるなど、 |
これらの4天皇は何れも古代史の中では重要な意味を持つと見られている天皇です。つまり、原則を破ってまでも、1紀1巻にするだけの理由がある天皇ばかりなのです。 |
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7日 | 「古事記」崩年注記は実在の証し |
このように「日本書紀」の構成を分析しも先に述べたように注記の崩年から割り出される年代が実年代に近いということなども総合して判断してみ |
ると、崩年干支の注記のある天皇とは古くから実在的な天皇として伝承されてきた天皇であるということが、一応明確に指摘できます。 |
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8日 |
また、そのことの逆の推理として、注記のない天皇は、恐らく後の時代に漸次、もしくは一時的に何らかの必要、例えば歴代構成の組み合わせの必要に応じて作り出された、非実在的な架空の天皇である可能性が高いと言えます。 |
その事は、私が第4講で架空の天皇と推定した神武天皇から九代までの天皇に、いみじくも注記が無いということからも十分に理解出来ることと思います。また、実際に史実を分析していっても、注記のない天皇は殆ど架空の天皇と看做せると私は考えています。 |
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9日 | 注 |
古事記伝 古事記の注釈書。44巻。本居宣長著。1768年(明和4年)頃起稿、寛政10年完成。文政5年刊。国学の根底を確立した労作、今日でも古代史・古代研究の典拠。 |
旧辞 古代の神話・伝承。5-6世紀ころの国家成立の歴史的自覚ら基づいて政治的に潤色されたもので6世紀前半の成立。 |
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10日 | 伊勢神宮 |
祭祀 神や祖先を祀ること。 |
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11日 |
「日本書紀」の編成と実在天皇・架空天皇の関係 |
そして、これらのことと、「日本書紀」の編成方式を組み合わせると、その編成原理は、実在天皇(注記・伝承のある天皇)は1紀1巻、非実在の天皇(注記がない、作り上げた天皇)は実在の天皇との合巻とするか、 |
非実在の天皇同士で合巻にするというものではなかったかと推測されます。 |
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12日 |
神武天皇・垂仁天皇・武烈天皇・欽明天皇の4天皇は確かに注記を持たない天皇ですが、「日本書紀」ではいずれも1紀1巻をなしている天皇です。然し、神武天皇は初代天皇であり、欽明天皇は実在のでしょうが、古帝紀の相異で特に欽明天 |
皇を省いた古帝紀があった為であり(注記のある天皇と同じ実在の天皇で1紀1巻に値する)、垂仁天皇は崇神天皇の分身、武烈天皇は暴君に仕立てるために作られた天皇であったが為に1紀1巻として編成されたものと私は考えるのです。 |
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13日 |
いずれにせよ以上述べてきたことから、私は少なくとも「古事記」に崩年注記をもつ天皇は実在した天皇で、崩年注記が無く、且つ「日本書紀」 |
で合巻になっている天皇は実在しなかった天皇、即ち後から作られた架空の非実在の天皇である」と云うことを間違いのない結論として抽出します。 |
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「日本書紀」「古事記」構成表 |
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14日 |
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15日 |
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16日 |
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17日 |
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18日 |
歴代天皇の代数の決定 十五代の皇統譜 |
こうみてくると「古事記」の崩年干支の注記のある15天皇は、原帝紀における皇統譜を示すものと考えられます。言い換えれば「古事記」の崩 |
年注記は、初代を崇神天皇とし、それから推古天皇までを15代と数える原帝紀が最も古い時代に存在した、ということを示唆しているわけです。 |
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19日 |
そして、この原帝紀において、実在だと思われる欽明天皇が落ちていることは重要な特徴だと思います。このことから、かっては初代天皇から推古天皇までの歴代を15代と数えた時代があり、 |
それが後に神武天皇から推古天皇までを33代と拡大した帝紀を構成するに至ったのでしょうが、そこに到達するまでの間に色々な歴代数の数え方をとつた様々な帝紀があったであろうと推測することができます。 |
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20日 | 中国の数の観念に立脚した15代 |
最も古い帝紀の原型を示唆する崩年干支注記が示す15代という歴代数。この数は、第4講で述べたような太一・三皇・五帝 |
即ち合わせて9という中国的聖数とはまた別な中国の数の観念に立脚したものであると考えることもできます。 |
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21日 | 中国では1から10に至る数のうち奇数は陽の数であり、その中でも9は |
陽数の極数であると考え、「老陽」という名前が付けられています。 |
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22日 |
これに対して偶数は陰の数で、2と4を陰の生数 |
6、8、10を陰の成数と見るのです。 |
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23日 |
そして、陰は消極性を示すから、陰の成数の最低数である6に「老陰」と名を付けています。 |
そして、6と9の両数を陰と陽の代名詞としているのです。 |
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24日 |
一太極より展開する宇宙の万象を数的過程で万事解決しようとする「易の原理」に於いては、陽と |
陰とを代名する9と6とは、共に、最早や変わることのない極に達している数です。 |
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25日 |
そこで、9と6の合計15という数値を考えますと、神武?元正間を45代とする歴代天皇の構成も、 |
次ぎの表のような構成として、老陽・老陰の構成から考えることができるのです。 |
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26日 |
歴代天皇の老陽・老陰構成表 |
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27日 |
いずれにしても、このように「古事記」や「日本書紀」にみる歴代の天皇の代数が決定されるまでには幾つかの段階があり |
それらが次第に修訂されて、「記紀」の段階で一応最終的な結論に達したものと考えることができるのです。 |
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28日 |
そして、その過程に於いて、架空の天皇が創出されたであろうことは間違いないことと言えるでしょう。 |
その事をこれまで論証してきたわけです。そして、私はそうやって抽出された実在天皇の伝承を通して古代の史実を考え直していくと云うことが古代史の構成上必要だと考えるのです。 |
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29日 |
注 |
老陽 陽(1・3・5・7・9)の気の極まること。周易では9。 |
老陰 陰の気が極まること。周易では6の数を言う。 |