219日 明師良友 その二

 なぜ世人(せじん)は我が魂に触れてくれぬのか。自己が純真に生きようとすればするほど、世人は我れを怪しみ、我れを(うと)んじ、我れを(おとしい)れる。自らが自らに対する不満寂寞(せきばく)と共に、自らが社会の対して感ぜられるこの不満寂寞は一層我々を悩ましくする。自性(じせい)(てっ)(けん)せんが為には身命を惜しまぬが求道者の覚悟であるが、人は同時に己を知ってくれる者の為には身命を捧げて惜しからぬ感恩(かんおん)の情を覚える。真の師友は換言すればこの有難い知己に他ならない。故に後世知己を又「知音(ちいん)」ともいう。我々に親の亡いことは避けられぬ不幸である。然し、師友の無いことは不幸の上に、不徳ではあるまいか。我々はやがて親とならねばならぬ。それと共に我々はまた何人かの、出来るならば国人(こくじん)の、衆生(しゅじょう)の師友たらねばならぬのである。  東洋倫理概論